横山ターン
9月19日の航空決戦で13空(大連から進出した部隊)の3中隊を率いた横山保中尉(当時)は戦後になり、次のように語った。
「南京に空襲をかけた九六戦がとても強かったのは、性能がよかったことの他に、当時十三空の全員がひねりこみをマスターしていたからだと思う」
「ひねりこみとは、敵機と追いつ追われつの宙返りをしているとき、宙返りの頂点でハーフロールしてから錐もみ寸前になるような操作をするのです。すなわち操縦桿を左に傾けて右フットバーをちょっと踏むのですね。もちろん本当の錐もみに入れては大失敗。そこが難しいので、修練を要する秘技なのです」
「空戦をしている二機が団栗【どんぐり】の背くらべの性能で宙返りを繰り返していたのでは、なかなか勝負がつきません。しかし、ひねりこみをやると、普通の宙返りのコースよりも近道をして相手の機尾につけるのです。これが一対一の戦闘機同志の戦いならば、必殺技になることはいうまでもありません。これは、おそらく日本特有の技で、中国人でも、その後対戦したアメリカ人でも、このひねりこみをやったのを私は一回として見たことがありませんでした」(中山雅洋『中国的天空』サンケイ出版、下図版も)
左図は横山中尉が自ら書いたとされる絵である(下が横山ターン)。この旋回は書くと簡単であるが極めて複雑な操縦が必要である。一応この旋回方法を横山ターンと名づけると、その特色は左下図のように宙返りした後、頂点で機体が順(上下が逆さまでない)になっていることである。
普通、宙返りをすると左上図のように頂点で機体は逆になってしまう。横山ターンでは見事に、この宙返りした場合の射撃しづらい問題を解決している。戦闘機の場合、機関銃は機体に固定されているため翼の面と同じ面にある敵しか射撃できない。
人間の生理感覚から、通常はいったん地上面(すなわち地球に)に水平になった地平から相手を認識するのが普通である。つまり、相手の進行方向が上昇か下降かを判断し、自分の左右どちらかを検討をつけることになる。このため機体を地上面に水平に置く事は射撃体勢に入る前の重要なポイントである。
横山ターンは、敵よりも瞬時速くこの体勢に入ることを可能にする大技なのである。ただし、口頭で説明があるように、宙返りしてから頂点でハーフロールになるようにするのであるが、操縦は簡単ではない。
じっさいには左旋回(日本の飛行機はプロペラが機首に向かって右回転のため)しながら、上昇過程で加速するのである。横山ターンを失敗すれば錐もみ落下であるから、危険と隣り合わせであり、かつ複葉機ならばいざ知らず、単葉機の場合は、旋回性能が良好でなけらばならない。
横山は国府空軍と米空軍について論及しているが、国府空軍については訓練不足、米空軍については機体が許さなかったのであろう。9・11航空決戦では、ホークV6機をこれで撃墜したとされている。ところが、この技は第一次大戦でも大技として知られていた。それはインメルマン・ターンである。
インメルマン・ターン
インメルマンMax
Immelmann(1890-1916)
ドレスデン生まれ。14歳で幼年学校に入る。工兵畑を歩んだが、大戦が勃発するとパイロットを志願した。1914年11月、アルダースホッフの空兵学校に入校。実技において優秀だったが、性格は内向的で、そのうえ素行も悪く成績は並みだった。初めは伝令や写真偵察を受け持ったが、オランダ人フォッカーにより新型単葉機がもちこまれると、ベルケとともに戦闘機パイロットとしての才能を開かせた。生涯15機を撃墜した。
インメルターン・ターンとはドイツの初のエース、マックス・インメルマンが創始した宙返り方法である。インメルマン中尉は、1915年8月1日に初の撃墜を記録し、その年中に6機を撃墜し、「リルの鷹」とあだ名された。
1916年1月には、プール・ラ・メリット勲章を受勲した。1916年6月18日、墜落死した。イギリス機によるとも銃弾同調装置の不具合によるともいわれる。インメルマン・ターンは、同僚のドイツ人パイロットより地上にいてそれをよく見ていたイギリス軍によってよく模倣された。
下はイギリス軍による説明図である。
横山はこの技を13空全員が訓練したと語った。第一次大戦の複葉機の操縦システムは相当に複雑で操縦桿だけの操作では不十分であった。それを割り引いても個人技を全員の習得技とすることには組織な決定があったと思われる。
陸軍はこの技についてとくに注意を払っていないので、おそらく第一次大戦時の観戦武官またはイギリス海軍から招聘された教官が伝授または教授したものであろう。横山らは零戦の制式化のときにも実技試験に参加しており、その旋回性に不満をもったようである。
後日空母乗り組みの零戦パイロットとしても横山は活躍し、零戦でもこの技を使ったという。インメルマンの発明がどのように伝達していったのか興味深い。なおコンピューターによる機体制御が実現した現在、この技はしばしば超音速機によって使われる。
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