軍法会議

英国陸軍刑法ではいくつかの違反事項が死刑相当してあげられている。
1. 反乱
2. 敵前逃亡
3. 自己傷害
4. 命令不服従
5. 脱走または脱走未遂
6. 任務遂行中の睡眠または飲酒
7. 上官殴打
8. 敵前での武器または弾薬の投棄
9. 命令によらない任務の放擲
10. 攻撃現在地離脱
11. 敵との内通または幇助

第1次大戦中、イギリス兵のうち304名が死刑を執行された。また休戦日以降も18名が処刑された。このうち286名は西部戦線の最前線すなわち塹壕内で違反が発生した。

違反事項による処刑の分類

違反事項 1914 1915 1916 1917 1918
脱走 46 71 90 35
敵前逃亡 10
ポスト離脱
不服従
殺人 10
上官殴打
武器投棄
反乱
ポストでの睡眠
55 95 104 46

証言

サベッジ、A・・・初年兵

私は1917年、銃殺刑の執行を命令された。死刑囚は憲兵と坊主に引かれてでてきた。そして柱に括りつけられた。年は20歳ぐらいで、背はあまり高くなかった。将校が目隠しをつけに行った。すると男は急に叫び始めた。「皆のろわれろ。目隠しはいらない。いつかお前にも判事が同じ判決をくだすぞ。」

それから狙いをつけるよう命令された。手がブルブル震えた。男の左側30センチぐらい離れたところを狙った。そして射撃した。9発のうち命中したのは1発だけだった。そうか8人は同じように考えたのだ、と思った。大尉が倒れた男に歩み寄り、拳銃をこめかみにあて射殺した。何人かは気分が悪くなったようにみえ、また泣いていた。

大部分の軍法会議の処罰は医師の証言にもとづく。医師たちは人間が塹壕戦のなかで極限状態に陥り神経が破壊されてしまうことを決して認めない。医師たちは砲弾恐怖症の存在を否定するばかりでなく、患者を臆病な脱走者と主張した。


第2次大戦の旧日本軍は1941年から1944年まで年平均4500人の主として兵士を軍法によって処刑した。この時日本軍は約400万人を動員しており第2次大戦のイギリス軍の略2倍だった。この大量処刑の原因は奔敵など止むを得ない罪状があげられている。

しかし、これが本当に必要なことだったのか、または兵士に通常とかけはなれた規則が課せられていたのか、十分反省の必要がある。関係者は軍律峻厳などと寝言のような回想を残しているが、そのようなものではなかったはずだ。



参考
Babington, A., For the Sake of Example; Capital Court-Martial 1914-18, London, 1983

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