1905年のサラェボ地図

青枠内下図

サラェボは人口5万人の小都市だが、ボスニア・ヘルツェゴビナ両州の首都であり、その機能は備わっていた。殊にアペル・キュー周辺は軍事施設があり、なぜ軍隊がこの時警戒に出なかった不思議だ。謀略説はとらないが全体として綱紀が弛緩している印象は免れない。

それにしてもごく狭い地域にカトリック教会・ギリシャ正教教会・イスラム寺院モスクが立っているのは、宗教と民族に寛容だった二重帝国の明るい面だろう。ただ臣民は対立を忘れることはなかったが。

鉄道は南を走っているが停車場は西方で地図にはない。実は有事の際フランツヨゼフ兵舎から直接鉄道に乗車できるように線路を配置した。このため、停車場は兵舎が町の中心部のためわざわざ離したとされる。もし停車場が町の中心にあれば。この事件も違ったものになっただろう。


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