前進政策


マラカンド戦争の後も、英領インド北西部ではイギリス軍人へのテロ・パトロール隊への襲撃・納税徴収人など富裕者への強盗行為が相次いだ。

この時、イギリス本国では北西辺境部の反乱に終止符を打つため「前進政策」、すなわち国境を前進させるべきだとの論調が盛んとなった。ディズレリ首相は議会で「インド統治を決定する場所はどこか?カブールでもなくカンダハルでもない。それはロンドンだ。」と演説した。この論理により前進政策を一蹴した。これは詭弁のようで詭弁ではない。すなわち戦争の帰趨を決めるのは、首都にいる文民が決めるべきだと言うことだ。つまり(植民地)戦争を避けることは難しい。敵から攻撃されたり、テロに会い応戦する必要があるかもしれない。あるいは反乱に対する予防戦争も時には必要だろう。小さな戦争で重要なことは戦争を局地に止め、時間を限定することである。

イギリス軍はジャロビに突入したがナジムディンを取り逃がした。アフガニスタンの一部を併合しようとか、あくまでナジムディンを追いかけ捕縛しようと言う前進論が現れたのはその時である。

これは誤りである。大国が領土・属領・保護国・同盟国を得たとき必ずこの種の議論が発生する。また危険なことに新領土・新しい保護国・同盟国の周辺諸国は必ず次は自分達が呑み込まれる番だと感じる。場合によればそれらの国は予防戦争に訴えるだろう。

こういった時、大国がしなければいけない事は現地の軍人や外交官に任せず本国が戦争の節度を示すことである。さもなければ空間的にも時間的にも無限の戦争をしなければならない。つまり朝鮮を得たならば、満州が安全地帯として必要で、その次は華北であり、そして…と言うことになる。そして関東軍は日本だけにいたのではなく、この時英領インドにもいた。

チャーチルは「マラカンド野戦軍」の末尾にこのような前進論を批判して、インド植民地の維持と経済発展のためには、「小さい戦争」「各部族を牽制する政治的策謀」「部族長の買収」といった「汚い手段」が必要だと説いた。この「汚い手段」はジャーナリストとしての引きつける言葉だが、いずれにしても平和を維持するために小さな戦闘=小さな戦争を繰り返すほか道はなく一挙解決・根本解決などの威勢のよい掛け声をかけてはならない、と主張した。またチャーチルの論理はこの解決法がインド人にとっても良い、との確信に基づいていた。

日華事変で帝国陸軍は南京を占領、その後拡大させた。この拡大を主張したのは東京の近衛文麿を中心とする文民・外交官である。近衛のサークルはあるいは社会主義者に浸透され、あるいは自身が物質主義に拘泥したのかもしれない。ただ、この近衛の誤りは現在に至るまでの極東の大混乱、すなわち社会主義政権の存続と言う問題を直接に引き起こしていることに注意せねばならない。残念なことに近衛はイギリスの議会政治に範を求めず、ドイツと古代中国の教養に自らの思想的根拠を求めた。このやり方は現在にも存在するがその結果は必ず失敗した政治家のものであることに注意して欲しい。

もちろん思想はどの国に生まれたかで価値が左右されるものではない。ただイギリスは成功した植民地帝国であり、当時の大日本帝国にとり参考にすべき点は多かったはずである。また政策の限度として財政の制約を念頭に置くべきで、国家財政による見境のない他国援助やリスクを省みない投融資は、却ってその国の経済を破壊しかねないことに注意すべきだ。

南京陥落後の近衛発言

小さい戦争は大きい戦争を防止するために必要な場合が多くまた治安維持が主な目的のため、自国民ではなく他国民に役立つ場合が多い。このような戦争を社会主義者や国家主義者は猛然と批判する。

日本の文民は小さな殻に閉じこもり、軍事問題をつきつめることができなかった。小さい戦争を嫌いすぎたのかもしれない。この時ロンドンで前進論を主張したのは左翼、すなわち自由党だった。ただ大国間の戦争でこの手は使えない。戦争停止のイニシアチブが自分にないためだ。



百年間の戦争

マラカンド戦争に戻る