ドッガーバンク海戦

ドッガーバンク海戦

ドッガーバンク海戦

ドッガーバンク海戦

ドッガーバンク海戦

ドイツ外洋艦隊(河川艦隊を除く本国艦隊)は海戦以来、持久方針をとり、エルベ河口およびヤーデ河口に潜むだけで動こうとしなかった。ティルピッツなどドイツ海軍部首脳はスカンジナビアの中立諸国との交易維持に成功し、ロシアの外部との交易の大部分を阻止したので、目的はある程度達成されたと評価した。

しかし外洋艦隊以外である程度まとまった艦隊、シュペーの東洋艦隊は、イギリス海相チャーチルが急遽派遣した2隻の巡洋戦艦、インビンシブルとインフレキシブルにより、1914年12月8日、フォークランド諸島沖海戦で、1隻を除き全て撃沈された。一方、2(3)隻の巡洋戦艦が北海を離れたことは、巡洋戦艦の両国のパリティを接近させた。

ドイツ巡洋艦隊司令官ヒッパーはこの悲劇ではあるが一方好機に乗じ、12月16日5隻の巡洋戦艦を出撃させイギリス本島東海岸を艦砲射撃した。そして1914年1月24日再度、フォークランドに出撃したイギリスの2(3)隻の巡洋戦艦が帰還する前、東海岸を急襲することにした。

しかしイギリス海軍情報部はドイツの暗号を既に解読していた。12月16日の出撃の概要も承知していたが、天候の悪化によりドイツ艦隊との遭遇に失敗したにすぎない。一説にはこの暗号解読はロシアが入手した暗号表により成功したともいわれる。ただドイツも再三変更しているため実際には数学的な方法によったものとみられる。

イギリス巡洋戦艦隊司令はビーティでこの日、ヒッパーが出港した4時15分の5分後、自身も出港した。

7時14分、日の出直後ドイツ軽巡コルベルグとイギリス軽巡オーロラとがドッガーバンク東部で偶然邂逅、直ちに砲撃戦となった。ヒッパーはこのイギリス軽巡を定時パトロールの巡洋艦部隊とみなし、直ちに戦場に急行した。しかしコルベルクに後続していた軽巡ストラルスンドはオーロラの背後から接近するビーティの巡戦艦隊を北北西に発見した。

ヒッパーはその連絡を受け直ちに基地のあるヘリゴランド・バイトに帰ることを決心した。しかしその時ビーティは距離25千メートルまで接近していた。

その後帝国海軍が名付けた同航戦、すなわち同一の方向に両艦隊が進行する海戦に発展していった。その場合両艦隊の速度が重要となる。ヒッパーの3隻の巡戦は25ノットで進むことができたが、やや小振りで主砲も小さいブルーヒャーは23ノットしか出せなかった。一方ビーティの先頭にいる3隻、ライオン・タイガー・プリンセスロイヤルは公試28ノット実際には29ノットまで出せる新鋭艦だった。ところが後続する2隻、ニュージーランド・インドミタブルは25ノットが一杯だった。

この結果ビーティの先頭3隻は他の2隻を離しながら、ヒッパーに追いつくことが出来た。一方、ドイツ側はブルーヒャーが落伍気味となった。

ビーティは距離20千メートルに接近したところで砲撃を開始した。ビーティはライオンはセイドリッツ、タイガーはモルトケ、プリンセスロイヤルはデルフリンガーを砲撃することを命令した。しかしタイガーとプリンセスロイヤルは就航間もなく訓練が十分ではなかった。とりわけタイガーは自分の弾着を確認できず、ライオンのものと誤認した。一方ドイツ艦は先頭に進むライオンに砲撃を集中した。

結果はライオンの左舷に命中弾が集中し、エンジン室の一部に火が回った。このためライオンは徐々に落伍する形となった。更に情況を悪くしたのは突然の錯覚だった。ビーティは潜望鏡を見たと誤認し取り舵90度の一斉転回を要求したのだ。この間にドイツ艦は大分距離を開けることができた。

ビーティは自らの誤認と命中弾があまり確認できなのに苛立ち、タイガーとプリンセスロイヤルに直ちにドイツ主力3隻を追尾することを命じた。ところが、両艦ともこの命令を誤り砲撃をブルーヒャーに集中せよと受け取った。これは信号班の単純なミスであることが後で判明した。

ライオンを除くイギリス艦は揃ってブルーヒャーに砲撃を集中、ついに撃沈した。そして最後尾のインドミタブルはライオンの落伍を心配し、ブルーヒャーへの砲撃が一段落したところでライオンに接近した。この姿を見たビーティは激怒し「なぜ追わない」と叫び、机をたたき大怪我をしたといわれる。その後駆逐艦アタックに旗艦を移し、ただちに追跡を命じたがドイツ艦は遠く離れており、追いつくことができなかった。

ブルーヒャーの沈没写真
元は動画でとられた。この写真はイギリスで大反響を呼び煙草入れなどに彫刻され人気を博した。

ドイツ海軍の戦死者は954人、捕虜は189人と記録されている。

ブルーヒャーの沈没はドイツに大きなショックをもたらした。外洋艦隊司令長官インゲホルは責任をとらされ革職された。イギリス側も再三の好機を逸したことに反省が叫ばれた。ドイツ外洋艦隊は結局ユトランド海戦まで基地を出ることがなかった。またドイツ巡洋戦艦フォンダータンはこの時機関故障のため修理中だった。ドイツにとり悔やまれる故障といわざるを得ない。


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