パトロール
15人程度の部隊によるパトロールは双方により常に実施された。塹壕戦でのパトロールは機動戦での存在誇示や威力偵察とは異なり、敵兵士を拉致、尋問することに目的があった。
通常は夜間、匍匐前進しいきなり敵の第1線壕に飛び込み敵兵士を連れ去るのである。パトロールにでかける兵士は顔をピッチで黒く染め、小銃の銃身を短めにしたものと剣・手榴弾だけをもって出発した。
イギリス軍がパトロールを最も多用したが多いときは大隊すなわち1千人で行ったこともあった。またパトロールは戻るときも非常に危険だった。神経質な歩哨はしばしば自軍のパトロール部隊を射撃した。
証言
H.ダンダス大尉…スコットランド近衛連隊、両親への手紙で
毎日パトロール部隊を組成している。50人で士官は2・3人だ。襲撃自体は30分もすれば終わる。敵の塹壕に飛び込み人間も含めて手当たり次第に持ってかえるだけだ。
ジーグフリード・サッスーン(第1次大戦を題材にした有名な詩人)1916年5月25日の日記。
パトロール隊は合計27人うち下士官5人士官が1人だ。全員顔を黒く塗り、ベルトに斧、ポケットに手榴弾、あるいは棍棒をもって地下壕に待機していた。二人の下士官が胸壁のむこうに現れた。どうやらドイツ軍の鉄条網の破壊点から砲弾孔をめぐってここまで石灰で白線が敷けたようだ。数分後、パトロール隊は出発し、雨と闇のなかに消えた。最後の4人は3メートルほどのはしごを持っていた。12時になった。胸壁に身を寄せ何か音がするか聞き耳をたてていた。5分10分いや15分たってもなにも聞こえない。すると突然小銃の射撃音がして、手榴弾が爆発する音も聞こえた。眼がつぶれるような閃光と爆発、人のうめき声と足音、また小銃の発射音だ。そして胸壁から人が転がり落ちてきた。何人かは負傷していた。黒い顔と青ざめた眼と唇、全部で16人しかいなかった。
アンソニー・イーデン(後の首相)自伝『別の世界で』のなかで、始めてのパトロール参加を書いて、
どうにか無人地帯の半分を越えた。プラットとリデルは敵の鉄条網の切断にかかり始めた。想像したよりはるかに太く、頑丈だ。それでも作業は進捗しあと残すは数条になった。すると突然二人ドイツ兵の頭が見え、なにやら雑草を指差していた。すぐさま身を伏せ機関銃が火を吹くのをまった。あるいは手榴弾かもしれないと思ったがなにも起こらなかった。
1時間も身を伏せたまま動かなかった。ドイツの塹壕から物音もなければ歩哨の歩く音も聞こえなかった。残り4分もすれば作業は終了すると思い、再開を決意した。仕事がまさに終わろうとする瞬間、地獄が突然目の前に現れた。ドイツ軍の塹壕が生き返った。機関銃と小銃が火を吹いた。信じられないことに弾丸は我々を狙ったものではなかった。
ドイツ軍の塹壕の近くまで来過ぎていたいたため、敵はそんな近くにいると思わなかったらしい。結果として銃火はすべて後方か我が軍の塹壕に向けられ、頭上を越えていった。
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