神兵隊事件

昭和8年7月10日〜11日の「決行1日前」に、参宮橋明治溝会館や渋谷の金王八幡神社の集会所などで、天野辰夫ら49人神兵隊事件関係者が、警視庁によって一斉に検挙された。

この検挙とは別にアナーキスト吉川永三郎は、西田税(5・15事件で危うく逃れた)や敬天塾(西郷隆盛を敬愛する鹿児島中心の組織)の永井了吉日大工学部教授井暗殺を「命ぜられ」たが決行前に長野・諏訪町の山林でピストルを試し撃ちするため実家に戻ったところを検挙された。

  1. 天野辰夫 東京帝大独法卒 弁護士(井上日召の弁護人)上杉慎吉門下 愛国勤労党中央委員長 浜松楽器(現日本楽器)社長天野千代丸の長男。
  2. 前田虎雄 赤尾敏主宰の建国会会員 影山正治は門弟 カムチャッカに武装移民する計画の推進者
  3. 山口三郎 井上日召の兄二三雄の教え子(二三雄は大正8年3月5日のさい訓練中の事故により死亡したが、それについて責任を感じていたという) 横須賀海軍工廠の飛行実験部長 中佐。9月に予備役編入となり11月に逮捕。府立1中、海兵卒のエリート軍人であった。昭和9年2月獄中死。
  4. 安田銕之助 陸軍中佐(昭和5年退役) 福田雅太郎女婿 井上日召友人 陸大卒であり、エリート軍人である。事件のあと「まことむすび」を結成し右翼運動に没頭した。長男元久は学習院長。

の4人が中心人物としてのち検察庁によって起訴された。前田は会沢正志斎の「神兵之利」という言葉から決起参加者を「神兵」と呼び、その名で全国新聞に事件は即刻報道された。非常に警察に誘導され周知となった事件であった。

計画では、首相官邸と警視庁を空爆する。地上部隊により、閣議席上の閣僚他を暗殺する。暗殺目標は、牧野伸顕内府、一木徳太郎宮相、山本権兵衛、鈴木喜三郎政友会総裁、若槻礼次郎民政党総裁、安達国民同盟総裁、麻生久社大党書記長、原田熊雄(西園寺公望秘書)、池田成彬(三井関係)、郷誠之助(三菱関係)、藤沼庄平警視総監であった。

別に、水戸から大型バスに乗って上京した行動隊茨城組の小池銀次郎など30名は、検挙の模様に気付いて明治神宮外苑から引き返して土浦に帰ったところを、鈴木善一は検挙を知らずに11日朝に明治神宮参道橋そばの神宮講会館に現われたところを、それぞれ検挙された。小池銀次郎茨城県布川町長は天野や前田と親しかった。この30名は小池が布川町長として青年団に声をかけ集めた。

山口三郎は海軍特別大演習の臨時第2航空司令となっており館山にいた。7月11日未明に決起失敗の連絡が岩田一から電話で入ったので、そのまま演習に行ってしまった。それとは知らない安田や天野は、逮捕されるまで空爆が開始されるんではないかと空を眺めていた。

準備

主犯の天野辰夫はこの計画を昭和7年5月初旬に始めたという。資金源はデパートの松屋常務内藤彦一であった。天野はすでに安田銕之助と親しく、安田の紹介によって内藤と知りあった。しかしながら、内藤は投機によって多額の借財を抱えていた。内藤によりこの計画は窮余の一策で、融通手形によって資金を集めた。

天野は、前田虎雄を上海から呼び、紫山塾頭本間憲一郎も加えて謀議した。前田は本間の紹介で、山口中佐と会った。5・15事件事件によって昭和7年6月、大川周明、9月に柴山が検挙された。

前田虎雄は、皇国農民同盟、大日本生産党青年部、神武会、大化会、国家社会党、大阪愛国青年連盟などの「社会主義政党」や「大アジア主義団体」「農本主義者」や国士舘専門学校生徒などの学生を糾合しようとしていた。しかしながら、資金は潤沢でなく、愛国勤労党は昭和8年2月には四谷区愛住町の本部の電気料金も払えないまでになった。

警察の監視も厳しくなり、昭和8年3月には、いったん頓挫するかにみえた。この月、内藤は3万円を安田に渡した。

前田は大日本生産党青年部長鈴木善一に働きかけた。6月21日から3日間、横浜市神奈川の待合「明石」で謀議した。計画決行期日は7月7日であり、鈴木が部隊の指揮に当たることになった。決行日は準備不足で7月11日に順延された。そして10日に一斉検束されたのである。

57人が起訴され公判は長引き、昭和16年3月、大審院は内乱罪未遂、予備には当たらないとして無罪を言い渡した。

事件の謎

この計画には権力奪取計画がないかのようにみえる。裏の人物は西園寺公望の私設ボディガード中島九峯であった。首相を亡き者にしたあと、中島が西園寺を説得する予定であった。そんさい首相に擬せられたのは東郷平八郎であった。ただし東郷は何も聞いていなかった。安田は金に困っていた内藤松屋常務を内相にする予定であった。

また事件の中心人物は全て井上日召と由縁をもつ人物であった。ただし、昭和12年における初公判における被告は53人に及ぶ。「起訴」当時は内務省・検察局の「快心の作」であった。

  • 愛国勤労党主宰弁護士天野辰夫(四六)▲予備役陸軍歩兵中佐安田銕之助(四九)
  • 地上部隊 愛国勤労党中央委員前田虎雄(四六)▲生産党理事、青年部長鈴木善一(三五)▲元国学院大学学生影山正治(二八)▲著述業片岡駿(三四)▲奥戸足百(三四)▲佐藤守義(二五)▲村岡清蔵(二九)
  • 連絡員 元新聞記者岩田一(三七)▲同田崎文蔵(三八)
  • 東京決死隊 白井為雄(三二)▲雨宮信(二八)▲橋爪宗治(三一)▲小野義徳(三〇)▲町田専蔵(三一)▲椿良雄(三九)▲花野井弥太郎(三二)▲小松崎重(二五)▲阿部克己(二六)▲太田覚(三六)▲梅山満男(二五)▲森川長孝(二七)
  • 関西組 黒江直光(三〇)▲正木昌之(二七)▲白阪励(三四)▲西山五郎(二七)▲芥川治郎(二九)▲藤井嘉夫(二五)▲森本幸一(二五)▲増沢毅(二七)▲本木恒雄(二七)▲南方重雄(二五)▲板垣操(二八)▲白阪英(二九)▲田中雅(二七)▲輸田留次郎(二七)▲星井真澄(二七)▲福島三郎(三六)▲大西卯之助(三四)ほかに応召者二名
  • 群馬神風連 滝沢利量(三〇)▲高橋梅雄(二七)▲尾崎海治(二六)▲中野勝之助(二四)ほかに応召者一名
  • 茨城組 元茨城県布川町長小池銀次郎(四九)
  • 青森組 伊藤友太郎(四三)
  • 学生組 毛呂清輝(二五)▲中村武(二六)▲永代秀之(二四)
  • 別働隊 吉川永三郎(三七)
  • 空中部隊 海軍中佐山口三郎(死亡)
  • 東京資金関係 中島勝治郎(六〇)

    区分けや肩書きは検察官がつけたもの。

問題は吉川永三郎であろう。この人物は後半生がわからない謎の人物である。吉川は「荒木貞夫」を殺害せよと指令を受けたと供述した。安田銕之助を除く主犯グループに荒木を殺害する動機は薄い。この指令の動機を解くのが鍵であろう。「目標」とされた人物のうち、政党関係者や財閥関係者を除くと原田熊雄も唐突であろう。

5・15事件のあと斉藤実に大命降下があったのが、西園寺公望の初めての首相推輓であった。それまでは超然内閣のときは元老の一致した推薦により、または議会多数党代表が首相になった。

安田銕之助は右翼団体を後半生で結成したにせよ、名門育ちであり東久邇宮付武官経験があった。義父の安田雅太郎は田中義一と上原勇作の人事をめぐる争い(陸相宇垣一成か福田か)で対象とされた大物であり、西園寺公望の側近グループ、とりわけ原田熊雄と親交があり、その線で永田鉄山と親しかった。上原派を薩摩派とみなし荒木が後を継いだというのは、戦後の「軍閥史観」に過ぎず」、俗論である。

永田の「国家総動員体制」=社会主義経済樹立にかける情熱は異常であり、省部をどうしても離れたくなかった。この人事を阻止しようとしたのである。別に同期でバーデンバーデンの密約の盟友かつ同期、小畑敏四郎との出世競争で一歩負けると思ったのであろう。

事件直後、武藤章・綾部橘樹・池田純久の統制派面々が安倍源基特高部長に往訪、捜査妨害を試みている。さらに今田新太郎・辻政信を新疆に出張させた。永田と伊沢・唐沢の「信州コンビ」も再三連絡をとっていたが、すでに伊沢・唐沢は警保局への影響を失いつつあった。

昭和8年8月、陸軍定例人事で荒木貞夫陸相は永田を東京第1旅団長に飛ばした。

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