独ソ戦が開始された当日、ヒトラーは歴史的な演説を行った。
1941年6月22日
ドイツ人諸君!
国家社会主義者諸君!
長く沈黙を強いられてきたあと、重大な懸念は残るものの、私が最終的に演説するときがきた。ドイツ帝国がイギリスの宣戦布告を1939年9月3日に受け取ったとき、イギリス人は再びヨーロッパ大陸最強国と戦うことによって、その統合と強化を阻止する企てを開始した。
随分前、イギリスはスペインを敗北させた。同じ理由でオランダとも戦争になった。他のヨーロッパ諸国と協力してフランスとも戦った。今世紀に変わるころドイツ帝国への包囲を開始し、1914年、世界戦争を始めた。
ドイツは、1918年、内部不統一によって敗北した。その結末は酷なものであった。連合国は最初はただカイザーとその政権と戦っているだけだといいながら、ドイツ軍が兵器を置くとドイツの組織的な破壊に乗り出した。ドイツ人1億2000万人は多すぎるとしたフランス政治家の予言は、飢餓、疾病、移民によって実現されようとした。国家社会主義運動はドイツ人統合創生と帝国の再生を開始した。
貧困、不幸と相互不信からの再生は純粋な内部からの表出であった。イギリスはこれになんら影響を受けず脅威も感じなかった。にもかかわらずドイツ敵視の包囲政策を再度開始した。国内外で我々は、ユダヤ人と民主主義者による陰謀に直面した。ボルシェビキや反動家も同様だった。新しい人民国家の建設と帝国を再び無能と不幸の中に落とし込めようとした。
この国際的共謀の憎悪をたんに我々だけに向けられているのではない。厳しい闘いを通しても毎日のパンを得ることができる人々に対しても向けられている。ドイツと同じくイタリアと日本も世界の富に近づくことを禁じられている。これら三国の同盟は富と権力を手にしている脅迫的な自己中心的な世界的連合体に対する自己防衛の行動である。
1936年春、アメリカのウッド将軍の下院における証言では、チャーチルはドイツは強くなりすぎたので、滅亡させねばならないと語ったという。
1939年夏、イギリスは包囲政策によってドイツ滅亡策の新しく企てるときが到来したと考えた。彼らの戦術は虚偽を拡散することだった。ドイツは他の民族に脅威を与えていると宣言した。英国の安全保障を与え、彼らにドイツに対し戦わせようとした。
1939年の5月から8月の間、イギリスは世界中にリトアニア、エストニア、ラトビア、フィンランドとベッサラビア、ウクライナにさえドイツが脅威を与えているという説を広めた。これらの国のいくつかはそれに応じ、新しいドイツ包囲網に加わった。
このような情況の下では良心とドイツ人の歴史に照らし合わせて、イギリスの安全保障は虚偽であることを知らせ、同時に東部における最強国に我々の利益とは衝突しないことをいわねばならなかった。
国家社会主義者諸君!
諸君はこれが私にとって厳しく困難な決定だと多分感じることができると思う。ドイツ人はロシア人に対して敵意をもったことはない。過去20年間、ユダヤ=ボルシェビキ支配者はドイツに限らず、全ヨーロッパに火をつけようとした。
ドイツは、反対に、国家社会主義世界観をロシアに広めようとしたことはない。ユダヤ=ボルシェビキ支配者がいつも変わらずドイツ人を従わせ、他のヨーロッパ諸民族を彼らの支配に置こうとしたのだ。彼らは宣伝だけでなく軍事的手段をも用いた。
この結果はどこの国においても、混乱と不幸と飢餓だけであった。
一方私は、20年間にわたり、生産設備に対し最小限しか干渉せず、毀損しない方法によって、ドイツに新しい社会主義的秩序を建設しようとした。これは失業を減らすとともに労働者により多くの収入をもたらした。
我々の政策は全世界で独特のものである。我々の経済・社会的再編成は人民の共同体の真の目標を指し示すことにより、社会的階級的障壁を組織的に除去することに導いた。
それゆえ、1939年8月、ドイツ包囲というイギリスの政策を打破するためモスクワに公使を派遣する決定は、私にとり難しいものだった。ただ継続的な理解に到達することとドイツ人の損害を避けたい義務感からのみであった。
リトアニアを例外としてドイツは、ドイツ国外のいかなる国家・地域をもドイツの政治的利益の範囲外であると宣言した。イギリスがポーランドを煽動して戦争に持ち込んださいには特別な条項が用意されていた。しかしながらドイツの要求は温順なものであり、ドイツ軍の戦果とは何の関係もなかった。
国家社会主義者諸君!
私がドイツ人民の利益のため追求した条約の結果は、対象となった地域に住むドイツ人にはとりわけ過酷になった。
小農・職人・労働者が大部分の50万人に達するドイツ人民の同志が一昼夜の余裕もなく新政府によって故郷を追われた。さもなくば遅かれ早かれ恐怖を伴いながら絶滅されたであろう。
それでも少なくとも数千人が消滅した。彼らに何が起きたのかどこにいるのか見当もつかない。そのうち160人にはドイツ国籍があった。
私はこれについて黙っていた。黙るしかなかったのである。私の希望は合意について最終的なものとすることであって、可能であれば永続させたかった。
しかしながらポーランドに進軍中の最中ですら、ソ連は条約に反してリトアニアを要求した。
ドイツ帝国はリトアニア占領を志したことはない。もちろんそのような要求をしたこともない。反対にリトアニア政府はドイツ軍の派兵を要請してきたが却下するしかなかった。というのはそれはドイツの終局的な政策に反した。
にもかかわらず私はこのロシアの新要求を受諾した。しかしそれは新要求の始まりだった。
ドイツ軍のみによって得られたポーランド戦勝利は、私をして西側諸国に和平新提案をなす機会を与えた。それは国際的なユダヤ戦争屋によって撥ね付けられた。
イギリスが今尚、ドイツに対するヨーロッパ連合を動員する希望を失わないのはバルカン諸国とソ連の存在のためである。
ロンドンではクリップスを新駐ソ連大使として派遣した。彼は英ソ関係を改善すべきとの新しい訓令を受け取っている。イギリス寄りに改善せよということであり、イギリスの新聞は戦術的な理由であろうか、それについて黙っていない。
第一の結果は、1939年秋と1940年春に明らかになった。ロシア人はフィンランドだけではなくバルト諸国まで、外国からの脅威から防衛する、またはその脅威を防止するためという愚かな理由で従属させることを正当化した。外国とはドイツしか意味しない。どの国もバルト諸国に入れないし、そこで戦争することもできない。だが私は黙っていた。クレムリンの支配者は続けた。
いわゆる友好条約に沿ってドイツは1940年春までに東部国境から移動させた。ロシア軍が代わりに入り、ドイツの脅威になるほどの数であった。
モロトフによれば、1940年春までに22個師団のロシア軍がそこにいた。
ロシア政府はそこにいる軍隊は住民の要請によるものだとするが、彼らの目的はドイツに対する示威であった。
我々の兵士が西部で英仏軍を攻撃するにつれ、ロシア軍の東部における前進の程度は徐々に脅威になっていった。
1940年8月、私はボルシェビキの師団数が増加するにつれて、戦争によって荒廃した東部地方を無防備のまま放置しておくことは最早帝国の利益にならないと決心した。
しかしながらこれは、イギリス人とソ連人が望んでいることでもあった。ドイツ軍の相当量をとりわけ空軍を東部に配置することは、西部において戦争に急速に結末をつけることを困難にした。
これがイギリスとソ連の政策目標であった。イギリスとソ連ともに戦争を長引かせ、ヨーロッパ全部を不能の淵に落とし込もうとしたのだ。
ロシアのルーマニアへの脅迫は、ドイツのみではなくヨーロッパの重要な経済的要素の奪取または破壊を意図したものである。
広大な忍耐をもって、ドイツ帝国は1933年以降、南部ヨーロッパ諸国を通商相手として勝ち取ってきた。それゆえそれら諸国の国内治安は我々にとり大いに利益のあるものだった。ロシアのルーマニアへの進出とイギリスのギリシャへの結びつきはこの地域を急速に戦場に変えていった。
我々の原則や慣習に反して、私は自分たちだけで解決を急ぐルーマニア政府を説得し、平和のためにソビエトの要求に屈しベッサラビアを割譲させた。
ルーマニア政府はこの譲歩はドイツとイタリア政府が残った地域について安全保障を与えることによってのみ国民に正当化できるとした。私は重大な決心をもって承諾した。我々が保障を与えるとき、それを遵守する。我々はイギリス人やユダヤ人ではない。
最後の瞬間で平和は保たれたと確信した。だがそれには重い代償を支払わねばならなかった。問題の根源的な解決とロシアの帝国に対する意図を明確にさせるため、東部国境における動員が着実に完整しつつある圧力の下、モロトフをベルリンに招待した。
ソ連外相は次の4点についてドイツからの解答を要求した。
モロトフの第一の質問
ドイツのルーマニアへの保障はロシアとルーマニアとの間で戦争が発生したさい、ロシアへの開戦を意味するのか?
私の答え
ドイツの保障は広範囲であり我々を拘束する。ロシアはベッサラビアの外のルーマニアについていかなる利益をも表明したことがない。北部ブコビナの占領は既にこのことに違反を構成する。それゆえ私はロシアがルーマニアにこれ以上要求するとは信じない。
モロトフの第二の質問
ロシアはフィンランドに再び脅威を感じている。ロシアはこれを容赦することができない。ドイツはフィンランドを応援せずキルケンズから撤退する準備があるか?
私の答え
過去でわかるようにドイツはフィンランドに政治的利益をもたない。しかしながらドイツ政府はロシアの少数のフィンランド人に対する戦争を許すわけにはいかない。とりわけ、フィンランドがロシアに脅威を与えるとは信じることができない。しかしながらバルト海における戦争は欲しない。
モロトフの第三の質問
ドイツはロシアがブルガリアに安全保障を与え、軍隊を進駐させることを歓迎するか?国王を退位させないという条件ではどうか?
私の答え
ブルガリアは主権国家である。ブルガリアがそのような安全保障を求めているかどうかは知らない。私は同盟国とまず相談せねばならない。
モロトフの第四の質問
ソ連は絶対的にダーダネルスを通過する自由航路が必要である。それゆえその防衛のためダーダネルス海峡またはボスフォラス海峡の数箇所に基地を要求する。ドイツはこれに同意するか?
私の答え
ドイツは黒海諸国に利益ある方向でモノトルー条約の改正に同意する。ドイツはいかなることがあって海峡のソ連軍基地に反対する。
国家社会主義者諸君!
私はドイツ帝国のリーダーとして行動するとともにヨーロッパの文化と文明の責任ある代表としても行動している。
結果は帝国に反するソ連の敵対的活動の増加であった。直ちにルーマニア新政権を打倒せねばならずブルガリア政府を打倒する宣伝を開始せねばならない。
混乱し未熟な国民の助力によってルーマニア軍団はアントネスク将軍を追放するクーデターを組織し、国を混乱に陥れている。合法政権を倒すことにより、ドイツがその安全保障義務を果たす根拠を与えた。
沈黙することが最善と今尚信じている。
この事業が失敗すればすぐドイツ東部国境へソ連軍が増強されることであろう。戦車と空挺部隊がドイツ国境に増加する。ドイツ陸軍とドイツ本国は数週間前まで東部国境にが機甲師団も自動車化師団も存在しないことがわかっていた。
もしイギリスとソ連の秘密同盟を証拠をみたくば、ユーゴスラビアにおける戦闘をみればよい。バルカンにおける平和を維持する一方、ムッソリーニと共同してユーゴスラビアに三国同盟参加を奨めた。ところがソ連は三国同盟に参加しようとした政府を転覆させようとクーデターを組織したのだ。
ドイツ人は反ドイツのセルビアにおけるクーデターがイギリスとソ連の旗の下にあることを知っている。これまで我々が沈黙を守ってきたことから、ソ連政府はさらに大胆になった。暴動を組織するだけでなく、新しい支配者と友好条約に署名したのだ。それはバルカン半島の平和撹乱をはかるセルビアへの軍事的支援とそれを反ドイツに仕向けることであった。全く精神的なものではないかった。
モスクワはセルビア陸軍の動員を要求した。
私はまだ平和のためには沈黙を守った方がいいと思っているが、クレムリンの支配者はもう1歩大胆な手をうってきた。
ドイツ政府はロシアがサロニカを経由して武器、航空機、弾薬、その他軍需物資をセルビアに運び戦争を煽動したと証明する文書を保有している。
それは私が日本の松岡外相にロシアと良好な関係を維持し平和を希望する助言を与えたのと同時に発生した。
我々の強力無比な師団がスコピエを強行突破しサロニカを攻略したことのみにより、ロシアの陰謀の実現を阻むことができた。セルビアの空軍将校はロシアに脱出しすぐさまロシア人から同盟者として歓迎を受けた。
バルカン半島における枢軸国の勝利が南西部のドイツ軍の関与を軽減させることができた。だがその間、ロシア軍は戦争準備を完整させ行動へ用意ができた。イギリスと共同してまたアメリカの支援を希望して彼らはドイツ帝国とイタリアを破滅させようとしている。
このようにモスクワは友好条約に違反するばかりでなく裏切ったのだ。
フィンランドやルーマニアに対してと同じようにクレムリンの支配者は最後の瞬間まで平和と友情を偽善的に示しながら、この裏切りをやったのだ。
これまで私は情況によって沈黙を強いられてきた。これ以上の沈黙がドイツ人に対してのみならず全ヨーロッパ人に対しても罪であり犯罪であるというときが到来した。
今日、160個師団のロシア軍が国境に蝟集している。数週間にわたって国境が侵犯されている。我が国境だけでなく極北からルーマニアまでだ。ロシア空軍パイロットは領空侵犯を習慣としているが、たぶん我々に既に領有していることを示したいのであろう。
6月17日から18日の夜、ロシア空軍パイロットは再度領空を侵犯したが、激戦ののち撃退された。
今や、ユダヤ・アングロサクソンの戦争狂とモスクワのボルシェビキ本部にいるユダヤ人支配者による謀略に返事をするときがきた。
ドイツ人諸君!
この瞬間、世界史上類のない規模の攻撃が開始された。フィンランドの同志とともにナルビックの勝者は極北に立っている。ノルウェーを征服したドイツ師団は、フィンランド解放の英雄と元帥とともにフィンランド防衛の任についている。東部戦線ではドイツ軍集団が東プロイセンからカルパーテン山脈まで拡大しつつある。プルート河岸とドナウ下流から黒海までドイツとルーマニア人兵士がアントネスク国家指導者の下、統合され守備している。
この戦線の目的は個々の国家の防衛では最早なく、ヨーロッパの安全であり、それゆえ全人民の救済である。
私はそれゆえ本日再び、ドイツの運命と帝国と国民の将来を我が兵士の手に委ねることにした。
神よ、この戦闘において我々に助けあれ!
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