塹壕の構造
第1次大戦の塹壕は大規模なものは西部戦線で作られたが、同じ場所の後世(直後だが)のマジノラインとかジーグフリードラインとは異なり永久建築物ではない。ドイツの機関銃ポストは上部がコンクリートで覆われていることが多く、トーチカに値するがこれとても偽装ポストも多くつくられる程度で大規模なものではない。緒戦の戦訓ではコンクリートのキューポラ(上部脱出ハッチ)のある保塁は重砲の格好の目標となるだけで、無意味だというものだった。
そして目標とならないために無数の目標を作るにしくはないというのが塹壕の基本発想である。すなわち一部が破壊されたり突破されても戦略予備の到着を待ち全体で防御できればよい、という柔軟防衛の発想だった。もちろん多少の犠牲はつきものだという割り切りがある。
第1線壕はおよそ深さ2メートル、幅1、8メートル程度のジグザグ線だった。ジグザグとするのは一部が占領されたとき敵の射撃の見通しを悪くするためである。この程度のものであるから、ツルハシとスコップがあれば一週間もあれば応急のものは作れた。また前面には鉄条網が数線敷かれていた。しかし地雷は双方であまり用いられなかった。これは塹壕が一方で出撃拠点でもあるせいだ。
フランス軍の塹壕設計図
第1線壕の前面の胸壁(パラペット)は土嚢を積んだ程度であるが、背面(パラドス)は柴や細材で覆っていることが多い。これは砲弾の破片や弾丸が当たって飛び散るのを吸収して防ぐためである。またパラドスはパラペットよりやや高く土嚢が積まれた。これは背面からの攻撃を防ぐ意味と敵の視界を遮る目的だった。
また塹壕線がどういった形状かというのは当時厳重な秘密だった。航空写真を防ぐためにダミーや迷彩は大量に利用された。その結果西部戦線で同一の形をしたものは一つとしてない。また土質や地形は場所ごとに異なったから、更に複雑化した。
また戦線が固定化するにつれ規模も拡大された。普通前進壕は3線からなる。すなわち第1線壕1線と補助壕2線である。第1線壕からは無人地帯に縦に数ヶ所聴音壕が必要に応じて作られた。無人地帯が幅200メートルとして聴音壕は30メートル前進するからそこの双方の距離は140メートル程度でそこの哨戒は最も危険な任務である。
哨戒任務で映画にはよく寝てしまうシーンがあるが、実際は緊張で眠れるとは思えない。また各国軍法では最前線での睡眠は場合によれば死刑である。
補助壕は第1線壕と交通塹壕で結ばれていた。補助壕は第1線壕が突破された際の、防衛拠点であるとともに、仮眠所・通信室・地下壕等あらゆる施設があった。通信は当時有線電話が主力で、後方との電話線が胸壁を走った。底に埋めないのは砲弾による破壊を避けるためだがこのためにまた二重三重に敷設されていた。
また5km程度後方に前進壕と同じものが予備壕として作られた。場合によればもう一つ更に後方に作られたが、連合国よりドイツの方が用意は周到だったようだ。前進壕は幅400メートルから500メートルが普通だが、更に後方司令部、弾薬デポを巡る、軽便鉄道が敷かれていた。
また後方10キロメートルの地点には砲兵隊の基地が設けられた。そして突撃に備え前進可能なように特別に硬い道が前進壕まで伸び、また迷彩が施された観測所がところどころに設置された。
証言
ホイーラー…カナダ兵
ツルハシとシャベルで塹壕作りを命ぜられた。そこは美しい小麦畑だった。農民の秋の収穫をだいなしにするのは分かっていた。老人が傍らにスキをもちながら立っていた。若い女が雑草、葉っぱ、木の根を片付け、そして腰に手を当て立っていた。みな無言だった。たぶん父親や兄弟はどこか別の戦線に行ったのだろう。どうしようもない目をしてただ立っていた。
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