パレオログはロシア2月革命の混乱の続くさなか、ロシア外相ポクロウスキーと純粋歴史の実証的な検討を話し合った。これまでも同盟政策や個人的野心またドイツ世界制覇の野望などを話題にしてきた。
パレオログは第1次大戦の原因の第一をなすものは日露戦争だとして、その論証を行った。これは1917年2月25日の日記の抜粋である。
「まず、とりあげねばならないのはカイザーの2本立て芝居である。」
ポクロウスキー「本題に入るに当たって、あまりその時の外交に知識はないのですが、カイザーが日本にわれわれを攻撃しろと扇動したのは事実ですか?また、その時、カイザーは確かに我々に譲歩する必要はないと力説しました」。
「それは本当です。ドイツがロシアに与えた、助言と激励については、あなたがたの文書を調べればわかることです。また同僚のネラートフが書いた良い報告書があります」。
「ネラートフによれば、1897年以来カイザーは常にあなたがたの目に極東の幻影をちらつかせていました。旅順の租借をそそのかしたのはカイザーです。黄禍論の幻想を再三再四言いまわったのもカイザーです。そして、フランスを利己的な国だとして非難し、ロシアをアジアへの冒険に駆り立てようとしたのです。そしてそれに成功すると、満州でのロシアの功業を誉めそやしたのです。そして、あなたがたが日本と衝突すると今度は、『もし汚いチビの猿どもが大胆になるならばドイツ艦隊は中国水域に支援に赴く』と秘密の約束を与えました。1903年末に向かい、フランスが鴨緑江事件の名誉ある解決を模索している時、カイザーはあなたがたの軍隊が極東にある時、ヨーロッパでは事を起こさないと約束しました。奉天会戦の敗北まで、カイザーはロシアに戦争を継続するように、兵力派遣を増加させるように、この破滅的な紛争にありたけの国富を投入するように助言し続けました。それがカイザーのロシアに対する態度です」。
「もちろんカイザーはこう言うかもしれません。『ロシアに与えた助言は失敗だったかもしれない。しかしロシアには受け入れない自由もあったのだ。もちろんロシアがヨーロッパで弱体化することを望まなかったわけではない。しかし政策だよこれは。そしてドイツには良かった』」。
「これだけであれば、カイザーの行動を非難するのは厳しすぎるかもしれない。しかしカイザーはあなたがたをいい気持ちにさせ扇動する一方で、秘密裡に日本が反攻に出るよう工作しています。日本に先制攻撃を示唆するとともにこうも言っています。『ロシアとの対決で失うものは何も無い。得るものだけです。あなたがたの友人のイギリスは日本が滅ぼされるのを黙って見過ごしません。フランスはそのうちロシアを見捨てます。私の個人的な貢献は中立を約束することです』」。
「実際に1904年2月8日、旅順で日本の駆逐艦3隻が無警告であなたがたの巡洋艦3隻を突然襲撃し沈めました。カイザーのこのような行動を伝統的な政治的プロセスとして許すことができるでしょうか。これは詐欺、与太者の行為、そして二本立て芝居です」。
ポクロウスキーは唖然として坐ってしまった。それから腕を投げ出した。「あなたはそのようなマキャベリズムがこの20世紀にあると言うのですか?」
「その通りです。これは20世紀に起きました。しかし数千年の歴史をもつマキャベリズムに百年は重要ではありません。現在行われている戦争をみれば世界が昔より賢くなったとはとても言えません。未来は常に過去の産物です」。
ポクロウスキー「それでは人道はどうなるのだろうか?しかしあなたの言ったことは本当に真実ですか?そしてどのように知ったのですか、失礼にならなければ教えてください」。
「日本政府はドイツの激励に仰天し直ちにイギリス政府に通知しました。イギリスはカイザーの脳の構造をよく知っていました。東京で戦争熱がこれにより加速されたのは事実です。私は1913年にパリにいたイギリス大使からこれを聞きました。彼は1903年には外務省次官でした」。
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話はやや時代がかかっているが、この話は現在までの所、概ね誤りはないと認められている。また日露戦争開始直前の1904年1月13日、フランス外相デルカッセが本野駐仏公使に、ロシアとの交渉仲介を申し出ている経緯がある。
ただ事件をカイザー個人の発想からだとパレオログは説いているが、これはドイツ外務省が主導して企てたことである。鴨緑江事件(龍岩浦事件)はカイザーの扇動に乗ったニコライ二世のイニシアチブで開始されたし、ドイツはタンジール事件を日露戦争中引き起こし、英仏協商の立役者デルカッセ外相を罷免に追い込んだ。
第一次大戦直前の小さい戦争、バルカン戦争やリビヤ戦争が第一次大戦の原因、と説く人々がいるが、実は大国同士の戦争でなければ、後の大戦争に影響を与えることはない。第一次大戦は、小さい戦争のバルカン戦争を、同盟状況をみても戦闘状況をみても、反映していない。同様に第2次大戦は日華事変を反映していない。おそらく朝鮮動乱やベトナム戦争、湾岸戦争も、小さい戦争であり、大戦争を防いだといえるかもしれないが、大戦争を惹起させるものではなかった。
その考え方で行けば、普仏戦争と日露戦争の影響を重視せねばならない。
龍岩浦事件について、日本の一般的解説では、ニコライ二世が、ウィッテなどの助言に従わず、アレクセイエフ極東総督の暴走に裁可を与えたとされるが、背後にドイツ外務省のこのような陰謀があるとすれば、国内政争による偶発事件ではない。日英同盟第一条に規定される韓国への侵略に該当し、日本がこの事件をもって開戦決意をなしたことは、当時の国際安全保障のあり方では当然である。
中立国または緩衝国に軍隊をいれる行為が危険なのは、第1次大戦のベルギーの中立侵犯を想起すれば十分だろう。また太平洋戦争の前、日本は南部仏印に進駐したが、シンガポールを考慮すればアメリカやイギリスが経済制裁に出て強く反発したことは、予想しうる事だった。
このようなドイツのマキャベリズム外交は、チンメルマン・ノート事件でもみられるが、当時の外交常識からも反していた。外交は謀略より長期の信頼関係が重要である。パレオログ日記により、鴨緑江事件に驚愕したフランスが、ニコライ二世に自制を促したことがわかるが、不承不承に砲台建設を中断しただけであり、日本の要求に誠実に応える姿勢はなかった。フランスの助言を重視すれば日露戦争は防止でき、そして第一次大戦も革命も防げたかもしれない。
そして日本が戦間期ドイツとの同盟に走ったのはなぜだろうか?詐欺、与太者外交をする国と深付き合いしてはならない。
石井菊次郎
またニコライ二世が日露戦争の渦中、タンジール事件でフランス応援できずまた直後オーストリアによる、ボスニア・ヘルツェゴビナの併合の際、フランスが非協力な態度をとりロシアは屈服を余儀なくされたことを悔しく思ったのは想像に難くない。この印象をもち続けたとすれば、フランスの支持が期待できるとすれば、強硬な姿勢を維持することは人とすれば普通の反応かもしれない。君主とすれば相応しくないかもしれないが。
ボスニア危機
そしてドイツは単純に7月危機で、ロシアに対しては強圧的な言辞のみで手を引くと考えたのは疑いない。少なくともボスニア危機よりもドイツ・オーストリアにテロへの対処という点で理があるように見えたのだから。
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