ニベル攻勢(シェマンデダーム)
ニベル攻勢は二つのシャンパーニュ戦の東部一帯で戦われた。フランス軍は第5軍(マゼル)と第6軍(マンジン)のおよそ38万人、直協部隊(第1軍・第10軍)・予備部隊合計70万人が投入された。
対するは独第1軍(Fベロウ)第7軍(ベーム)の40万人だった。ドイツ軍はニベルが「奇襲によって48時間で戦争(!)に勝利する。」と高言したのを受け、準備は完璧だった。
4月16日に開始された攻勢は4月20日までの5日間に118千人の損害と前進壕すら突破できないという惨憺たる失敗に終わった。ただ人的被害はソンムやパッシェンデールと比較して多いという訳ではない。
フランス第6軍の司令官マンジンはフランス第一の猛将として知られていた。その部隊が一番被害を受けた。そしてその後発生した反乱事件の中心は第6軍だった。フランス兵反乱の主たる理由は自軍の指揮にたいする不満だったことがわかる。マンジンはその後一時的に軍団長に降格された。
この攻勢の主たる戦場となったシェマンデダームはフランス語で貴婦人の道を意味する。歴代のフランス王はクロービスからルイ16世までランスの大聖堂で戴冠式を行った。パリからランスに行くのに貴婦人の馬車は遠周りだが平坦なこの道を通った。それがこの道の名前の由来となった。ランスは第1次大戦で5回ローラーがかかり、大聖堂も含めて大きく破壊された。
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