ロイド=ジョージのソンム戦の回想

ロイド=ジョージは第1次大戦について様々な回想録を残しているが、以下は1933年に書かれボストンの出版社に持ち込まれたもので、あと「戦争についての回想」Vol3の一部となったものである。当時からイギリスはアメリカより出版点数が多く(驚くべきことに今も変わらない)著者は常にアメリカの読者を意識していた。

ロイド=ジョージ(当時軍需大臣)はソンムで攻勢に出る戦争指導そのものを手厳しく批判した。

ジョフルは隠れて喜んだことだろうが、イギリス軍はサロニカからも背を向け再度西部戦線、ソンムに向かうことになった。今日に至るまでベルダンの戦いはこの地上で戦われたものとして、最も血腥いものとしてランクされている。損害は双方合計で100万人以上となった。これはドイツがベルダンを攻略しようとして発生したものではない。既に失敗したとわかっており、実際上停滞に瀕していたドイツの攻勢をたかだか弱らせるだけの目的で発生した。

5月ジョフルは「ドイツはベルダンで負けた」と言った。もしドイツ軍を拒止している残っている保塁の周辺で戦おうとするなら、我々は弱っているフランス軍の増援に向かえばよい。戦闘地区に派遣するか、フランス軍の受け持ち区域を引き受ければよい。

またソンム戦はロシアを救うことにもならなかった。この巨大国はドイツの大砲に追われ最早無秩序の状態に向かっていた。その時海鳴りの響きが聞こえていたのだ。これはソンムの砲声によるものではない。既に難聴となっていた我々の耳には聞こえず、そして曖昧にしかもの事を見ることができず、ロシアに近づきつつある破局に気づくことがなかった。それゆえにそれを防ぐことができなかった。ソンムで使用された3分の1ほどの大砲と弾薬が別の川、ドニエプルに到着すればロシアは大勝利を得ることができ、そして戦後革命が起きたとしても違った形をとっただろう。

一方ソンム戦はドイツ陸軍のその原型をなした将校と兵士を殺害することにより、それを滅ぼしたと主張されることがある。ソンム戦は1914年と1915年に募集された志願兵によって戦われた。これらの人々は最良のまた選ばれた若年層から成っていた。将校の大部分はパブリックスクールまたは大学から来ていた。40万人以上の我々の若人が単純な正面攻撃で倒れ、下級将校の戦死者は想像を絶する数となった。イギリス公式戦記は第1次攻撃について次のように記す。

連合王国とアイルランドの最良の若者の破滅的な損失によっても最小の土地を奪うことしかできなかった。

そして公式戦記は全体の戦いについて英軍が果たした効果について次のように要約している。

装備や戦術について改善されることは今後もあるかもしれない。しかしこの時示されたフランスにおけるイギリス軍の訓練・士気・統制に及ぶことはあるまい。そして将校と兵士の質と精神の気高さも及ぶことはないだろう。損害は重大なだけでなく取り返しが不可能なものだった。

もしドイツがアメリカと喧嘩をするような愚行をしてその力のある国民を戦争に引きずり込むことがなければ、また別の巨人、ロシアを脱落させることに成功した以上、ソンム戦が我々にとり何か長期的に役立ったということはなくむしろ敗戦の原因となっただろう。公式戦記に記載のあることだが、ポアンカレがこの大戦で生まれた偉大な兵士フォシュがソンム戦に反対だと言ったことを伝えていることに、全く驚かない。たまたまこの発言があったときのことだが、バルフォアはこの攻勢作戦をフランス参謀本部から聞き、私に次のような感想を述べた。

フランスは兵士の欠乏に直面している。にもかかわらず更に減らすようなことを仕出かそうとしている。

この時バルフォアはフランス人にこれは間違いだと直言するつもりがあったのだ。

戦争指導者として極めて率直な回想だと思われる。やはり政治家の回想には全戦略についての判断が含まれており、軍人のものが細部にこだわるのと比較すれば視野が広い。

またこの回想は17年後のもので、いくらか結果論に近いものも含まれている。ソンム戦はフランスのジョフルが言い出し、1916年の連合軍の最大の攻勢として予定された。それがベルダンでドイツ軍が攻勢に出たことによりイギリス軍が中心となり、あたかもイギリスがイニシアチブをとったように見えた。ロイド=ジョージはこれを否定あくまでフランスに慫慂されたものだという立場を崩さない。

またロイド=ジョージは戦術面でも戦略面でも正面攻撃を嫌い迂回作戦を好んだ。これは当時政界の寝技師と呼ばれた面目が躍如としている。この時ロイド=ジョージはバルカン戦線すなわちサロニカからドナウ河方面に打通することを考えたようだ。だが、ここは山岳地帯で正面は隘路であり、戦術的に迂回作戦が取りにくい地形である。あまり現実的とは思われない。ロイド=ジョージはその後も西部戦線を嫌いイタリー戦線に期待した。

ドイツの正面入り口が西部戦線だとすれば。裏口は東部戦線しかないのではないか。

ジョフルとヘイグは大量の準備射撃により突破が成立すると誤った決心を行なったわけだが、これを後世の目から批判することは易しいが、どう考えるべきだろうか?

そしてロシア軍についても誤解がある。ロシアの戦敗は1915年を除いて装備や砲弾不足によるものではない。やはり政治体制上の問題が存在していたと考えるべきだろう。

しかしながらロイド=ジョージは正しい。ソンム戦が愚行であり避けることが可能だったと明言した。翻って日本で敗れた戦争の太平洋戦争についてこれほど自らが失敗したことを、指導した人間から率直に述べられたことがあるだろうか?敵の陰謀に引っかかったの類は卑劣な弁明である。



ロイド=ジョージの光と影

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