ルノーFT17(初めフランス語でChar Canon=砲車と呼ばれた。その後はChar leger軽戦車)は近代的戦車の源流を作った。それは旋回型の単一砲塔を上部に装備したという意味であり、爾後の成功した戦車は現在に至るもその原型を維持している。
フランスの戦車開発はイギリスには遅れたが1916年初頭には開始された。当時フランスの軍需産業は著しく寡占化しており、シュナイダー(ホッチキス)・シトロエン・ルノーの3社で小火器・砲弾・重砲まで賄われていた。フランス陸軍省は戦車の開発にあたりルノー1社に委託した。
この戦車をデザインしたのはルイ・ルノーで、到る所にルノーのそれまでに蓄積した設計技術(トラクター・自動車・飛行機)が生かされている。すなわちイギリスの重戦車マークTと異なり徹底したコスト管理と軽量化を図り更に乗員を2名とするなどの無駄を省くことまでした。これはイギリスの戦車が軍人によって仕様の大半が決定されたのに反し、フランスでは民間部門がそれを担ったことの結果でもあった。
火力は機関銃または37ミリ砲で、道路上で時速7.5キロが最高速度とされる。
終戦までにおよそ4000台が生産された。ペタンは最終攻勢でこの戦車を一挙大量使用することで戦線の突破を図ろうとした。この時尖兵となったのは予備軍(ファオーユ)で攻勢幅16キロとして常時400台を投入した。フランス軍は這う射撃を併用しており、直協の歩兵、工兵、砲兵が一体となり前進するのが常だった。
ただ欠陥は故障しやすいことで、場合によれば半数程が故障で立ち往生した。
この戦車は戦争終了時に3000台ほど残存していたため、フランスは戦後輸出に踏みきり世界のあらゆる国で使用された。このプロトタイプが最も残ったのはチェコの38t戦車といわれる。これの製造元のスコダ社はフランスのシュナイダー社の関連会社である。
ルノーFT17戦車を最後まで使ったのはドイツ軍のパリ駐在部隊で1944年の連合軍のパリ開放直前まで市街を徘徊していたという。
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