ドイツ軍を貫く内部対立で顕著なのは東方派と西方派の対立だった。そしてこの対立軸は決して人事抗争的なものではなく、戦争指導の路線と戦争目的そのものをめぐって争われた。
そしてこの抗争は大戦終了後も続き、ヒトラー台頭まで陰にまた陽に継続した。
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東方派 |
西方派 |
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著名人 |
ヒンデンブルグ
ルーデンドルフ
ホフマン
フーチェル |
ファルケンハイン
マッケンゼン
ゼークト
ベロウ |
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役職 |
当初東部戦線その後中央または西部戦線へ異動 |
最終東部戦線 |
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基本的な主敵の認識 |
ロシア |
英仏だがイギリス |
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基本戦略 |
先にロシアを打倒する。 |
防御を中心に東西バランスをとる。 |
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和平への態度 |
敵の抗戦意志を粉砕するまで戦わない限り勝利はない。 |
ドイツが全ての敵を完全に追い詰めることは不可能。おりを見て和平チャンスをみつけなければならない。 |
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得意とする戦術 |
包囲 |
突破 |
この抗争にたいしウィルヘルム二世は始め、西方派を支持しその後東方派に転じた。西方派の方が伝統的なユンカー勢力を代表している。ウィルヘルム二世は心底においては西方派を支持していたと思われる。そして東方派はヒンデンブルグを筆頭とするが実質はルーデンドルフの考えが中軸となった。
東方派はシュリーフェン在任時の少壮本部付き参謀将校の色があり、あくまでドイツ伝統の包囲・殲滅が唯一の戦術と信じ、この点では旧軍の発想に近い。また東方派のほうがやり方が政治的だった。
西方派はどちらかと言えば軍政畑と宮廷武官の経験が長く、シュリーフェンプランそのものについて批判的な見解をもっていた。ファルケンハインは「あれしかなかった」とシュリーフェンプランについて肯定とも否定とも受け取れる言い方をしている。
受ける印象は西方派の方が合理的だが反英感情は強く西方派が戦後ヒンデンブルグに反対しヒトラーを支持することにもつながった。おそらく西方派はドイツこそが西ヨーロッパを代表しているという意識があったのだろう。
ファルケンハインは、1915年8月13日ゴルリッツ突破戦第2次攻勢でプラスニッシュの戦いで勝利し、その勢いでロシア軍を包囲殲滅するべきだと主張するルーデンドルフに手紙で次のように諭した。
「東方で進行させている作戦は敵の殲滅を希望しているものではない。決定的勝利を目指しているにすぎない。敵は数量で上回っているばかりでなく連絡線も確保している。そして自国領だからそこにある資源を利用できるに反し、我が軍は鉄道を利用できないばかりでなく道路も欠乏している土地で戦い作戦を期限内に終了させなければならない。ここで殲滅を主張し失敗する可能性を考慮しないのは誤りだろう。」
8月19日、ノボゲオルギエウスク要塞を陥落させ、ウィルヘルム二世はそこでファルケンハイン、ヒンデンブルグ、ルーデンドルフと面会した。ファルケンハインは「今度こそ私の作戦が正しいことを君も認めるだろうな。」と言ったところ、ルーデンドルフは平然と「その反対です。」と答えたという。ウィルヘルム二世は思わず渡す予定の勲章を落としそうになった。
ファルケンハインは翌年ベルダン戦とブルシロフ攻勢により没落することになる。ファルケンハインの和平に関する基本的な方針はたとえロシアを屈服させても、英仏は和平に応じることはない。そしてまず抗戦意欲がイギリスより弱いフランスを交渉のテーブルにつけそして英仏ともに妥協による平和を認めさせるというものだった。
ところがファルケンハインはその条件として西部戦線現状による国境変更が必要と考えた。英仏はそれでは全く応じなかった。ファルケンハインは基本的にはこの交渉はベートマン首相が担うべきだウィルヘルム二世に訴えたが、ベートマンの方はこの条件では和平は不可能と応じなかった。君主国における外交と統帥の難しさがここにある。そしてファルケンハインの追い落としに成功したルーデンドルフもまた同じワナにはまってしまう。
第1次大戦のドイツは開始期と最末期を除き大戦期間中を通じて交渉による和平の道が存在した。この点ではおそらく1940年の8月から1941年の6月のヨーロッパ西方戦争期間中しか機会がなかった第2次大戦のドイツとは決定的に違う。しかしドイツはいずれの機会も生かすことができなかった。そしてドイツは単独で例えばロンドンに到達することができるとはいずれの時期でも考えていなかったようだ。すると妥協による平和しかない。しかしすべての時期に具体的和平条件を設定するのに失敗してしまう。
結局、和平条件の設定に軍人が関与し、譲歩を敗北とみなしてしまう所に問題があるのだろう。ルーデンドルフはファルケンハインのワナ、ベルギー確保をついに捨てきれず破局を迎えてしまう。ドイツは戦争目的をもたずに第1次大戦に突入した。もしセルビアのテロ組織の撲滅とかベルギーの消滅−併合という具体性のある戦争目的があればこの抗争もなかったかもしれない。戦争目的を戦中に論争し結果として戦争が長引くと言うのは周辺国には迷惑な話だ。
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