挙国一致内閣

1914年9月3日、戦争が勃発すると、イギリス上下両院は、17日、停会となった。BEFは、志願兵からなる常備軍によって構成されており、動員終了後、アミアン周辺3港に上陸、モーブージュに集中を開始した。このBEFの動きはいっさい議会に報告されず、議会各会派も要求しなかった。

当時のイギリスは議会多数党党首が首相となるとされていたが、首相が行政各省を指導することはできず、大臣が各省次官(permanent undersecretary)を通して政策を実行していた。次官以下の行政官の権力は現在をはるかに上回っていた。

グレイアスキスの口頭承認を得ていたと思われるが、行政官のつくった最後通牒を議会に諮ることなくドイツに交付した。キッチナーはデュバイユ=ウィルソン協定に従って、BEFを大陸に派遣した。チャーチル海相は、フィシャーの計画通り、艦隊を出師準備発動した。これらの決定は新聞が各省の発表を得るまで、いずれも報道されなかった。

政党政治

イギリス議会は1910年総選挙のあと補選によって、多少党派代議員数が異動しただけだった。

自由党
260
保守党
288
労働党
38
アイルランド国民党
83
 

自由党は労働党とアイルランド国民党の支持を得て、議会多数を制していたのである。戦争についてはいずれの党派も賛成していたが、労働党と自由党には反対者がいた。

自由党:「ベルギー中立侵犯を問題とし、これが解決すれば妥協可能」
保守党:「ドイツはイギリスの宿命の敵であり勢力均衡を崩し、海外権益を狙っている」
労働党:「労働者がヨーロッパで戦っている以上、応援せねばならない」
アイルランド国民党:「ヨーロッパでオーストリア=ハンガリーが倒れれば、チェコ、ポーランドなどが独立し、アイルランドも独立の機会が得られるに違いない」

4者4様であったが、アスキスは労働党とアイルランド国民党は自由党を離れることができないと信じていた。ところが、アイルランド自治法案は戦争勃発とともに施行延期となり、鬱然たる不満がしょうじていた。労働党にしても独立の気運があった。

11月1日から通常会がもたれたが、アスキスが議会に戦争概況について説明したのは、3月1日の1回だけであった。しかもフランス戦についてはまったく触れられなかった。

一方、キッチナーは上院議員でもあり、月1回、上院で戦闘概況を報告した。しかし次官に下院で説明させようとしなかった。

情報を得られない国民は憤るどころか、軍事情報の秘匿に積極的に協力し、政府の志願兵募集に熱狂的に応えた。

1915年5月政変

ヒューインス、William Alfred Samuel Hewins(1865-1931)
鋼材商の子として生まれた。オックスフォード・ペンブローク卒業。専攻は数学であった。ウェッブ夫妻と懇意であり、彼らが創設したロンドン大学(London School of Economics)の初代塾頭となった。1912年補選で下院議員となり、1917年からは植民省政務次官。

政変は突然発生した。5月7日、軍事機密保護法(Defence of the Realm Act)の委員会審議のさい、アイルランド国民党のレドモンドは突然、議事を本会議にかけることを提案した。

形式としてはアルコール専売法に関連してであったが、本当は砲弾不足問題に関してであった。このとき保守党内には若手を集めた保守党政策委員会(Unionists Buisiness Committee)があり、それに呼応しようとした。

ボナー=ローはこれを抑えようとした。5月13日、議会が5月祭休暇(Whitsuntide recess)に入る直前、UBCに延期を求めた。

しかし、ヒューインスが抵抗した。彼は学者上がりであり中途半端な妥協を嫌う性格であった。5月17日、ボナー・ローに砲弾不足問題の議事を強行すると伝えた。

翌日18日朝、アスキスはロイド=ジョージを介してボナー・ローを呼び、挙国一致内閣設立を申し入れた。話は15分で終わった。ボナー・ローはUBCが成功し議会解散になることを怖れた。そうすれば保守党が選挙に勝ち、単独過半数となり、徴兵制実施が課題になり、国論が二分される。保守党が徴兵制をいえば自由党は必ず反対に回ると読んだのだ。これは国家の破滅につながる。

ボナー=ローはリベラルの弱さ(反対のための反対)を心底から理解していた。

挙国一致内閣

アスキスとボナー=ローともに、この政局を隠蔽しようとして、5月15日のフィシャーの軍令部長突然辞任に帰することに一致した。

挙国一致内閣にはロイド=ジョージが軍需相として参加した。彼は各種兵器生産増強に貢献した。UBCは情報を外に出すこともできず、選挙も否定され、事実上解散に追い込まれた。自由党若手も落胆した。自由党単独内閣が倒れた。

マッケナは蔵相としてランシナンは商工相として残った。両方ともリベラルであったが、志願兵徴募のままでいいのか、放任自由経済を維持できるのかという点で解答を出せなかった。

徴兵問題と自由経済の問題は重要課題として残った。


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