松岡洋右のアメリカ観
松岡洋右は若いときにアメリカに留学したことがあった。その当時の日本人に英語が流暢なことと相俟って、知米派であると思わせていた。そのあと、松岡は満鉄に長くいたことがあり、満州における協和会などの社会主義的政治運動にも係わっていた。
留意せねばならないのは、このときアメリカにも社会主義的勢力が極めて強かったことである。松岡はこの米国内社会主義的勢力と手を結ぼうとした。
松岡の外相として第一回記者会見の内容が『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙』に、1940年7月21日、次のように掲載された。
「民主主義と全体主義との間の戦いでは全体主義が間違いなく勝利を得て、世界を支配するだろう。民主主義の時代はすでに終わり、民主制度は破綻した。この世界に、二つの異なった制度、または二つの経済が並存する余地はない。
一方が一方に屈服しなければならず、全体主義が世界支配を成し遂げることになるだろう。日本を金と信用の供与で援助しようという話は、制度と経済の相違から起こる誤解である。何世紀も続くであろう全体主義のあとに何がくるかはわからないが、今、全体主義が勝つことは確実である」
昭和天皇は松岡について
「松岡は米国は参戦せぬといふことを信んじて居た。私は在米独系が松岡の云ふ通りに独乙側に起つとは確信できなかった」(『昭和天皇独白録』
と述べたが現在人にわかりにくいのは、「松岡の在米独系が独乙側に起つ」という点であろう。前の『NYヘラルド・トリビューン紙』の記事からすれば、松岡の見方は全体主義=ソ連・ドイツの体制=社会主義であることがわかる。
そうすると在米独系の運動とは米国内社会主義運動を意味しているのである。全体主義が共産主義を含むという見方は普通朝鮮戦争以降であるが、松岡はこのときから独ソ一体とみなしていた。
この重大な誤りが松岡の失敗の根源であった。全体主義の世界支配とは国際的社会主義革命の世界制覇であったが、国際主義とは国家主義に簡単に勝てるものではない。民主主義が必ずしも国際的でないように社会主義も国際的ではない。松岡が独ソ戦勃発を信じることができなかったのもこれが理由であった。