毎日新聞社:1億人の昭和史(2・26事件と日中戦争):1975より
1937年12月13日南京南門の激戦の跡・カメラ松尾(*)とのメモがある。
ただしメモはスクラップ・ブックに記載されており、大阪で記入。
(*)大阪毎日松尾邦蔵氏
日華事変当時写真は電送でなくネガで空輸された。毎日新聞社の場合8枚焼付けし、4枚を軍に検閲用に提出した。軍は終戦後、「戦争裁判の資料になるものを焼却せよ。」と命令した。日華事変従軍していた新聞社のうち命令に抗したのは毎日新聞社(当時東京日日)だけだった。この写真は不許可とされたものの1枚である。
当時の日本のカメラマンは恐ろしく勇気があった。日本軍は銃弾の弾着とわかる瞬間の写真を数多く残している。これは全て報道班または新聞社カメラマンの勇気の産物である。
この上の写真は12月13日撮影されたことは疑いないが、この日は日本軍が南門を占拠した日そのものである。すなわちこれは城門をよじ登った日本軍兵士が始めて見た城内の光景である。
死体が散乱している。これをメモは激戦の跡としているが誤りである。死体の周辺の体液がすでに死体自体の面積を上回っている。これは銃弾命中死後少なくとも20時間は経過していることを示す。また死体は散在し向きが一定していない。これは向き合った銃撃戦による死体でもなければ、砲弾の直撃を受けた場合でもない。同様の理由で空襲の爆風など考えられない。
向き合った場合、一定方向の死体が2体以上はあるはずだ。また砲弾の場合、砲弾孔がありまた死体が一定の場所に集中しまた四肢が轢断される。
これらの死体は門へ向かうものもみられることから、逃亡を図った市民を中国軍が射殺したものとしてしか判断できない。つまりこれらは同士撃ちの死体とみられる。
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