ドイツの第二帝政時代およびワイマール共和国の時代、政府統計局は精密な人口統計を実施していた。ヒトラーが政権を握ったあと1935年から1945年の間は実施されてはいるが公表数字に信憑性がない。
出典はB.Mewes, Die erwerbstaetige Jugend, Berlin, 1929
このピラミッドから幾つかの点がわかる。まず先進国に必ずみられる出生率の低下はドイツで1907年から始まった。フランスでは1850年前後と言われるから相当に遅い。
第1次大戦直後ベビーブームが発生したが、それでも1907年のピークには及ばない。
戦死による人口の減少は、男子の18歳から43歳まで広範囲にみられる。これはドイツ軍が後備旅団をも積極的に前線に送ったことを示す。またワイマール共和国はイギリスによる封鎖で75万人が餓死したと発表したが表のうえからは疑わしい。すなわち最も影響を受けるとみられる女子老人層に打撃がみられない。これはスペイン風邪によるものも含まれるはずだから、やはり通常の死亡より社会的弱者が更に多く死亡したというのは無理がある。
また留意すべき点はベルサイユ条約により、ドイツは人口の10%から12%を失ったことである。つまり1925年のバーから10%前後増やさねば同一地域の比較として難しい。ただこの時旧領土やバルト諸国から大量の難民が流入しており正確な把握は困難だ。
ただ1907年ピークの3歳児の人口が69万人で、1925年のその世代が67万人であり、自然減(0.5%と言われる。また当時0歳から2歳までの乳幼児死亡率は3%から5%とまだ高率だった。)を考慮しても人口が多すぎる。難民流入以外考えられないが、社会全体としては決して不健康ではない。
また第1次大戦により、18歳から43歳までの男子は各世代で10%から15%戦死しており不具者を加えれれば、男女間のバランスが著しく崩れたと推定される。結婚が不成立になることはともかく、選挙において女性のウェートが高まったことは容易に推定できる。
ある説ではワイマール共和国が中道政党が伸びず左右両極に分かれたのはこのためだとも言う。全くありえない仮説ではない。
そして1925年時点で18歳から25歳までの人口が異様に多い。これは1907年が人口の屈折点でありまた第1次大戦による大量の戦死者と出生率の低下の結果だが、1939年からの戦争と1952年まで続く高度成長となんらかの関係があるのかもしれない。