1912年4月参謀総長ジリンスキー名で公布されたものである。多分に当時のフランス軍の歩兵操典に影響されている。恐ろしいばかりの攻撃一辺倒であるがこれはロシア軍に限らず、第一次大戦に参戦した各国軍にあてはまる。
あるドイツ軍将校はこれをみて書いてあることはよいがロシア人は何一つとして実行できないと揶揄した。ドイツ人らしい自らのみ武勇に優れるといった狷介な発言である。しかし第二次大戦で痛打を浴びることになる。
ちなみに帝国陸軍1909年制定の歩兵操典に「歩兵戦闘の主眼は射撃をもって制圧し、突撃をもって之を破摧(はさい)するに在り。射撃は戦闘の経過の大部分を占めるものにして歩兵の為緊要なる戦闘手段なり。しかして戦闘の最終の決を与うるものは銃剣突撃とす」とある。
これを根拠に帝国陸軍は白兵戦戦術に力点を置いたと主張するむきが現在の史家でも主流である。しかしロシアに限らずどこの国の軍隊でも当時はそのような思想であり、これはその後も改められていない。白兵戦主義に対置されるのは火力優先主義だが両者は互いに矛盾しないことに注意すべきだろう。火力優先主義だけなど、あらゆる陸軍に存在しない。陸戦の目的はライフルを持った歩兵がある地点に軍旗をたてることにある。それは20世紀を通じて変わることがなかった。ライフルも火力であるに違いない。
銃剣
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