ドイツ陸軍


ドイツ陸軍は19世紀の数多くの軍事的勝利を背景にして、ヨーロッパにその精強ぶりを恐れられていた。ドイツ陸軍の特徴はいくつかあるが、それとはなれて他国軍との共通性も多い。というのは、ドイツ陸軍の編制から他のヨーロッパの陸軍は大なり小なり影響を受けており、むしろ不思議な共通点の方が目立つ。

ヨーロッパの5大国、英仏独墺露は英国を除いて全て徴兵制をしいていた。徴兵制は、フランス大革命直後、ジャコバン党が創始した。ドイツでは17歳から45歳までの男子は不具者を除いてすべて徴兵の義務を負った。特殊な職業従事者、軍需産業労働者と重工業労働者、一定数の農民は例外とされた。

ドイツ陸軍の兵員および士官は4つに分類された。
Active(現役)
Reserve(予備)
Landwehr(後備)
Landsturm(国民兵)
( )内は旧陸軍が与えた訳である。

17歳になると例外を除いて全ての男子は一旦国民兵となり、国民兵部隊(最大単位は旅団)に所属する。平時において、20歳まで、実際の軍務につくか否かは任意とされた。20歳に到達すると2年の兵役が始まる。騎兵と砲兵の場合は3年である。

その後をすぎると4年から5年予備兵となり、毎年2週間の訓練が義務づけられた。予備兵期間がすぎると次ぎの11年間後備兵となった。そのあと7年間国民兵となり、45歳をすぎれば兵役から除外される。戦時を除いて後備兵や国民兵が軍務につくことはない。

ドイツの特徴をなす軍隊単位は歩兵連隊である。ドイツは厳密な郷土連隊主義を採用していた。大都市は1個の連隊を出し、中都市は1個の大隊を出す。そして数個近隣の大隊をまとめて連隊とする。これが辺鄙な農村でも貫かれた。方法自体は中世時代からの伝統を背負っており名称も、フュズイリイエー(火打石銃隊)マスケテイアー(マスケット銃隊)グレナデイアー(擲弾兵部隊)などを残していた。最も古い連隊はサクソン王国野砲第12連隊で1620年設立という。

一般に現役兵としてある現役連隊の軍務についた後は、同じ連隊出身者で構成される予備連隊に所属した。その後の後備、国民兵部隊も同じ基準によった。

ドイツでは銀行員が予備役中尉であることを自慢し、郵便配達夫が予備役軍曹であることを誇りとした。これは当時でも西ヨーロッパ各国のなかでドイツだけに見られた現象だった。このことがドイツの軍国主義と結びつくかは分からない。しかし原因の一つがこの郷土連隊主義によるのは明らかだ。

この郷土連隊主義は強い仲間意識を兵員の間で生んだ。連隊の大部分皆知り合いなのである。ただ、大きな戦闘があり、ある連隊が全滅するとある地方の若者全部が死亡するという面があった。旧軍はこの方法をある程度模倣したから、この経験は日本人には分かりやすい。

数種のまた数個の連隊は師団に組織された。また2個師団で軍団が作られた。そして3個以上の軍団で軍、数個の軍で方面軍が作られた。この名称は他の西ヨーロッパ諸国でも変わらない。

多くの軍団はプロイセンに所属していたが、バイエルンは独立した3個軍団(バイエルン第1から第3)をもっていた。またザクセンも2個軍団(第12軍団と第19軍団)あった。ウユルテンベルグも1個(第13軍団)、バーデンも1個(第14軍団)あった。プロイセンにはまた近衛軍団が番号を振られたものとは別にあった。

典型的な歩兵連隊は次ぎのように組織された。

1個連隊―3個大隊
1個大隊―4個中隊と1個機関銃中隊
1個中隊―3個小隊

1個大隊は約1500人、1個小隊は50人から100人が基準とされた。

軍隊の階級

ドイツにおいて軍隊の階級は厳格で、概ね最後まで変わらず維持された。

将官

Kaiser WilhelmU  

全軍司令官

General Feldmarchall

元帥

方面軍司令官

Generaloberst

上級大将

軍司令官

General der Infanterie

歩兵大将

軍団長

Generalleutnant 

 中将 

師団長

Generalmajor 

少将

旅団長

佐官
Oberst

大佐

連隊長
Oberstleutnat

中佐

連隊長

Major 

 少佐

大隊長

下級将校

Hauptmann 

大尉

中隊長
Rittmeister

騎兵大尉または輜重大尉
Oberleutnant

中尉

小隊長
Leutnant

少尉

Feldwebel-Leutnant

准尉

Offizier-Stellvertreter

将校代理

下士官

Etatmassig Feldwebel

主計曹長

Feldwebel

上等曹長

Vizefeldwebel 

曹長

Sergeant

軍曹

Unteroffizier

伍長

Gefreiter

伍長補または上等兵

階級名は一定してない。しばしば歩兵と騎兵で名称は異なるしプロイセンとバイエルンでも異なった。ただし将官は同一である。

ちなみにヒトラーはGefreiter(ゲフライター)までしか昇進しなかった。兵役を5年以上つとめて、Gefreiter(初年兵の一つ上)というのは異例なほど昇進が遅い。功1級鉄十字勲章をうけて昇進がストップしたのは奇妙である。(功一級はドイツが1200万人以上動員したにもかかわらず死後授与も含めて288千人しか授与されず、また半数は将校とみられ、ヒトラーの受勲は極めて異例である。)種々推定があるが、本人が希望しなかった、という説が有力である。

場所(ベルギー)、日時(1914年)、所属明細(第5師団、第58擲弾兵連隊)等( )以外不明だが連隊将校の集合写真である。中央が連隊長(大佐または中佐)と思われる。佐官以上の上級将校はピッケルハオベは戦闘行動中は着用していなかったことがわかる。ドイツ軍は前線へのカメラ持ち込みを自由とした唯一の軍隊(後にアメリカが加わるが)で、記録写真という点では他を50倍以上離している。やはりライカの国のせいだろうか。当時イギリスで写真機をもっていた家庭はほとんどなく皆出征前に写真館に立ち寄った。またイギリス陸軍は双眼鏡が全てドイツ製のため戦中に不足した。そのためスイス経由でドイツから輸入を図りドイツはそれを快諾したという嘘のような話しが残っている。

ドイツ軍は将校でも士官学校卒業組み将校と予備役将校では人生態度に差が有り、士官学校卒業組み以外では、全員が昇進に熱心とはいえない。ただし郷土連隊主義のため生涯、戦友愛は残りまた、在郷軍人会や退役軍人会の活動は大都市でも活発だった。

つまりドイツ人男子は一生どこかの連隊に属していた感覚が残った。ヒトラーの属したリスト連隊(バイエルン予備第16)から初期のナチス指導者が輩出したのは偶然ではない。

1914年8月ドイツは約400万人の兵員をもって予備・現役84個師団を総動員し、うち72個師団を直ちに東西両戦線に送った。そしてこの予備師団・現役師団のほかに後備旅団・国民兵旅団等は別に存在し更に各連隊は少なくとも補充用に1個大隊を編成地に後置していた。しかもこれをほぼ15日間で終了させているのだから恐れ入る。隣接した仏露の恐怖感は想像できる。ちなみに第2次大戦・真珠湾直前の日本の動員は49個師団(国内留守の新設師団除く)でかつその時の人口は1914年当時のドイツの二倍だ。



Nash,D.B.,German Infantry 1914-1918, London,1971
Ruhl,M., Die Deutsche Armee, Leipzig, n.d.
Rosinski, H., The German Army, London, 1939

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