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1.【 オルフィカ - Prondja 製作開始の経緯 '02/04/07 】
< オルフィカの図面 >
![]() 持ち運びのできるピアノが欲しい…きっかけは今から15年ほど前(1985年頃)にある本で見たオルフィカの写真でした。
このオルフィカという楽器、写真に添えられた短い解説には"オーストリア・ウィーン発祥の楽器で、19世紀中にヨーロッパで大流行したもの…"となっているのですが、なぜか私がヨーロッパ滞在中に訪ねた楽器博物館には無く、その頃買い込んだ鍵盤楽器の歴史の本に確かに載ってはいるのですが当時はこれも見逃し、この写真を見た時に"初めて見た"という印象を持ちました。さっそくその本を借り、カラーコピーを撮って斜めに撮られた楽器の写真を平面図に直したものが右の図です。大きさはフォークギターくらいだろうか、ちょうどフォークギター用のストラップ(肩にかけるベルト)とそっくりのものが付いています。 その後7年ほど経ってから、武蔵野音楽大学や浜松の楽器博物館でオルフィカの現物を見ることになるのですが、それらは先ほどのドイツ滞在時に買った鍵盤楽器の歴史の本に載っているものと同様で、あの写真ほど立派なものではありませんでした。 どうも発明当時のオリジナルな楽器(または数多く普及した製品)はあの写真のものより小型で演奏性能も低いものであったらしく、それに比べてあの写真のものは流行絶頂期に他の作者が、音や楽器の演奏性能に考慮し、かなり大きめで細工も美しく丁寧に作ったもの(おそらく特別のもの、特注品?)ではないかと思っています。 また以下は私の勝手な個人的推測なのですが…、 昔々、1800年頃のウィーンに住んでいたある楽器作り、"これなら肩にかけて持って歩けるよ!"という小型ピアノ、その名もオルフィカと付けて作ってみたらこれが大流行、せっせと作り続けたがその男が亡くなる頃には流行も終わっていた… というようなものではないかと考えています。さらに"オルフェ"を連想させる名前から何となく"恋の歌の伴奏"なんか似合ってたりして当時は窓辺で…とか。とにかく、短い期間しか流行らずに姿を消した事も含めて、私にとってとても魅力的な楽器なのです。 2.【 オルフィカ - あの写真のオルフィカだ! '02/06/09 】
“試作1号−1998年誕生”の下書きを終え、さて、いつ頃完成したのか確認する為に製作記録を見なおそうとしたとき…、探していたコピーが製作記録のいちばん上にファイルしてあるのを発見しました。このコピーは一昨年の夏、仕事で訪ねたある事務所の、本棚にあった博物館のパンフレットからコピーさせてもらったもので、そのパンフレット自体はお世辞にも立派と言えるようなものではなく、いかにも目録といった感じで、掲載写真は白黒で細部が不鮮明だった様に記憶しています。何となく“オルフィカが載っているから、そこだけコピーさせてもらおう”程度だったので、どこにしまい込んだか行方不明になっていました。“1966年版”とメモしてあるコピーの、無造作に箱のような台の上に(しかも台からはみ出している!)平らに置かれたオルフィカの写真をよくみると…、あれ、よく似た楽器だ。15年前に見た写真と撮影角度はまったく違うのですが、鍵盤の特徴がよく一致するのです。
15年前初めて見た写真に添えられていたのは製作者名、地名、製作年と3行ほどの短い解説だけでした。さっそくコピーの文章を訳していくと、まず製作者の名前が一致。次に、"ハープ型の枠の前部分に…調律変更用の真鍮の鉤(カギ)が付いている."という部分が出てきました。これは15年前、写真をもとに図面を描いた時、何となく気にはなったのですが装飾だと思って省いてしまった部分のことに間違いありません。さらにこの楽器は、製作されてから90年ほど経って、ウィーンの国際的な展示会に出品されたということも書かれていました。 …という訳で、あのオルフィカが、私の考えたよりもはるかに工夫を凝らして作られていることに敬服しました。しかもこれから何度でも、新しいお手本となる発見を秘めているようで…まるで、試作1号以降停滞している私への啓示でしょうか。 3.【 オルフィカ - まとめ(1) '02/06/09 】
Prondja製作のきっかけとなった15年前の写真と、たまたま手に入れた博物館のパンフレットに載っていたオルフィカは同じ楽器だと思われます。以下はその資料と私の考えをまとめたものです。
1)“オルフィカ”という名前 オルフィカには、オーストリア皇帝・皇室から公認された発明者がいる。その発明者の名前は カール・レオポルド・レリヒ(1740年頃〜1804年)である。“オルフィカ”も彼自身が、楽器の形が“オルフェのハープを連想させる”という理由で名付けた。 2)オルフィカの特許と販売権 レリヒは皇帝・皇室から発明者として、オルフィカの独占販売権を得るとともにウィーン新聞に特許権を公示した。これによって、許可なく真似して作られた楽器は没収となり、作った者からは罰金が徴収されることになった。 私が15年前に写真で見た楽器はドーナルという人物の製作であり、他にもクラインという人物の製作したものが他の本に載っている(こちらは武蔵野音大や浜松の楽器博物館にあるものと外観が似ている)。二人ともウィーンに工房をかまえていた。したがってこの二人はレリヒから許可を得、その販売もレリヒの管理下にあったに違いないのだが、例えばドーナルの場合、楽器には製作者の住所がはっきり記されている。ウィーンの街角で、各工房が自慢のオルフィカを並べて売っていたのだろうか、それともレリヒの店に集められて販売されていたのだろうか?残念ながらその点は不明である。 レリヒはウィーンに来る以前、ハンブルグで楽長をしていた。ウィーンでは皇室図書館の官職に就き、音楽著作者、作曲家、演奏家として活動した。彼の経歴を考えると、オルフィカの製作は上記の様にウィーンに住む楽器職人達にまかせていたのだろう。ある本ではレリヒを楽器製作者としているがそれよりも、彼に楽器に関する著作があることや、他の楽器も発明していることから、楽器の研究家といった方がふさわしいだろう。またオルフィカに独占販売権と特許権が存在したことが、オルフィカの流行が極めて狭い範囲・ウィーン圏内での流行にとどまった原因の1つだったと考えられる。(ある本に“イギリスでの普及”について記述がある。それについては資料を検索中。) 4.【 オルフィカ - まとめ(2) '02/09/10 】
< ドーナルのオルフィカ >
![]() 3)ヨセフ・ドーナルの製作したオルフィカ
この記事を書くきっかけとなったオルフィカには、“フォルテピアノとオルフィカの製造者 ヨセフ・ドーナル”と記したプレートがついている。オルフィカの製作には鍵盤楽器の知識、特にピアノフォルテのように弦をたたく機構(=アクション)の製造経験が必要であるから、ドーナルのように両方を兼ねた製作者は珍しくなかったと考えられる。また楽器の形については“2)オルフィカの特許と販売権”のところで触れた様に作者によってかなり違った形のものが存在する。 ドーナルは1759年、モラヴィア地方(現在チェコ国内)に生まれ、1793年(33才の時)にウィーンでマイスター(親方)の登録をしている。その後1816年(56才の時)に廃業宣言し、1829年(69才の時)にウィーンで亡くなっている。 製作年が“18世紀末”としか紹介されていないので、彼が何才のときにこの楽器を製作したのかまではわからないが、この楽器は1800年頃、つまり今から200年も前の楽器であることは確かである。 残念ながら私はこの楽器の実物を見たことがない。この楽器との出会いはある楽器百科事典に掲載された1枚の写真だった。それは外観写真だったので、内部のアクションに至っては全く想像するしかなかった。それにもかかわらず、この楽器はその写真を見ただけで、特に手の込んだ優れた作品であることを直感させた。そしてその後何年かして偶然手に入った博物館の資料によって、その直感が裏付けられることになったのである。 その裏付けとは、この楽器が製作されてから90年も経ってから、ある国際展示会に出品された経歴を持つことである。その展示会とは1892年の“音楽と演劇の国際展示会”で、“ウィーン式アクション”の生みの親であるシュタインに関する参考出品として展示されたのである。この事実によって、この楽器はアクション部分などの動作もしっかり計算されたものであり、造作もしっかりしており、製造から90年経った当時も保存状態が極めて良かったであろうことがうかがわれる。 ここで、「シュタインに関する参考出品であるから、もちろんアクションはウィーン式であり…」と書き出そうと思ってちょっと迷った。“…ということはシュタインとドーナルは面識があったのだろうか?”という疑問である。 さてこの点について調べてみると、ドーナルのオルフィカとウィーン式アクションの関係についてはそう単純に説明できないようである。まずウィーン式アクションの歴史について簡単に説明しなくてはならない。 追記 :2002年当時の記述はここで途切れています。いつかこの先も記述したいと思っています。'08/10/16 | |||
楽器製作 /(1) |