幣原喜重郎とランシング


アメリカ軍が撤兵を決めた1920年1月、アメリカはシベリアからの撤兵を日本の外務省に通告した。日本の外交官の回想録にはこういった軍事関係について同盟国との打ち合わせについて陸軍が容喙したように書かれた記録があるが、これは偽りであり外務省は二元外交を排するとの考えから、あくまでもすべての外国の政府省庁との交渉について外務省を経由することを要求した。つまり日英同盟にしても三国同盟にしても、日華事変のトラウトマン工作にしても全て外務省のラインで決裁され閣議で承認されたものである。

外務省は自己の省益外交も含めて1元外交だとして現在もその頑なな姿勢を維持している。そして戦間期の日本外交の失敗要因、霞ヶ関外交と一元外交の名の省益外交は幣原の作品である。

この時幣原は外務次官から駐米大使に異動していた。これもまた外務省の不思議な点だが駐米大使のポストは次官よりも上位にある。そして日本の役所の本省は出先に全ての情報を要求するが本省が出先に情報を提供する必要を認めない。駐米大使の幣原は驚くべきことにアメリカが東京に撤兵を通告済みであることを知らなかった。幣原は回顧録に次のように国務長官のランシングと交渉したと記している。

ちょっと伺いたいことがあるが、一体シベリアへ兵隊を送ったのは、これは誰が言い出したのか、アメリカが言い出したのではないか。あなた方に勧誘されて、日本も出兵したのです。現に日本軍隊は米軍と打ち合わせて、警戒、受け持ち区域を定め、シベリア鉄道沿線の警備に当っている。しかるに日本に一言の相談もなく、黙ってアメリカ軍隊を撤退されることになると、全線の警備状態はところどころ歯の抜けたような姿になり、地方によっては日本軍の駐屯部隊は手薄で危険に曝されるかも知れない。日本としてはすこぶる困難な事態に陥った(ママ)

幣原は朝、新聞をみて撤兵を知り、すぐさまランシングにかけあったと言い、この抗議によりランシングは撤兵計画の中断の可否を陸軍長官に問い合わせたがすでに開始され中断は難しいとのことだった。そしてランシングはウィルソン大統領の意見を聞き日本の行動の自由について保証するとの公文書を差し出したという。

つまり爾後、帝国陸軍がいかなる期間、いかなる地域に駐兵・戦闘行為を行ってもアメリカは日本の行動の自由を認める内容である。これは事実上日本に意志があれば日本またはその傀儡政権がシベリアを領土化してもアメリカは異議を唱えないという意味である。

現在のところこの公文書は確認されていない。ただ事象として類似のことは確実にあったと思われる。というのはこれ以降も日本は駐兵を継続しているからである。第二次大戦中の日米関係により、シベリア出兵の際においても日米関係が緊張しておりアメリカは日本を牽制していたなどと説明しだす時流に乗ろうとする信念に欠けるアメリカ軍人もいる。そして戦時中、日本の外交官もアメリカと協力したことを恥じる雰囲気がありこの間とった自分の行動をうまく説明できていない。

また幣原の回想では、出兵当初の数量などの自主権を獲得したことにより、陸軍がこれを悪用し逆に多数の兵力増援に決したとしている。幣原は外交官としての重要なこと、軍事教育を全く受けていなかった。シベリア出兵の目的はシベリアのボルシェビキ政権を打倒することにあった。この目的自体は両国は共通しており出来れば全ロシアに白色政権を樹立したかった。これは現在からみると途方もない計画にみえるが、この時点で両国政府が一致したことだった。これを実現させようとした場合、兵力をより多量に送ることに反対する謂れはない。

兵力を増援したのを悪用したと幣原はするが、では自主権を獲得した結果、兵力を減らしたらどうだろうか?これだと日本は費用を削減でき、また相対的に日本人の人命が軽減されるだろう。それであれば派兵を取りやめる乃至は形だけにすればよい。本当にそれの方がよかったのだろうか?

幣原の増援されたシベリア出兵にたいする評価は「多額の国費を浪費して、いたずらに列国の疑惑を招くに止まった」ということのようである。これは戦後左翼のこの出兵にたいする一般的な見解だろう。本当に当時幣原がそのように考えていたとは思えない。つまりそれであればランシングにアメリカ撤兵以降の自由行動の保証をなぜ幣原の判断だけで取り付けるように動いたのか?幣原はこの行動を自分の判断でと断っている。これを戦後に書く意図はよくわからない。あるいは自分の機転を自慢しているのかもしれないし、本国の訓令が実際にはあったのかもしれない。

しかし軍隊の自由行動の保証などという秘密外交は必ず将来に禍根を残す。この人物の国益なるものは省益であり、中味は重臣などから賞賛される成果を外交交渉であげることである。普通回想録であれば、そのような行動基準ではなく人々の福祉向上、国力の増強、各国の友愛、自由や平等などの自分の理念なり思想を基準に行動したことを誇るものである。幣原の回想には全くそういった面がなく、ただ単に日本人の民度が低いにもかかわらず、自分の口舌で巧く交渉をまとめたという面だけであり、また他の多くの日本の外交官に共通する。

この時、ウィルソンは脳卒中によりすでに半ば判断能力を失っていたという。回想に残していないが幣原はそれに気づいていた公算が強い。しかしこの程度の秘密外交の成果を誇るよりも当時の日本人は日本が大国として世界で立派だと思われる行動をとり、各国の人々に貢献し、その結果、厳寒のシベリアで命を落としても歴史に必要な一こまとして納得したのではないか。


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