ゼークトとヒトラー


ゼークトとヒトラーは1923年3月、レームの紹介で初めて会談した。このときゼークトはフランスのルール占領への対抗策を検討していた。その軍事計画の中核をなすものは黒い共和国軍で、各地の擬似軍事団体の組織化だった。まさにバイエルンで最も効率的な擬似軍事組織SAを保有していたヒトラーとは了解せねばならない立場にあった。

会談は余人を交えず4時間続いたと。あとでゼークトが話した内容はヒトラーは将校団の宣誓を理解していない、という点だった。一方ヒトラーは国防軍がルールに進攻する能力は現在ないという説明を受けたと語している。

二人はこの後もしばしば話す機会はあったようだが、ついに話しが噛み合ったように見えない。1926年ゼークトはシャライヒャーの陰謀により、国防軍をおわれるが、その後はフーゲンベルグの国家人民党の代議士をしていた。1932年の大統領選挙ではゼークトはヒンデンブルグでなくヒトラーをとった。

ゼークトの信条は国家主義だが帝政を厳格に支持していたようにも見えない。一種愛国主義に近かったのだろう。ゼークトの信念は「酒、女、文学」が全てというもので禁酒・ビジタリアンのヒトラーと気質からも一致しなかったのだろう。

ゼークトの主張

ゼークトの信念はドイツの敵は英仏であり、その両国との和解は不可能、また同盟国としてはソ連と中国で、ヒトラーの追及したイタリー・日本は軍事的に無価値というものだった。ところがゼークトは第1次大戦で初期のシュリーフェンプランによるフランス戦以外はフランス軍と戦っていない。またイギリス軍とは皆無だ。ほとんど東部戦線でロシア兵を相手にした。ところがヒトラーの戦績は逆で、ほとんどイギリス軍を相手に戦った。兵隊は自分が戦った相手は戦後になると認め合うものなのだろうか。

ドイツにとり同盟国がイタリーというのはフランスを念頭においた話しだ。しかし国防軍が適格に見抜いた通り軍事力としてのイタリーは重要視できない。日本またはイギリスとなるとソ連が念頭にはいる。ドイツの軍事的な立場二正面作戦回避が目的であれば、ゼークトに軍配があがる。

すなわちソ連がドイツにとり最大のライバルであって、次ぎの問題は英仏ということになる。日本・中国というのはソ連の牽制としての意味しかない。またアメリカは孤立主義で同盟関係から除外したが、日本との同盟はアメリカに二正面作戦を強いるという点で意義がある。

麗々しく並べたがこれらは当然のことで、イデオロギーに目がかすまなければ誰でもわかる。

ヒトラーとゼークトはドイツの栄光を求めた点では同一だろう。もちろんゼークトは軍人である。そして内政には興味がない。企業が国有化されようが、社会福祉政策が実行されようが外交に影響を与えない限り、ゼークトには問題と感じられなかった。もちろん左右両翼の暴発は国防軍は座視しない。しかしそれも反乱や不統一がドイツを弱体化させると判断したからにすぎない。


この会談のあと、ゼークトは妻に「二人の目指している方向は一緒だ。ただ取ろうとしている道が違う。」と語った、と言う説がドイツに存在する。残念なことに、この4時間の会談は二人だけで行われ、余人を交えなかった。ヒトラーの政権獲得後またとくに大戦中盤以降はドイツ内政はゲシュタポに掌握されており、言論の自由は存在しなかった。

ゼークト妻の証言はその時のもので信用することはできない。もちろん否定する材料もない。ただしこの論者は必ず、ゼークトが1923年秋にクーデターを引き起こすことを計画していた、と主張する。要するにヒトラーにミュンヘン一揆で先を越され、腹いせに邪魔をしたのだと。

国防軍をドイツ史の中軸に置きたい、ドイツ戦後史家の想像に過ぎないと思われる。ゼークトはもしやろうと思えば共産党蜂起をとらえて、いつでもクーデターを実行できたはずだ。確かにゼークトはワイマール共和国の何もかも嫌いだったに違いない。しかし同時に自分の権力基盤が共和国にあることもよくわかっていた。優秀な軍官僚はクーデターを起こさない。なぜならばクーデター政権の多くは他の軍人のクーデターにより倒されるからだ。そうでないのは合法政権が社会主義者の本性を剥き出しにして突然赤色テロなど違法行為を公然と行う場合などだけである。これはスペインやチリで発生した。

ゼークトはそのような局面に遭遇せず、ワイマール共和国におけるSDPは赤色テロとは反対に極端な自由化策を取った。ゼークトは性格からも政治に向いていないことはよく承知していた。ドイツ流軍事学を学んだ軍人は権力を渇望するが歴史上優秀な政治家を派出したことはない。

ヒトラーはこれから政権を暴力をもって奪取するという選択肢を残したいから、ゼークトには全面的に賛成できない。しかし違いは驚くほど少ない。ヒトラーは政権を取ったあと、外交のみにほぼ専念し、内政には興味を示さなかった。そしてユダヤ人の領導する国際的共産主義運動を不倶戴天の敵としながら、ソ連とモロトフ=リッペントロップ協定により事実上の同盟関係にはいった。独ソ戦の勃発は、フランスを打倒してからの話だった。

ヒトラーは最終的にソ連の軍事力によって打倒された。これをゼークトは見通しただろうか。参謀本部の薫陶をうけた弟子たちはソ連を鎧袖一擲とみたようだ。独ソ戦の開始はヒトラーとドイツ参謀本部が最も対立しなかった作戦だった。

ハンフステーングルによると、ヒトラーにたいしゼークトは最後に「これでお互いにこれ以上話すことはなさそうですね。」と言った。

1936年、ヒトラーはゼークトの葬儀に出席する予定がなかったらしい。しかし国防軍首脳から是非出席するように依頼をうけ、会場で一礼だけして去った。


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