近衛聲明

昭和十二年八月十五日の聲明


帝國夙に東亜永遠の平和を冀念し、日支両國の親善提携に力を効せる事久しきに及べり、然るに南京攻府は排日抗日を以て國論昂揚と政権強化の具に供し、自國國力の過信と帝園の實力軽視の風潮と相俟ち、更に赤化勢力と苟合して反日侮日愈々甚だしく以て帝國に敵対せんとするの氣運を醸成せり、近年幾度か惹起せる不逞事件何れも之に因由せざるなし、今次事変の発端も亦斯くの如き氣勢が其の爆発点を偶々永定河畔に選びたるに過ぎず、通州に於ける神人共に許さざる残虐事件の因由亦茲に発す、更に中南支に於ては支那側の挑戦的行動に起因し帝國臣民の生命財産既に危殆に瀕し我居留民は多年営々として建設昔る安住の地を涙を呑んで遂に一時撤退するの巳むなきに至れリ
顧みれば事変発生以来屡々声明したる如く、帝國は隠忍に隠忍を重ね事件の不拡大を方針とし、.努めて平和且つ局地的に処理せん事を企画し、平津地方に於ける支那軍数次の挑戦及び不法行爲に対しても、我支那駐屯軍は交通線の確保及び我居留民保護の爲め真に已むを得ざる自衛行動に出でたるに過ぎず、而も帝國政府は夙に南京政府に対して挑戦的言動の即時停止と現地解決を妨害せざるやう注意を喚起したるにも拘わらず南京政府は我が勧告を聴かざるのみならず却て盆々我方に対し戦備を整へ、嚴存の軍事協定を破りて顧みる事なく、軍を北上せしめて我支那駐屯軍を脅威し、又漢口上海其の他に於ては兵を集めて愈々挑戦的態度を露骨にし上海に於ては遂に我に向つて砲火を開き帝國軍艦に対して爆撃を加ふるに至れリ
此の如く支那側が帝國を軽侮し不法暴虐至らざるなく全支に亙る我居留民の生命財産危殆に陥るに及んでは、帝國としては最早隠忍其の限度に達し、支那軍の暴戻を膺懲し以て南京政府の反省を促す爲め今や断乎たる措置をとるの巳むなきに至れり
此の如きは東洋平和を念願し、日支の共存共榮を翹望する帝國として衷心より遺憾とする所なり、然れども帝國の庶幾する所は日支の提携に在り、之がため支那に於ける排外抗日運勤を根絶し今次事変の如き不祥事発生の根因を芟除すると共に日満支三國間の融和提携の実を挙げんとするの外他意なく、固よリ毫末も領土的意圖を有するものにあらず、又支那國民をして抗日に踊らしめつつある南京政府及び國民党の覚醒を促さんとするも、無辜の一般大衆に対しては何等敵意を有するものにあらず、且つ列國権益の尊重には最善の努カを惜しまざるべきは言を俟たざる所なり

本声明は8月14日夜10時からの閣議にかけられたものである。予定のごとく閣議が進んだところ、杉山元陸相が、「ちょっと待ってもらいたい、この際ひとつ、政府声明書を出した方がいいだろう」といって、案文の謄写版刷りをカバンから取り出した。廣田外相が「共産主義勢力」という文句があったのをソ連をも問題にしているよう誤解される心配もある、と指摘した。

そのあと、中島鉄相から「いっそのこと、中国国民軍を徹底的にたたきつけてしまう方針をとるのがいいのではないか」という意見があった。それに永井逓相が、「それはいい」と相槌をうったという。あとで杉山陸相は、この二人について「あんな考えを持っているばかもあるから驚く、困ったものだ」と評したという(風間章『近衛内閣』中公文庫1982)。中国大陸で国府軍を追跡し、殲滅することの困難さをいいたかったのだろう。

だが、そうであれば杉山はそのように閣議でいうべきではなかったか?陸軍が「この程度のこともできないのか」という批判が、当時根強くあったことも考慮すべきだろう。とにかく、現地では空襲にさらされ、全滅しそうな上陸【しゃんりく】が孤軍で戦っていた。

昭和十三年一月十六日の帝國政府聲明(近衛聲明)


帝國政府は南京攻略後尚ほ支那國民政府の反省に最後の機會を輿ふる爲め今日に及べり、然るに國民政府は帝國の眞意を解せず漫りに抗戦を策し内民人塗炭の苦しみを察せず外東亜全局の和平を顧みる所なし、仍つて帝國政府は爾後國民政府を對手とせず帝國と真に提携するに足る新興支那政權の成立発展を期待し、是と両國國交を調整して更生新支那の建設に協力せんとす、元よリ帝國が支那の領土及主権並に在支列國の権益を尊重するの方針には毫も変わる所なし、今や東亞和平に対する帝國の責任愈々重し、政府は國民が此の重大なる任務遂行の爲め一層の発奮を冀望して止まず

この声明は帝国議会が召集された翌日に出されたもので、近衛が議会受けを狙っていたのは明らかである。陸軍がいくら政党を非難しても憲法規定からは、議会の賛同がなければ戦争遂行はできない。

近衛はこの声明を出した1年後、蒋介石を相手とせざるを得ないのであれば辞職し、大政翼賛会運動に専念すると木戸内大臣と密談している。格好ツケだけの政治家であった。

近衛・木戸密談

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