1914年7月危機

6月28日(日)
  • フェルディナンド大公サラェボで暗殺さる。
  • 暗殺犯のプリンチップとチャブリノビッチは現行犯で逮捕・収監された。ジェラード大使の回想(6)
6月29日(月)
  • セルビア政府哀悼の意を表明
  • セルビア首相バシッチ、公共の場所での政治集会を禁止。
  • サラェボで暴動が発生し、クロアチア人とイスラム教徒がセルビア人を襲撃
  • オーストリア筆頭大臣シュトルグ、サラェボ警察署長を罷免。テロリスト被疑者の収監と過激団体の解散を指令。
  • ロンドンの新聞はセルビアを口を極めて非難。ジョージ五世7日間の服喪を命ず。ロシアのニコライ二世12日間の服喪を命ず。
6月30日(火)
  • ドイツ駐ウィーン大使チルシュキー、外相ベルヒトルトにあまり強い手段をとらないことを忠告。
  • ベルヒトルト、外務次官フォルガッハとバルハオセプラッツ(外務省)で密談。
7月1日(水)
  • ベルヒトルトと参謀総長コンラート密談、ベルヒトルトは予防戦争にただちに訴えるべきだと主張した。これにたいしコンラートは戦闘開始まで動員下令から16日かかることを説明。
  • ハンガリー首相ティサはベルヒトルトの開戦案を一蹴。外交手続きを要求。

オーストリア・ハンガリー二重帝国皇帝:暗殺事件をきき、「神は挑戦をうくることなし」とつぶやいた。フェルディナンド大公の暗殺は神の摂理に逆らった大公の自業自得だということだろう。

7月2日(木)
  • 皇帝フランツヨゼフ、カイザーの弔意に感謝の返電
7月4日(土)
  • フェルディナンド大公の葬儀。
  • フランツヨゼフ皇帝葬儀終了後イスチルの別荘に直行。そこでベルヒトルトの開戦案とティサのドイツの支持を仰ぐ案と両方を見た。夜、フランツヨゼフはベルヒトルト案に原則賛成しカイザーにロシアがセルビアに支援をする際の応援方要請することを決めた。そして自筆で依頼状を認めると同時にオーストリア駐ベルリン大使スツォグイニー=マリッヒにメッセンンジャーをおくった。
7月5日(日)
  • ドイツ外相ヤゴウ、新婚旅行に出発。
  • マリッヒ、ポツダム宮でカイザーと昼食、フランツヨゼフ皇帝の自筆書状を手渡す。
    カイザーはセルビアを非難し、ロシアは戦争の準備までは手が回らないだろうと述べた。しかし首相の了解をとるまで回答を留保した。
  • ベートマン=ホルベーク首相、カイザーの無条件オーストリア支持案に賛成。夕刻、マリッヒに伝えられた。オーストリア大使は白地小切手と受け取った。
  • この日までにサラェボ事件の容疑者7人が全員検挙された。
7月6日(月)
  • カイザーは20日間の予定でバルト海・ノルウエー沖クルーズに出発。直前にチルシュキーに前日のオーストリア全面支持を伝えた。
  • ロシア外相サゾーノフ、オーストリア次席大使ツェルニンにオーストリアが理由のない要求をセルビアに加えることに反対すると通知。
7月7日(火)
  • オーストリア責任閣議がベルヒトルトの主宰で開かれた。会議は7時間続いた。ベルヒトルトは即刻開戦論を唱えるがティサの反対にあい結論を出せずに散会

コンラート:「セルビアを抹殺するのに4週間もかからないだろう。

7月8日(水)
  • コンラート軍事上の観点から秘密主義と動員のスピードで有利にたつことを手紙でベルヒトルトに要求
  • ベルヒトルトはやや軟化していたが再び、ティサを説得しようと決意。またコンラートと陸相クロバティンに計画通り休暇に出発するよう勧めた。
7月10日(金)
  • ベルヒトルト、サラェボ事件の捜査レポートを要求。
  • ロシア駐ベオグラード大使突然死。
7月13日(月)
  • ベルヒトルト捜査レポートを入手。しかしセルビア政府と直接結びつく証拠は得られなかった。ベルヒトルトは私邸で最後通牒の草案の作成にはいる。
  • クロバティン休暇に出発
  • ティサ、ウィーンに戻り、チルシュキーに開戦論に傾いたことを伝える。
7月14日(火)
  • ベルヒトルトとティサがセルビアの領土を併合しないことを条件に、強硬な最後通牒を出状することに合意した。深夜ベルヒトルトの私邸にティサ、筆頭大臣シュトルグ、蔵相ビリンスキー外務次官フォルガッハが集まり最後通牒の草案を検討し、ゴーサインを出す。
  • コンラート予定通り休暇に出発。
7月15日(水)

ベルヒトルト:コンラートに向かって「君と陸軍大臣は予定通り休暇に入った方がよい。それだと何事もないように見えるからね。

7月16日(木)
  • ウィーン駐在のロシア及びイタリー大使、本国にオーストリアがセルビアに厳しい制裁措置を検討中だと伝えた。またイギリス外務省もウィーンで何かが進行中だとの情報を得た。
7月18日(土)
  • 4日間をかけた最後通牒の修文が終了
7月19日(日)
  • 文官だけによる責任閣議がベルヒトルトの主宰で開かれ、最後通牒草案が承認された
7月20日(月)
  • 最後通牒草案がイスチルに滞在中のフランツヨゼフ皇帝により承認された。
7月21日(火)
  • ベルヒトルト、イスチルを訪問し裁可のお礼を言上。
  • ロシア外相サゾーノフ、ドイツ駐サンクトペテルブルグ大使ポウタリスにオーストリアのセルビアへの軍事行動は容認しないことを通告。
  • ベルリンにクーリエで最後通牒草案が送られた。

フランツヨゼフ皇帝:最後通牒草案を読んで「ロシアはこれを受け入れない。目をつぶっていろと言ってもダメだろう。これは大戦争を意味する。」
ベルヒトルト:人づてにそれを聞いて「これは最後通牒ではない。期限付きの外交手段(DEMARCHE)にすぎない。」

7月22日(水)
  • ドイツ外務次官チンメルマン草案を一読して、「厳しすぎる」と一言述べた。ドイツが最後通牒草案を見たのはこれが始めて。
  • グレイ、オーストリアから最後通牒草案を知らされ、ただちにドイツ大使リヒノウスキーを呼び、ドイツは支持すべきでないと説得。
7月23日(木)
  • ポアンカレ一行、クロンシュタット軍港をたち帰途につく。
  • オーストリア駐ベオグラード大使ギーセル最後通牒を午後6時セルビア外務省に手交。期限は48時間だった。
  • 地方遊説中の首相パシッチは首都に呼び戻された。
7月24日(金)
  • パシッチ午前5時ベオグラードに戻る。
  • オーストリア大使館重要書類の焼却を開始。翌日午後6時半のウィーン行き汽車を予約。
  • セルビア皇太子アレクサンダー、ロシアにアドバイスを要請。
    ロシア、「注意深く進め」と、返電。
  • セルビア、最後通牒を通信社に公開。
  • バルト海をクルーズ中のカイザー、ノルウエーの新聞により最後通牒を知った
7月25日(土)
  • セルビア、午後3時総動員を下令。
  • 午後5時55分パシッチ自ら回答をギーゼルに持参
  • ギーゼルは「もしも…仮に…」という留保条件が回答書にあることだけを確認し、ただちに大使館を閉鎖、国交を断絶し予約通りの汽車でベオグラードを後にした。
  • ベルヒトルトは午後7時23分皇帝フランツヨゼフより、すでにセルビア軍から攻撃を受けていると言って動員下令に署名をもらう。総動員開始日は7月27日と決められた。
  • オーストリアからドイツには、この日一日の動きは正式には何も伝えられなかった。
  • 小モルトケ休暇からベルリンに戻る。

イギリス外相グレイ最後通牒について「一国が他の一国に与えた最も過酷な要求

7月26日(日)
  • ロシア動員準備令を発動
  • コンラートはベルヒトルトに攻撃準備が整うのは8月15日以降だと知らせる。これを聞いてベルヒトルトはむしろ喜んだ。それまでに外交的にカタがつくと考えたようだ。
7月27日(月)
  • カイザー、クルーズを切り上げ、ポツダム宮に戻る。しかしこの日ベートマンがグレイ提案を拒絶したことを事後知らされただけだった。
  • チャーチル、イギリス海相連合艦隊に出師準備発動を指示
  • ベートマンはグレイの仲裁提案を拒絶するようにオーストリアに連絡
  • フランス陸軍、動員準備令を発動
7月28日(火)
  • プトニック、セルビア参謀総長が急遽帰国の途中オーストリア官憲に拘束された。しかし午後釈放される。
  • 午前11時オーストリア、セルビアに宣戦布告
  • グレイ、独仏伊の3国とイギリスによる国際会議を提案。どの国からも賛同を得られず。
  • ベートマン、ベルヒトルトに多少はセルビアに譲歩が可能ではないかと示唆したところ、ベルヒトルトはただちに拒絶した。
  • ベートマン、オーストリアに騙されたとして、辞意をカイザーに伝えた。カイザーの答え。「君がこのスープを料理したのだから、まず始めに食べなくては」
  • オーストリア砲艦、夜間から未明ベオグラードを砲撃。

カイザー:休暇から戻った第一声「一体なにが起きたんだ。

7月29日(水)
  • ロシア、オーストリア周辺のモスクワ・キエフ・カザン・オデッサの4軍管区に動員を下令。
  • ニッキーウィリー交換電報開始
  • ドイツ、ロシアに動員の中止を要求。
  • オーストリア駐サンクトペテルブルグ大使スザパレイとサゾーノフが面談。最後は怒鳴りあいとなり物別れ。
  • グレイ、ドイツ大使リヒノウスキーにイギリスは中立でないことを警告。
7月30日(木)
  • ベートマン、グレイにフランスを攻撃しても領土要求をしなければ中立を保つのかと質問。グレイただちに拒絶。
  • ヤゴウ外相、グレイに戦争が始まればとにかくフランスを攻撃することになると警告。
  • 小モルトケ、コンラートに全面動員を要求。
  • 午後5時オーストリア、総動員を下令。
  • ベートマン、オーストリアにベオグラード担保案を出す。
  • ベートマン、前言に反しベルヒトルトにイギリスの仲介を受けることを提案した。ベルヒトルト即座に拒否。
  • ロシア総動員を下令。
7月31日(金)
  • ドイツ、動員解除を要求して最後通牒をロシアに手交。
  • ドイツ、中立維持を要求してフランスに最後通牒を手交。
  • 午後5時15分フランス総動員を下令。
8月1日(土)
  • ドイツ、ロシアに宣戦布告、同時に総動員を下令。

ベルヒトルト:ベートマンから外交的決着を迫られて、コンラートに相談。コンラートは小モルトケの全面動員を要求する電報をみせた。そのときの叫び、「一体誰がベルリンを統治しているのか、ベートマンかモルトケか

8月3日グレイのつぶやき。「全ヨーロッパからあかりが消えて行く。もう一生のうち再びつくのを見ることはないだろう。



オーストリア内部では
ロシアの誤算
パレオログ日記

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