6月22日独ソ戦が勃発すると、日本政府は浮き足立った。第二次近衛内閣は、事実上三国同盟内閣であり、イギリスの敗北を見通して、英仏蘭の東南アジア植民地を横取りの夢想に基礎を置いていた。最早、熱帯植民地は本国経済に負担を残すだけで、本国人に寄与するものはないことに気づかない時代遅れの人々によって構成されていた。
注意せねばいけないのは文民ほど植民地拡大に熱心であり、陸海軍はあまり好戦的でなかったことである。文民のうち近衛は戦争によらない植民地拡大を求めており、松岡以下はドイツにのったソ連との戦争開始を考えていた。陸軍は支那事変終結を先決として新たな戦争に反対であった。
海軍は二つに分かれ、海軍省は避戦、軍令部は山本五十六連合艦隊司令部にあおられ対英米戦開始を目論んでいた。もちろん英米開戦=ハワイ作戦はこの段階ではまだ突飛であり、直接口に出していない。
杉山元(1880〜1945)
小倉藩士の子。陸士12期陸大22期卒。日露戦争に従軍。1915年インド駐在武官。陸軍航空の草分けといわれる。1928年軍務局長。1932年久留米第12師団長。陸軍航空本部長。参謀次長。1936年教育総監、陸軍大将。ここまでは非のうちようのないエリート・コースのようにみえる。
1937年林銑十郎内閣で陸相。2・26事件と宇垣流産内閣事件のあとで、本人は皇道派にたいして距離を置いたことがわかる。そのあとも陸軍内人事係争に係わろうとしなかった。トラウトマン工作に反対する立場をとったが、参謀本部独走を戒める意図があり、バランスをとるタイプであった。
ただし近衛文麿については国益を考えない人物とみなしており、嫌悪感を抱いた。1940年参謀総長についたが、部下の建言を無批判に受け入れるところ(便所の扉とあだ名された))が買われたのであろう。1944年、東條英機に職を追われたが、小磯内閣では再度陸相に返り咲いた。第1軍総司令官として終戦を迎えたが、自決。
内容は参謀本部編『杉山メモ』上原書房1969によった。杉山元【げん】参謀総長が会議の都度内容を有末次【やどる】大佐に浄書させ部下に下げた複数のメモのうち、一部が残ったものである。東京裁判には提出されなかった。陸軍有利の内容であったが、キーナンの傲慢な態度を改めさせることはできないと陸軍関係者は思い込んだのであろう。
連絡懇談会は四相会議や大本営政府連絡会議が形骸化したため、よりフリー・トークができるように改めたものである。出席者は陸海軍令参謀本部総長・次長、陸海軍大臣・軍務局長、外相、関係閣僚であった。フリー・トークなため出席者の個性が出た。組織の最大公約数的意見を離れた個人的見解を出しているのは、松岡洋右・及川古志郎・武藤章の3人にすぎなかった。
評定は6月25日から連続4日間、そのあと1日おいて6月30日も行われた。現在にも続く日本について事実上決定したディベートであった。
6月25日第32回連絡懇談会
先づ南方施策促進に関する件に就き参謀総長説明をなし之を可決す 依って午後三時臨時閣議を開き、別に準備せるもの(武力関係を除く)を総理より朗読し閣僚の質問を受けて閣議決定となし、午後四時より総理両総長列立上奏することに決す
前項審議の概要
外相(松岡洋右) 御説明案は結構だが之れによると今迄何もやって居らぬ様に思われる書方だが今迄もやって居る様に申し上げて呉れ。軍事基地港湾等の事は既に交渉をやって居る。
独に「ヴシー」を圧迫し軍事基地設定を容認する様云うた所「リ」より強圧を加うることは出来ぬ旨返あり、従って日本独カでやると大島に伝え置けり
「本件は急いだ方が宜し、決定した以上今直ぐが宜しい、臨時閣議開催は刺戟するかも知れぬが時局柄巳むを得ず」との外相の意見に依り午後三時臨時閣議を開催することに決す
外相 実行に方りては統帥部と充分連絡し、外交と軍事との緊密なる連繋を保持致し度、軍隊集合せば外交は電撃的にやる如く統帥部と連絡致し度
参謀総長(杉山元) 大命拝受より軍隊集合迄にはニ十日を要す
外相 承知しあり
(参謀次長本件に関する限り外相は大いに気合を入れてやるものと感取す)
次で外相三国同盟と中立条約との関係に就き独伊「ソ」大使に対し話したる内容を披露す。
要旨左の如し
三国同盟は中立条約が出来ても之に依り左右せられ或は影響を受くるものにあらず。此の見解に就ては外相帰朝後発表せり、而も「ソ」より何等返電来あらず。実は独「ソ」戦はないと思ったから中立条約を結だのであって、独「ソ」戦ふ【ママ】様な状況ならば中立条約など結ばずにもっと独と仲好い行動を取りたかった
「オツトー」には条約の文句に拘らず同盟を堅持す、何かやる等のことは必要に応じお話しすると云うておいた 「ソ」大使には右二述べた趣旨に沿い話しておいた
某 「ソ」聯大使は右外相の言に対し如何なる感想を受けたと判断するや
外相 日本は冷静だがどうもハツキリせぬと言うたからそう思ったのだろう
某 日本は三国同盟に忠実で中立条約には不忠実だと思わなかったろうか
外相 夫れ程にはひびかんと思う、尤も中立を破る等の話はして居らぬ
(外相の説明を聞き次長は「ソ」聯大使が中立条約は駄目だと受け取ったものと判断ス)
外相 「オツトー」には何も正式には云うて居らぬ。早く国策を決めたい、「オツトー」は盛に極東兵カの西送を云うて居る
陸相(東條英機) 極東兵カの西送の件は、独に取り強くひびきだろうが日本に取っては寧ろ小さく感ぜられるのは当然なり 独の事ばかり信用するのは不可なり(1)
海相(及川古志郎) 将来の外交上の参考の為海軍として一言す 過去は問わず、国際情勢微妙なる関係にある現在統帥部に無断で遠い先の事迄しゃべるな。 海軍は対英米戦には自信あれども(2)、対英米「ソ」戦には自信なし 米「ソ」結んで、米が極東「ソ」領に海軍基地航空基地無線測定所等を造り、或は「ウラジオ」の潜水艦が米に移譲せらるる様な事にでもなれば、海軍作戦としては極めて困る
此の如き状態にせぬ為には「ソ」も攻撃しろ南方もやれと云う様な事は言うな 海軍は「ソ」を刺戟することは困る
外相 英米とやるのは辞せずと云うのに「ソ」が入ったとしてどうして困るのか
海相 「ソ」が入れば一国ふえるではないか 何れにしてもあまり先走った事を云うな
外相 今迄俺がそんな事を云うた事があるか、それだから国策の大綱を早く決めよと云うのだ
右の会談動機となり国策要綱に就き話を進む
参謀総長 陸海軍決定案ノ要旨に就きロ頭を以て説明し「外相は積極論を唱うるも、陸軍の軍備充実未だ完全に出来居らず、支、北、南三方面の条件によって始めてやれるのである、例へば極東に動乱勃発、極東兵カの西送、「ソ」聯政権の崩壊等の情勢になったらやり得るのである。「ソ」と過早に戦えば米が之に加わることあるを以て気をつけねばならぬ
外相 独が勝ち、「ソ」を処分するとき、何もせずに取ると云う事は不可。血を流すか、外交をやらねばならぬ。而して血を流すのが一番宜しい。「ソ」を処分するとき日本が何を望むかが問題なり。 独も日本は何をするかどうかと考えて居るだろう
「シベリヤ」の敵が西へ行ってもやらぬのか牽制位やらねばならぬのではないか
陸、海相 牽制にも種々あり、帝国が儼として居ることが既に牽制ではないか、こう云う風に応酬しないのか
外相 兎に角どうするか早くきめて呉れ
某 何はともあれ先走るな
外相は総長の説明せるものには大体同意なるが「ソ」とやれば米が入ると云う点が分らぬと述ぶ。
以上にて閣議開催の時間となり明日十時より会議を続行することとし散会す
(句読点はママ、カタカナ文体を現代仮名遣いに修正した。以下同じ)
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会議のテーマは、軍令参謀本部が起草した『情勢の推移に伴う帝国国策要綱』といった軍事に係わる文章についてであって、閣僚はそれを審議する立場であった。通常、陸海軍同士で課長会を開催し事前に文章を練る。
松岡がドイツに味方してのシベリア突入を訴えたことにたいして陸相東條と海相及川が猛然と反論した。不思議なのは海軍は対英米戦には自信あれども(2)という及川の発言である。27日には、及川は世界戦争は十年の問題だと避戦を述べており、積極的な参戦であることは否定した。
海軍内では連合艦隊司令部が新任の永野軍令部総長に頻りとハワイ作戦を意見具申している段階であり、及川はその調整に苦慮していたのだろう。東條はこの及川の発言をメモしており、のちの10月7日、開戦について煮え切らない及川を「海軍は本当に自信がないのか」と追及した(石井秋穂)。
そのときの及川の答えは「統帥部(軍令部)の自信とは緒戦の勝利の意である。二、三年後のことは検討中であり、これは政府の問題でもある」であった。緒戦の勝利とはハワイ作戦と推定され、すでに海軍の世界戦争参加はハワイ作戦を軸に考えられていた。
一方、東條は独の事ばかり信用するのは不可なり、(1)といっており、留学先のドイツになんら愛着を示さなかった。このときドイツに山下奉文を団長とする訪独団を派遣しており、山下がヒトラーから直接参戦を懇請されたと陸軍省に報告したとき、東條は「くだらぬことを聞く必要はなく、とっとと帰国せよ」と返事した。
参謀本部では駐ソ建川大使からも独ソ戦情報と戦局予想を受け取っており、ドイツは今冬中にソ連を屈服させることは不可能と予想、参戦熱はしぼんでいた。
6月26日第33回連絡懇談会
外相 方針の一、三に就いては異存なし。二に就いては支那事変邁進ハ可、又自存自衛の基礎を確立迄は可なるも、「南方進出の歩を進む」と云うことと「尚北方問題を解決す」の尚はどうも分らぬ
又要領三の各般の施策を促進すと云うことも分らぬ
参謀総長 何を聞かんとするや、南と北との軽重如何と云うことではないか
外相 然り
総長 何れにも軽重なし、情勢の推移を睨むのである
外相 「南方進出の歩を進む」とは南方には早くやらぬという云う意味なのか
軍令部総長(永野修身) 一寸つまり近藤次長呼ぶ 近藤次長は南が先きと小声で云えり
(後刻本件は南部仏印進駐の事を云うたのであると述べたり)
外相 然らば陸海軍の見解異なる
参謀次長(塚田攻) 然らば我輩はっきり申すべし 南北軽重なし、順序方法は状況に依る、同時にやることは出来ぬ 南と北何れなりやは今は決められぬとてはっきり述ぶ
外相 要領一の交戦権行使とは何か
軍令部次長(近藤信竹) 外国使臣を立退かしめ爆撃をするとか、臨検を公海に迄も及ぼす等のことなり
陸相 更に外人全部を立退かしめ爆撃をする等考えればやる事沢山あり
外相 本件異存なし
外相 敵性租界接収は決意を要するぞ 「情勢の推移に応ず」とは如何
岡(敬純)軍務局長 対英米戦開始(3)等を云う
陸相 未だその他にもある
外相 租界接収は南京政府には出来ぬ 接収は日本がやらねばならぬ
外相 自主的とは何か、武力行使ヲ相談するのか否や
以下主として外相と参謀次長と問答となる
参謀次長 事政略に関しては別とし、純統帥に関する事項は相談する必要なく、又此の如き状況はおきて来ない 相談すれば引きずられるから、引きずられぬ様にするため為自主的にト決めたのである
外相 同盟に入って居るのに相談せぬと云うが、参戦と武カ行使とは不可分なり。相談せぬと云うなら混合委員会は不要ならずや
参謀次長 政略上の事は知らぬが、統帥に関しては独は何等相談することなく勝手にやって居るではないか 相談の必要など更になし 統帥の機密迅速と云う点から相談は出来ぬ
陸相 独逸の現在迄のやり方は相談して居らぬ
参謀総長 独は事実適時適切に相談して居らぬ(4)
外相 独が相談してもしなくても、当方は誠心でやらねばならぬ。誠心で彼をつかむ必要あり
参謀次長 政略上の事は相談可なるも、武カは敗るるか勝つかの問題なり、高等政策は相談は可なるも統帥は不可なり
外相 情勢極めて有利に進展せざるときは如何
参謀次長 極めて有利なりと観察せばやり、有利ならずと観察せばやらぬ、だから極めて有利と書いてある 而も此の観察は種々あり 独が極めて有利なりと観察しても当方が有利ならずと観察すればやらぬ。独側が有利ならずと観察するも当方が有利なりと観察すればやる
外相 南方に対する基本態勢の維持に大なる支障なからしむ「大」とは何か
参謀次長 大は大と云うことで小なる支障は当然あり。統帥部は希望通りの兵カを持って居らぬ 之れが大なる支障なりや否やは其の時にならねば分らぬ
内相 武カを使わぬでも参戦と云うことがある。使わぬ参戦は参戦なり。交戦状態即参戦と武力行使とは不可なりと外相述べたるも、武カを行使せぬでも参戦にあらずや
外相 同感なり、参戦と武力行使ては時間的に差があっても宜しい
参謀次長 それだから武カ行使は分けて自主的にやってもよいではないか
以上を以て問答を終る。然るに永野軍令部総長所見を述ぶとて発言す
軍令部総長 自主的に行動すと云うても、愈々やる場合には同盟の誼に依り相談の必要ありと思う。宣戦は即時武力発動し得なければやらぬと思う(5)
(次長は、右は次長が極端に言うたのを幾何緩和したものと感取す)
外相 陸海軍案に対しては根本的に意見あるが而し大体に於て同意である
武藤軍務局長 それならばそれを書いて出して呉れ
外相 書いては出さぬ
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杉山は参謀本部全体の意見を集約して独は事実適時適切に相談して居らぬ(4)とドイツに怒りをぶつけている。これにたいして、松岡は誠心でドイツをつかむ必要あり、と答えている。論戦の基準ではこういった理不尽な結論を述べた方は負け、松岡は負けであろう。
松岡はここに出席した誰からみてもわかる三つの重大な失策を犯していた。「(ソ連抱き込みを目的とした)三(四)国同盟外政策失敗」「(ドイツの希望に反した)日ソ中立条約の締結」「独ソ戦勃発の否定」である。どこの国の外交官でもこのように相手国の意図をつかめず将来の予想に失敗した外相は罷免されるであろう。このとき松岡につき従った外務官僚は「御殿女中」ばかりであった。
海軍はここでも不気味な主張を繰り返した。岡敬純の対英米戦開始(3)が第一である。海軍軍人は陸戦を知らないことは当然として、日本の地勢的位置にも鈍感である。独ソ戦勃発をハワイ作戦発動の好機とみたのであるが、地勢的には独ソ戦勃発は英米戦を難しくした。島国が生きのびる道は、外部の1大工業国との補給路を維持することである。
ドイツが第一次大戦でなぜ英米間の補給路を断とうとしたのか、戦略的に海軍軍人は理解しようとしなかった。日本はこれまで英米との補給路を維持したうえで戦争に臨んだのである。英米と戦争するのであれば、ソ連との補給路を維持する必要がある。ところが独ソ戦勃発はそれを困難にさせるのである。
永野修身は続けて宣戦は即時武力発動し得なければやらぬと思う(5)と発言しており、これは奇襲開戦の意思表示(=ハワイ作戦実行)であった。松岡でなくとも外務省条約局は奇襲開戦に伴う外交的不利を海軍に説明するべきであった。外務省の主たる仕事は戦局予想ではなかったはずである。
6月27日第34回連絡懇談会
陸海軍案.に対する政府側の質問を以て終始す
外相 自已の考えある外交計画を説明し、大本営側の再考を求む 外相の外交の見地よりする判決は、独「ソ」戦に直に参戦の決意をなし、先づ北をやり、次で南をやり、此の間支郡事変を処理せんとするに在り 外相大本営案には概ね同意なるも、直に参戦の決意をなす点に於て相違あり
論議の概要左の如し
外相 大島より意見具申数回あり。共の要旨は、帝国の方策は相当難しいと思うが独「ソ」戦は短期に終る、秋又は本年中には独英戦は終る 過度に形勢を観望するは不可なりと云うに在り
我輩は夙に外交作戦計画を立案し、其後も之に就き想を練って居ったのである。独「ソ」戦発生の公算はニ分の一と考えて居った所今日既に発生せり。
昨日の大本営案には概ね同意なるも、外交の見地より若干意見あり。左に従来より考えある所を述ぶべし。
全面和平の為重慶との直接交渉は見込なし、従って大きく包囲してやる要ありと判断し、「ソ」とも中立条約を造り、独に対しては頼みはしなかった 之れと手を握り唯残るは米国のみとなった。よって米国に対し滞欧中参戦阻止援蒋中止を趣旨とする個人「メッセージ」を出した。帰京後米国の返事を見た所、本職の考えと違って居った。変なものになったのは中間に人が入ったからだ。
数日前米国から返事が来たが実に妙なものだ。勿論支那事変をやめればうまく行くかも知れぬが夫れは適当ではない。結局最後に米国をつかむ事に狂を生じた。
今や独「ソ」戦が惹起した。帝国は暫く形勢を観望するとするも、何時かは一大決意を以て難局を打開せねばならぬ 独「ソ」戦が短期に終るものと判断するならば、日本は南北何れにも出ないと云う事は出来ない。
短期問に終ると判断せば北を先きにやるべし。独が「ソ」を料理したる後に対「ソ」問題解決と云うても外交上は問題にならぬ 「ソ」を迅速にやれば米は参加せさるべし
米は「ソ」を助けることは事実上出来ぬ、元来米は「ソ」が嫌だ、米は大体に於て参戦はせぬ、一部判断違があるかも知れぬが故に先づ北をやり南に出よ 南に出ると英米と戦う、仏印に進出する事に就ては、ともすれば英米と戦うことになるかも知れぬが、二週間に旦る軍側の説明に依り仏印進出の必要性は能く分った。
「ヤケクソ」にやるわけではない 「ソ」と戦う場合、三、四月位なら米を外交的におさえる自信を持って居る 統帥部案の如く形勢を観望すると英米「ソ」に包囲せらるべし 宜しく先づ北をやり次で南をやるべし。虎穴に入らずんば虎子を得ず。宜しく断行すべし
(右外相の発言間、軍令部総長が『昨日独「ソ」に米が入ると云いしも米国が入らぬ様外交をやって呉れ、三国同時作戦にならぬ様外交をやって呉れと云うたのである』と釈明したるに対し、外相はそれならよしと述ぶ)
陸相 支那事変との関係如何(6)
外相 昨年暮迄は南を先きに次で北と思って居った。南をやれば支那は片付こと思ったが駄目になった。北に進み「イルクーツク」迄行けば宜しかるべく、其の半分位でも行けば蒋にも影響を及ぼし全面和平になるかも知れぬと思う
陸相 事変を止めても北をやるのを可と思うか
外相 或る程度迄止めても北をやるを可とせん(軽い意味にて云う)
陸相 支那事変は続いて解決せざるべからず
海相 世界戦争は十年の問題だ(7) 此の間に支那事変はふっとぶ 此の間に北をやるが宜しい
外相 我輩は道義外交を主張する 三国同盟は止められぬ、中立条約は始めから止めても宜かった。三国同盟を止めて云々なら取らぬ。利害打算はいかん。独の戦況未だ不明の時やらなければならぬ
内相 松岡さん、当面の問題を能くお考へなさい。 あなたの御話は直に「ソ」を打てと云うのか 国策として直に「ソ」と開戦せよと云うのか
外相 然り
内相 今日は事を急いでやらねばならぬ、而し備を充分やらねばならぬ 兵力使用と云うも準備を要す、国策実行にも準備をやらねばならぬ、即ち先づ準備をやる必要があるのではないか
外相 我輩は北を先きにやることを決め之を独に通告したいと思う
参謀総長 道義信義外交は尤もなるも現在支那に大兵を用いつつあり、正義一本も宜しいが実際は出来ぬ 統帥部としては準傭を整える、やるやらぬは今決められぬ 関東軍だけでも準備に四、五十日を要する、今の兵カを戦時編制とし更に攻勢を取るためには又時日を要する。独「ソ」ノ状況はその頃判明すべし。それでよければ起つのだ
外相 極めて有利の「極めて」は嫌だ、「ソ」を打つと定められ度
参謀総長 イカン
軍令部総長 相当大きな問題故統帥部も考え様
外相 大体此の統帥部案に異存なし。但し我輩の意見を入れるか入れぬか
参謀総長 外交を之に加え様
外相 それでは最後に、「之に即応する様外交交渉を行うと」入れれば宜しい 外交をやれと云うても米とのエ作は之以上続かぬと思う
内相 独に対しては三国条約を基調としてと入れられ度
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この日、松岡はこの場で対ソ開戦を決定し、ドイツに通告すると言い始めた。東條が支那事変を引き合いに出して反対した(6)。及川は世界戦争は十年の問題(7)と言って、待つことを一義的に主張した。これが本人の気持ちに一番近かったであろう。
陸海軍省部は松岡の北進論に反対という点で一致した。陸軍は三国同盟の目的がドイツに支那事変を仲裁させることであったから、北進についてはドイツへの利益供与であり、外交でドイツから何かとってこいいう態度であった。
6月28日第35回連絡懇談会
陸海軍案に対する主として外務大臣の修文意見を討議し、概ね大本営案通り意見一致す
之より先本日午前、両軍務局長、外相及外務次官等と折衡し、大本営案に外交に関する事項を特に含めたる一案を作成しあり
決定案は宥成案ノ要領ニに「対仏印、泰施策要綱及」を挿入したるに過きさるものとす
外相 先づ方針第三の如何なる障害をも排除すとある中には、外交手段に依り排除するの意をも含むものと解す、又要領三の三国枢軸を基調とすとは同感なりと冒頭し、左記希望を述ぶ
(1)国内を充分取締られ度
(2)南をやるのは火をもて遊ぶ様なもので、南をやれば英米「ソ」を相手とし、戦争することになるであろう。此の点依然修正せられてないが、重要問題故重ねて所見を述ぶ
(3)仏印に対するエ作に関しては、大島大使より意見が来て居るが依然止めずにいるのか「リッペン」から武力行使を止めて呉れと云うて来るかも知れぬから本件は予め含みおかれ度
海相 何か「リッペン」の申入に関し右の様な徴侯があるのか
外相 ナシ
陸相 仏印をやることに就ては情勢判断が合致した(8) 上の事ではあるが、やるに方っては慎重に慎重を重ぬる必要あり
(次長仏印に対する軍隊の行動は極めて慎重にやらねばならぬものと印象を受く)
次で対独通告に関し論議す
外相 参戦の決意を何時かは独に通告せねばなるまい(9)。自分も全般の惰勢上今日は未だ参戦の時機ではないと思う、従って其の時機が来たら其の時に通告すればよいのである。然し乍ら独側より問合せがあって之に返事をするのでは適当でない。今云わざるも将来云わなければならぬ様になると思う。そこで帝国として今日参戦の決意を定める必要あり
参謀総長 独に云うことは出来む、情勢有利に進展せばであって、過早に参戦すると云うも有利が来なかったら変な事になる
軍令部総長 参謀総長に同意見なり
(之れより先、軍令部総長より参謀総長に対し、独に参戦と云うことは絶対に反対なりと海軍側の強い意志表示があったので外相の右墾言に対しては参謀総長及次長共黙して語らざりし所海軍側は総長始め三人とも同様全然発言せず、暫く沈黙を保ちたる後、外相より参謀総長如何ですかと質間せられたるに依り総長は右の如く答えたる所、海軍総長同意見なりと述べたる次第にして、此の辺海軍側が絶対不同意なりと意志表示しつつ、表面に立ちては其旨発言せず、其真意那辺にあるや諒解に苦しむ所なり)
外相 六月二十二〔に「オツトー」を通し、帝国は三国枢軸を基調とすべきことを独側に電報したる所、「リッペン」より感謝し来れり 尚大島より依然仏印をやるかと質問して来たので変化なしと答えおけり 大島が「リッペン」に対英攻撃をやるかと質問せるに対し、現在は潜水艦の効果を待って居る、又無条件降伏でなければ対英構和はせぬと述べたるが如し
外相 仏印に対する施策を止めてもらえれば結構だが、状況に変化あれば止められ度
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松岡は参戦の決意を何時かは独に通告せねばなるまい(9)と言い、前日決まったドイツ不通告を巻き返そうとした。これは簡単に否定されたのであるが、東條は南部仏印進駐について仏印をやることに就ては情勢判断が合致した(8)と念押しした。
これが東條流であって、以前の結論を金科玉条のようにして、「あのときこういったではないか」と言うのが得意であった。普通であれば、陸軍が北進論を断念したのであれば、対英米戦も断念のはずであった。日本の地勢的位置は米ソの狭間にあり、米と戦えば日本が孤立し、独ソ戦でドイツが勝たねばドイツと連絡をつけられない。すなわち対英戦(アメリカの参戦を食い止めるという前提で)と対英米ソ同時戦はあるいは成立する(ソ連の敗北という前提で)かもしれない。だが独ソ戦が始まれば対米戦はどこからも補給を得られない。すなわち対英米戦は最悪の選択であった。
6月30日第36回連絡懇談会
自午後五時至同九時、今回は特に企画院総裁、大蔵大臣、商工大臣を加えたり
要旨
首題の件に関し懇談する予定なりし所、過般連絡会議に於て決定し上秦御裁可を得たる南方施策促進に関する件に拠る南部仏印進駐に関し、外相より繰延(約六月)の意見出て、之が論議に時間を費し、結局仏印進駐は予定通り実施することに於し、又閣議提出案及政府声明案は決定を見たるも、対独通告文及外相御説明案は明日午後更に研究することとし、御前会議はニ日午前に奏請する如く変更し散会せり
茲に於て最も急速を要する国策の決定は、既に上奏御
裁可を得たる仏印進駐に関する外相の蒸し返しに依り意味なく一日遅延せらるるに至れり
塚田参謀次長は本夜徹宵審議決定すべき旨発言セルモ、外相は疲労しありとてテ明日再開を主張せり
南部仏印進駐中止に関する論議の要旨
外相南に火をつけず北をやれと強調し、左の如き要旨を述ぶ
『今日迄独は独「ソ」戦争には協力して呉れの程度なりしも、本日「オツトー」は本国よりの訓令を見せ参戦を申込みたり。尤も此の参戦は訓令に附伽し「オツトー」の意見希望として述べたるものなり 何れについても帝国は参戦の決意をせるべからず、南に火をつけるのを止めては如何(10)。
北に出る為には南仏進駐を中止しては如何 約六月延期しては如何 然しながら統帥部総理に於て飽迄実行する決心ならば、既に一度賛成せる自分故不同意はなし』
右に対し、海相は杉山総長に約六月位延期してはどうか(11)述べ、又近藤次長ハ延期スル様に考え様と塚田次長に私語せるも、塚田次長は参謀総長に断乎進駐を敢行すべきを具申し、杉山総長、永野総長と協議の上、統帥部を代表し断乎進駐すべき旨を表明せり
近衛総理は統帥部がやられるならばやると述べ、外相は然らばやるが、其他大臣は異存なきやと問い、各大臣も異存なしと発言し、結局原案通り実行することとなれり
前項に関聯し尚左の如き発言あり
外相 我輩は数年先の予言をして適中せぬことはない。南に手をつければ大事になると我輩は予言する。それを総長はないと保障出来るか 尚南仏に進駐せば、石油、「ゴム」、錫、米等皆入手困難となる
英雄は頭を転向する(12)、我輩は先般南進論を述べたるも今度は北方に転向する次第なり
武藤局長 南仏に進駐してこそ「ゴム」錫等が取れるのである
内相 北をやらねばならぬと思う。而し出来るか出来ないかが問題で、之は軍部の御考による外なし
軍令部総長 北に手を出すには、海軍としては一切を南に準備して居るのを北に変更する必要を生じ、之が為約五十日かかる
帝国政府声明案に就きては、情報局提出の一案に対し近衛総理不同意なり
総理 此の様な抽象的の事を出しても国民は承知すまい、重ミのあるなんとかうまい方法はないか
参謀総長 三国枢軸を基調とすること、支那事変処理をやることを附加してはどうか
総理 統帥部から国策決定せりと発言しては如何(13)
書記官長より種々提案あり。結局近衛総理の発案に依り『本日御前会議開催せられ当面せる帝国の重要国策決定を見たり』と声明するに決す
対独通告文並に外相説明案に関して外相疲労して居るから帰って更に研究し度しと述べ、塚田次長徹宵審議を提議したるも遂に審議するに至らず
以上の懇談のうち外相は外交の原則論を述べ、参謀総長及同次長は今や原則論の時機にあらず、高等政略と高等戦略との調和に依る国策の決定をなすに在りと熱心に論議せり。而して海軍側の大臣、総長、次長は殆ど発言することなく、従って参謀本部と外相との論に終始せるが如き次第なり
依是観之仏印進駐に関しては、之に対する外相の逡巡、海相、近藤次長の延期説等を繞り、進駐実施.に方りては相当の波欄を生ずべく又本日の会議の空気並海軍側対独通告ノ趣旨(南北何れにも出る案)等に鑑み北方の好機を捉え愈々実行する場合に於ても大なる紛糾を生ずべきを予想せられ憂慮に堪えず
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松岡は南に火をつけるのを止めては如何(10)と南部仏印進駐中止を言った。恐らく南進が止まれば、北進になると読んだのであろう。これに以外な所から賛成の声が上った。それは及川古志郎の約六月位延期してはどうか(11)という提案である。
及川は追い詰められていた。連合艦隊司令部に操られた永野軍令部総長が対英米戦を叫ぶ中、昭和天皇の親英米の気持ちを忖度せざるを得なくなったのであろう。及川は1921年の昭和天皇訪欧の随行員であり半年にわたって起居を共ににした経験があった。
だが杉山と永野によって押し切られた。杉山は『情勢の推移に伴う帝国国策要綱』を参謀本部が起草した手前、それを通そうと熱心であった。だが、南部仏印進駐中止論を松岡が言い出したことが致命的問題であった。このディベート参加者全員から「キチガイ」(永野修身)と思われていた。
松岡は我輩は数年先の予言をして適中せぬことはない。英雄は頭を転向する(12)、と叫んだが、つい半月前に独ソ戦勃発を誤って起きないと公言した。これでは松岡の予言など信じろといわれても誰にもできない。狂人とみなされても当然であろう。
松岡へのあまりの嫌悪感から参加者全員が松岡のいうことの反対を選んでしまったのである。南部仏印進駐はイギリスに対する軍事行動であることを過少評価してしまった。また、及川の「6カ月延期」は正しい外政方針であって、もし1942年まで待つことができれば、じっさい起きた史実とは完全に異なり、世界戦争参戦を避け得た公算が強い。
北進論も、松岡が主張するから奇妙に聞こえるのであって、南進論=対英米戦よりははるかによい決心であることも事実であろう。
近衛はこれらの会議に全部出席したが、南部仏印進駐には賛成ではなかったのであろう。最後に統帥部から国策決定せりと発言しては如何(13)とだけ述べた。よくよく拗ねかえった貴公子であった。この問題は昭和天皇や西園寺公望に逆らい、自分の社会主義への憧れからの親独が生んだ結末であった。ところが、『情勢の推移に伴う帝国国策要綱』を起草した統帥部に責任を転嫁した。それであれば、なぜ三国同盟破棄を公言しなかったのか?
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