手榴弾の発明

手榴弾が本格的に使用されたのは、日露戦争の旅順攻囲戦からだと聞くと驚くだろう。実際にはアメリカの南北戦争から使われたのだが、現場の兵士が工夫したにすぎず、その後アメリカ陸軍は制式の武器としなかった。

ドイツ兵のもつポテトマッシャー

塹壕戦が始まると、この武器は小銃と並ぶ戦場の主役に踊り出たのだが、製造方法は地味なものだった。日本軍の手榴弾は空き缶に釘と火薬を詰め、それに導火線をつけたものだった。

兵士はマッチの火で点火した。

この武器は非常に効果的で大阪の砲兵工廠は量産に乗り出したが、現場の将兵には「なんという原始的な武器」だと悪評紛々たるものだった。

多くの日本兵はロシア軍の手榴弾は弾着の途端爆発すると力説した。世界でもっとも文句の多い兵士だから、こういうのも当然だろう。だがロシア軍の記録では、日本軍の手榴弾を研究して、自分達の砲弾をほどき空き缶に火薬と鉄片をつめ、導火線をとりつけたとある。

遅効性の雷管をとりつけた本格的な手榴弾は1915年ドイツ軍が導入した。ピンを引き抜くと2.5秒後に爆発するもので、現在使用されてているものと大差がない。形状は木製の柄付きでイギリス軍からはポテトマッシャー(じゃがいもすり潰し器)と呼ばれた。ドイツ語ではStielhandgranate(棒つき手榴弾)である。

ただドイツ軍には、棒のついていないタイプもありそれはEierhandgranate(卵手榴弾)またはKugelhandgranate(円形手榴弾)と呼ばれた。

だが導入後数ヶ月してイギリス軍もミルズ型と呼ばれる同じ形をした手榴弾を導入した。帝国陸軍も愛用したパイナップル型と呼ばれるギザギザがついたタイプはアメリカ陸軍が西部戦線に持ち込んだのが初めと言われる。野球のボールとほぼ同様の大きさで、縫い目に指をかける発想も日米とも同じものから来ているのだろう。


第2次イープルの戦い