ブルフミューラー大佐の砲術

ブルフミューラー(Bruchmueller)は、ルーデンドルフの回想録に記載され、また大正年間に日本で砲術教則の改正時、実情がよく知られないまま名前があがり有名となった人物である。

ルーデンドルフの回想録の記述が一層有名にした。

「いまだ西部戦線で画期的突破をなしとげた人間はいない。このために階級の如何に関わらず最良の分析家を集め検討させることにした。そして過去のあらゆる戦闘の成功と失敗を分析し、この停滞を打破する方策の発見に努めることだ。」

その分析家のなかで最もユニークだったのがブルフミューラーだった。ルーデンドルフの伝記作家、ゴッドスピードによるとブルフミューラーは、後備師団参謀の退役リストに記載された中年の将校だった。しかしある地点を歩兵突撃の前に流動化するのに、どのくらい砲弾が必要かという問いに正確な数字を算出するのに驚くべき能力を発揮した。

ブルフミューラーの才能は1916年のベルダン戦で発見され以来大本営で、砲術のアドバイザーを務めた。カイザー戦の前、ブルフミューラーは秘策を練った。結論はちょうど5時間だけの集中砲撃だった。しかもこの砲撃は敵兵を殺傷することが目的でなく、より多数の敵兵を一時的にせよ戦闘意欲を喪失させることに置かれた。中心はガス弾だが数種混合したものが用意され、また地形に応じた弾丸も整えられた。防御設備は進撃後を考慮し過早に破壊しないことを念頭にいれた。

カイザー戦でブルフミューラーの手許に集められた各種砲は6473門(うち野砲3965門、重砲2435門)を数えおそらく人類史上最大の砲数だったと思われる。(ソンム戦でイギリス軍が用意したのは1437門、第2次大戦のクルスク戦でもソ連軍の固定砲は2000門を越えない。)この他に迫撃砲も3532門あった。

ブルフミューラーの計画は詳細を極め、5時間が更に12段階に分かれていた。初めの20分間は重砲と迫撃砲による砲撃で、歩兵に随伴した野砲は除かれた。次は重砲と野砲で迫撃砲は除かれ…、という具合だった。

更に弾着地点も従来の10メートル間隔から縮小された。そして第1線壕から順に下がるというより、一瞬に全部の前進壕を目標とした。そして次に予備壕周辺が目標となりまた前進壕に戻った。この砲撃に遭遇したイギリス兵は、全ての地獄が押し寄せてきたようだ、と語ったという。そしてブルフミューラーの計画の独特の点は徐々に砲撃の密度を上げていったことだ。これは敵に無限の砲弾をもつ印象を与え、地下壕に篭る兵が再び戦うため地上にあがる気力を喪失させる目的だ。戦後ブルフミューラーによって書かれた本によれば、この時ドイツ軍はイギリス軍の塹壕の構造、機関銃ポスト、強化地点を事前に把握していたようだ。

そして連続した砲撃中、第1線壕にドイツの強襲部隊が突撃して行った。

このようにブルフミューラーの砲術の特色は歩兵突撃の掩護射撃にある。その意味ではニベルの這う射撃の系列に属し、突破戦術の補完といえる。ただしプルーマーの射撃術のように重砲をも前進させる考えには乏しい。これはドイツ軍が迫撃砲を大量に保有していたためだろうか。もちろん攻勢が終了し、陣地の構築が済めば前進するがそれまでは動けない。しかし、第1次攻勢のように大幅に前進できるとやや不満が残る。

それでは、かくのごとく入念に計画された攻勢がなぜ失敗したのだろうか。表面的な理由としては第一にベロウの第17軍がアミアンを前面にしてイギリス第3軍(ビン)に挙止されたことだ。第二には、フーチェルの第18軍が見当違いのパリ方向に行ったことだ。総合的にみれば第一の理由で、これはヘイグが第3軍を極めて厚めに張っており、またローカルの予備軍をすぐ投入できる体制に置いたためだ。その意味でヘイグという司令官は自身は攻勢第一主義者だが意外と防御に強いのかもしれない。

究極的なミスは1点突破だろう。ルーデンドルフは5日毎に攻撃部隊を全部入れ替える予定にあったが、そもそも運動性を重視した結果、強襲部隊は2日分の食料しか保有していない。弾薬は400発を越えないし手榴弾は4発程度だ。これではおそらく2日後は、前進できても後方との連絡がつかねば相当不安となっただろう。そして狭正面のため常時十字砲火を浴びている状態だ。しかも敵は後方から来る予備隊だから味方は位置がわからないうえ、いつ攻勢に出るかもわからない。前進壕を突破した強襲部隊や直協部隊はそのうち前進する意欲をなくし塹壕に篭ることになるだろう。

結局、第1次大戦で前進壕の突破自体は易しく、それに精緻な砲撃を加えればもっと易しくなる。だが5日間月面のような焦土地帯を前進した軍が、再度突破を命ぜられても難しいということだろう。

歩兵の前進と兵站の確保が同時でなければ、新たに獲得した土地に数日も止まれない。前進中のドイツ兵はイギリス兵戦死者の食料を漁ったという。



M. Schwarte, Der Weltkrieg Technik im Weltkrieg, Berlin, 1920

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