ウェストレーキの評論

日本巡洋艦浪速艦が英国船旗を翻したる清国運送船高陞号を撃沈したる行為につきては、未だ確定せる意見を立つるあたわざるも、この事たる船旗の関係によりて自然わが国の人心を激励せしむるものを以って、既に一二明瞭となれる点につき説明をなし及び審究すべき点を指示するの必要あるとを信ず。

第一、高陞号は英国人の所有に属し、かつ正当に英国船旗を掲げおりしもののごとく、またこれと同時に清国の使用に供し、運送船として働きし事実もまた明瞭なり。ゆえにもしこれに加うるに同号の供用は即ち戦争的行為に供すにありとすれば同号はこの場合にあたり、好しや船旗は英国なるも所有者は英国人なるも決して英国より何等の保護を求むるの権なきものなり。

ロード・ストーウェル氏は、オロゼムボー号事件において局外中立国(アメリカ)の船舶たる同号が係争国(オランダ)の士官三人を積載せる事実にたいし、軍人運送のために雇わるる時は、これを運送船と認めその要求を否認すべきものとすと判決せり。もし三人の士官をのせたるがためにこの意見を立つるを得べくんば千七百人をのせたる場合において、とくに然るや論をまたず。

第二、高陞号の供用は単に開戦の宣言未だ出でざりし以前にありというの一事を以って戦争的行為に非ずというも、日本はこれにたいして遠慮するに及ばざるべきは予のまた許すところなり。

戦争を開始するにあたりて宣言をなさざるは悪習なれどもこの慣習たる数世紀前より列強の実際に使用するところにして、現世紀の後半まま開戦前宣言したるの善例あれど、今日はこれをもって彼に斥くることあたわず。

国際公法は、その主義において、両国開戦の宣わるときはこれをもって係争国間に有効なる戦争の開始となさしめ、しこうして局外中立国は開戦のため新たに特別なる義務を負うがゆえに、これに先立ちて交戦国より通知を受くる権利を有す。

高陞号の行為は局外中立者が封鎖を破るがためのものに非ず。また戦時禁制品を積載せしものにも非ず。しこうして清国運送船の用に供したるをもって、けだし清国にして果たして係争国たるにおいて高麗また日本にたいする戦争にしてあたかもかのオロゼムボー号のオランダにたいする関係と異なることなし。

第三、然りといえども日本は敢えて襲撃したりとの一事により高陞号を係争者となすにあたわず。高陞号の局外中立国の所有者及び局外中立国の船客にたいして日本の行為の正当なるを証せんと欲せば日本たるもの既に他所において日清間の戦争実際に開始せしとを証すべく、しからずんば高陞号その一部をなせる清国艦隊が日本の忍ぶあたわざるところの反対行為をなしたることを証せざるべからず。

朝鮮において起こりたる日清間の戦闘的行為又は朝鮮が清国の助力を受けつつありし間において朝鮮と日本との間に起こりし対抗的行為などはみな前者を証明するの資料とするに足れり。しこうして清国艦隊の積載せる派兵は日本が自ら占拠の権利ありと認めてその地位を占むるものにたいし、これを駆逐するの目的に出でたるものとせばこれ正しく後者を証明するに足れり。

第四、然りといえども日本が高陞号を係争者と認めたる件につき英国と日本との間の事は予が以上の自認をもって定まるべくもあらず。仮に高陞号なるもの轟沈せずして拿捕せらるるとするも船中の兵士の朝鮮に上陸するを妨ぐるがために追逐せられしとするも、あるいは又その兵士を其達しうるところの朝鮮半島の一港に上陸せしめたりとするも、この行為より生ずる兵事上の損失は軽しとするを得べきか、その他事実に関して想起するべきもの頗る多し。

しこうして予は未だこれを知るを得ざるなり事実明らかなるに及んで、果たして日本の処置よろしからざるものあるにおいては予はもとよりその説を改むるに吝ならざるべし。それ戦争は係争者間にありて互いに必要なき苦痛を被むらしべからざるは何人も拒まざるところなり。

係争者の一方にたいし、この主義を破るときは復讐の権利を行うことを得べく、あるいは又もしなし得べくんば平和の後に及んで賠償を取る得べし。然りといえども欧州文明の化に浴せる国にありてはこの主義を犯したる場合なく、従いて局外中立国の政府がその臣民たるもの係争者の一方に同一体視せらるべき行為をなすのさい、他の一方この主義を破り苦痛を被むらしめたる場合において訴求をなしたるの前例なし。

しかしながら、道理上この訴求をなすを得べく、しこうして局外中立権を眺むるとは過度の行為を否認するの要件となるべし。

第五、高陞号中の清国兵士はその船を引き渡すを許さざりしと伝う。日本はその引渡しを肯ぜざるがために軍事上必要の行為に出でたりとすれば毫もその破壊の権利に妨ぐる所なし。とにかくヨーロッパ人にして清国兵士を指令もしくは運送するの任にあたらんとするもの宜しく彼らと運命を共にすへし。

(1894年8月1日タイムス)

ウェストレーキ(Prof. John Westlake,1828-1913)はケンブリッジ大学教授であって、豊島沖海戦が7月25日だとして、おそらく詳報があってから5日以内に、この論文を書き上げた。

ホルランドは、この時点のイギリス・マスコミの雰囲気として「アジア人による海賊行為」「復讐」「日本の国際法無視」「艦長の処罰」を叫ぶのが普通であった、と後に書いている。ウェストレーキは学問ということに関し厳密だったのだろう。ウェストレーキはこののち隠棲したが、コーンウォールのペンザンスに名園を残した。

東郷平八郎は、海事国際法について、イギリスで猛勉強したのだから、マスコミよりは通暁していた。さりながら知識と実行は別であって、軍人としても法曹人としても傑出した人物だった。

ウェストレーキは、戦時における局外中立国市民の義務と権利について、説明しており、内容は現在においても通用する。すなわち、戦地において局外中立国民が軍事行為に参画すれば、その敵対国(団体)にいかなる危害を加えられても、母国と係争国双方に損害賠償を請求できない。また軍事行為は実体であって、係争国の宣言によらない。イラク戦争で、一方の軍事行為に加担しながら、日本政府に救助・政策変更などを求める現代日本人がいることにも驚かされる。

豊島沖海戦に戻る