1926年の常任理事国増加問題


1926年シュトレーゼマンの提唱により、ロカルノ条約が締結されると、ドイツは国際連盟加入が認められた。それに伴いドイツが常任理事国になることは、既常任理事国(日・英・仏・伊)には当然のこととうけとめられた。

ところが、従来よりスペインは、常任理事国に加えられて当然だと主張していた。これは今日からみて特異と思われるかもしれないが、スペイン語を喋る南米諸国のためである。すなわち加盟45ヶ国のうち、18ヶ国がスペイン語を公用としていた。すると、伝統的に南米でスペイン勢力に対抗してきたポルトガル語のブラジルも承知できず、常任理事国となることを要求した。

こうなると、第1次大戦の経過で最も断乎として最後まで戦ったベルギーも常任理事国を要求した。さらに大国を自称するポーランドも名乗りをあげた。

この時、運悪く(よく?)理事会議長は日本の番であり、石井菊次郎が議長となった。1926年3月4日から秘密理事会が開催されたが、議事は紛糾し、午前午後通しで開催されたものの結論は出なかった。3月8日からは総会も開催されたが、理事会も続行した。

スペイン・ブラジルも譲らず脱退を仄めかすにいたった。石井は仲裁できず、ドイツの理事会加入を認め、9月までに独立委員会で結論を出すという収拾案を出した。ところが、総会では非常任理事国の増加を求める議決も採択され収拾は困難な情況となった。

石井菊次郎は後年、もしスペインとブラジルの加入を認め、そして当然常任理事国となるべきアメリカとソ連が加われば、常任理事国は9ヶ国となる。ポーランド・ベルギー輪番とすれば10ヶ国である。これに非常任理事国を同数とすれば、これまた10ヶ国となる。合計20ヶ国であり、これでは第二総会と異ならない。と術懐している。

しかし、常任理事会で、ドイツの加入は認められたが、石井仲裁案をきき、スペインとブラジルは直ちに脱会を宣言した。

この後、委員会で5常任理事国に加え、非常任理事国6ヶ国が9ヶ国に増やされた。ただ、1928年スペインは連盟に復帰したが、ブラジルはついに戻らなかった。



石井菊次郎 『外交余録』 岩波書店 1930

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