サマナ山地攻防戦はダルガイ山地攻略に先立ち、アフリディの攻撃からそこにつくられた砦を防衛することにより発生した。時期は1897年9月で、アフリディがカイバル峠を占拠した直後に起きた。砦の守備兵はシーク第36大隊で、兵士の主力はシーク教徒で将校にはイギリス人が6人いた。
サマナ山地はカンキ渓谷の南にあり長さは30マイル、標高は2000メートルに達する所もある。1891年以降英印軍はここに2ヶ所の砦を築いていた。ロックハート砦は高地の中央、グリスタン砦が西端に位置していた。砦は長方形で四隅に銃眼を設けているだけの簡単なもんのだった。ロックハート砦は300人、グリスタン砦は200人の守備兵を収容できる。また両方の砦は3マイル程離れていたが、その中間にサランガリと呼ばれる連絡所があった。またロックハートの東にもサンガルと呼ばれる通信所があり、平野部との連絡を行っていた。
サマナ守備隊の司令官はホートン中佐代行で45歳、この他のイギリス人将校は5人でそれまでに実戦経験があるのはマン一人だけだった。シーク教徒将校も7人いてこちらは第二次アフガン戦争などに参加していた。ロックハート砦の隊長はホートン自身だが、グリスタン砦の隊長はドボア少佐だった。ドボアは妊娠中の妻・子供と乳母を連れて勤務についていた。他の将校の家族は危険を察知して既に去っていた。
サマナ将校団、中央がホートン
最初の襲撃の兆候は8月15日ロックハート砦に銃弾が撃ち込まれたことだった。そして8月27日4200人のオラクザイ部族兵がグリスタン砦の西1マイルに砦を築き始めた。マンは偵察に行こうとしたが途中で銃撃されブレア少尉が重傷を負った。その後事態は鎮静化するにみえた。ドボア少佐の妻は女子を出産した。名前はバイオレット・サマナと名づけられた。しかし9月3日になるとオラクザイ部族は約5000人でグリスタン砦を急襲した。ホートンは救援のため、50人を連れてグリスタンに向かい途中15人をサランガリに残した。
オラクザイの攻撃は夜を通して続けられた。しかしグリスタン砦の周囲には茨でバリケードがしつらえてあり、なかなかそれを越えることができない。そして攻撃は徐々に退潮となった。9月9日、平野部中央のハングからイートマン・ビグス少将の率いる2000人の部隊が1ヶ月分の篭城資材を持ってロックハート砦に到着した。ビグスの見積もりではサマナ周辺では1万人に達する部族兵が決起しており帰途も不安な状態にあるという。砦にある水では大軍を養うことができずビグスは2日いただけで平野に引き返した。ビグスは予想された通り途中襲撃を受け15名が殺傷された。
オラクザイはビグスが撤退したとみて勇気づけられた。9月11日にサンガルに夜襲をかけた。しかしこれは失敗で撃退された。すると翌朝から次の目標としてサランガリに攻撃を集中し始めた。サランガリにはイギリス人将校はおらずシーク教徒のハビダール・イシャールシンが指揮をとり21人が守備していた。部族兵は北西隅の建物の基礎石を崩壊させ、建物の倒壊を狙った。これをグリスタン砦から観察したドボアは直ちにホートンに連絡した。ホートンは3時93人の増援部隊を送ったが、3時半に建物は倒壊し部族兵はサランガリに突入した。この時残っていた19人は白兵戦を戦ったが数で圧倒され全員殺害された。
戦闘後のサランガリ連絡所
サランガリの残った建物を焼き払うと、再度グリスタン砦が狙われた。ドボアは四隅に見張りを置き警戒させた。夜通し何か石がぶつかる音がしたが、12日朝見ると、茨のバリケードから20ヤードもしない距離に石垣ができていた。その日も日中射撃をそこから浴びせられた。13日早朝8時、ハビルダール・カラシンを隊長とする決死隊が砦から出撃、石垣に篭る敵に突撃した。しかし激しい銃弾を浴びせられ地面に伏せるだけとなった。これを見て更に11人が加わり、ついに石垣に到着し部族兵を追い出しそこにあったオラクザイの軍旗3流を奪った。その時カラシンに銃弾が命中3日後死亡した。この突撃は守備兵の士気をおおいに盛り上げた。
しかし周辺からの銃弾は絶え間なく、またロックハート砦からの応援は部族兵の数が多く途中で圧倒されると予想され期待できない情況だった。ビグスはサマナが再度襲撃されたとの知らせを受け取り直ちに救援部隊の派遣を命令した。それは騎兵2個中隊と4門の山砲をもつ砲兵隊だった。13日午後7時から砲撃が開始された。どの方角から砲弾が来ているのかわからずオラクザイは次第に動揺し始めた。14日10時、救援部隊が近づくのをみてホートンは50名を連れて出撃を決意した。
この時グリスタン砦にはまだ8000人の部族兵が取り巻いていたが、弾着が近づくにつれ浮き足立ち撤退を開始した。14日午後1時戦闘は終了した。サマナは連続52時間包囲されたことになる。戦死者はサランガリの合計21人を加え25人だった。その後サマナ守備隊はダルガイ攻撃にも参加し、その最後ワラン渓谷の戦闘でホートン中佐は戦死することになる。
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