オーストリア陸軍


オーストリア陸軍の根幹をなすのは軍団であった。総動員のとき、16個軍団を予定し、平時に各軍団は各地方に本営を置く鎮台方式だった。これは領内の治安維持が一方の目的にあったためと思われる。

各軍団の本営所在地は(呼称は当時政府;括弧内は現地語または通称)
第1軍団  クラカウ
第2軍団  ウィーン
第3軍団  グラーツ
第4軍団  ブダペスト(ドイツ語;オウフェン)
第5軍団  プレスバーグ(チェコ語;ブラチスラバ、ハンガリー語ポウツシェーニー)
第6軍団  カーシャウ
第7軍団  テメスバール
第8軍団  プラハ(ドイツ語;プラーグ)
第9軍団  ヨゼフシュタット
第10軍団 プルゼミスル
第11軍団 レンベルグ(ウクライナ語;ルウォウ)
第12軍団 ヘルマンシュタット(ルーマニア語;シビウ、ハンガリー語ナジスツェベン)
第13軍団 アグラム(クロアチア語;ザグレブ)
第14軍団 インスブルック
第15軍団 サラェボ
第16軍団 ラグーサ(クロアチア語;ドブロブニック)

第1次大戦開始時は16個軍団で、6個軍を編成し、ガリシアとバルカン両戦線に振り分けた。実際はガリシアに4個軍を集中したが、ロシア軍は編成中を含め5個軍をガリシアに集中させることに成功し数量で圧倒された。

1900年代以前では普通軍(KuKカイザーとケーニッヒ=皇帝と王),帝国軍(KK カイザーのケーニッヒ=皇帝の王)ハンガリー王国軍(KU ケーニッヒ・ウンガリッヒ ハンガリー王 また一般的にはHonved)と3分類された。そのうち外征軍としては普通軍があたる了解があった。この分類は連隊レベルで区分けされていて、帝国軍とハンガリー王国軍は普通軍の予備連隊に相当していた。しかしコンラートによる軍制改革で3軍とも第1線部隊として有効とされ、予備部隊として国民兵大隊が整備された。

軍隊の民族構成は、ドイツ人三分の一で半分はスラブ系といわれる。現役士官はすべて士官学校卒業を必要とした。また大学生は1年志願で教育を受けることで予備士官に登用された。戦時では登用試験で仕官となる道は広範囲に拡大されたがそれでも士官の数は不足した。1915年6月までにオーストリア軍は現役師団の42%(捕虜だけでも50万人に達した。第2次大戦最大の攻防スターリングラード戦でドイツ軍が降伏したときの捕虜が16万人)に達する損害を受けた。

ポーランドで休憩するオーストリア軍歩兵部隊。帽子はケピでフランス流、夏衣は、カラーなしのシングルブレストで通常、写真の通り背嚢や弾薬を背負うことをしなかった。このように兵站についていえばオーストリア軍は極めて優れていた。また唯一軍装が色彩を除き始めから最後まで変わらなかった。

それでも人口52百万の帝国から補充兵を集めることは難しいことではなかった。問題はその質だった。新兵はほとんど訓練を受けることなく前線へ送り出された。また下士官は士官を越える不足で、オーストリア軍は戦争初年度にして常備軍の中核となる部分を喪失したのである。
1915年5月には第28師団がガリシアでなんら戦闘を交えることなくロシア軍に全師団降伏した。第28師団はプラハ組成の第8軍団に属していて、中心はチェコ人だった。この1年後あたりからオーストリア軍は脱走・命令外降伏が続出する軍となっていった。

原則として1個軍団は2個師団、1個師団は2個旅団、1個旅団は2個または3個連隊で編成された。これは他の諸国と変わらない。普通軍は102個の連続数の連隊があったが、他に4個のチロルイェーガー連隊と2個のボスニアヘルツェゴビナ連隊があった。この6個は山岳地帯のスポーツクラブが中心となった、山岳戦の専門集団だが、始めガリシアに送られ全滅に近い打撃をうけた。

平時は1個連隊1600人だが戦時は4000人近くに増員され、中隊ごとに機関銃小隊が付属された。戦争後期になると野砲大隊が連隊ごと2個増員となりさらに軽機関銃中隊があらたに大隊ごとに配属された。補充は各連隊ごと毎月実施され、また800人で構成される輜重大隊が常時付属した。このように補充・兵站は冬季カルパチア山中を除けば比較的問題がなく運営されたが、士気の改善に役立つことはなかった。

また損害が激しかったこともあるが、オーストリア軍は戦時中でも兵力の増加があまりみられなかった。すなわち16個軍団制から最大時24個軍団に増加しただけである。

オーストリア軍は比較的装備も良好であり、戦闘服は1905年以来薄茶の迷彩服を着用していた。しかし1916年のブルシロフ攻勢により再度の大打撃をうけた以降はドイツ軍と中隊単位で混成されることが多くなった。このため制服もドイツ軍のフィールドグレイに代わり、帽子もフランス流のケピからドイツ軍のシュタールヘルム(石炭すくい型ヘルメット)に代えられた。

マリアテレジア勲章



Czernin,Count O.von, In the World War, London, 1919
Lucas,J., Austro-Hungarian Infantry Uniforms 1914-1918,London,1962
Rauchensteiner,M.,Der Tod des Doppeladlers.Osterreich-Ungarn und der Erste Weltkrieg, Vienna,1993

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