コマロウの戦い

コマロウの戦いは、7月26日トマショウ付近で開始され、29日までオーストリア軍が北のコマロウまで押す形で続いた。

ウェプルシュ川西側では7月25日にクラスニックでオーストリア軍がロシア第4軍を破っており、ルブリン方向に追撃戦を展開していた。ただしワルシャワ方向からロシア第9軍が応援部隊として駆けつけており、7月26日からルブリン南方で鉄道下車を開始している。

この時、トマショウ付近の露第5軍が3個軍団、墺第4軍も3個軍団半(ただ一部充足していない。反面後備旅団を随伴)でほぼ互角だった。

戦いは26日露第5軍(プレーベ)が墺第4軍(アウフェンベルグ)右翼を中央部分を使って包囲することから開始された。これは自軍の左翼の翼側を警戒したもので、良い処置だろう。

しかし墺第3軍から応援に出た第14軍団(後備旅団2個を随伴しこの時約3個師団)が28日到着しロシアの包囲翼を迂回しながら後方に回る勢いをみせた。同時に墺第4軍の左翼も包囲の形勢をみせた。

プレーベはたまらず29日後退命令を出した。ホルム方面へ退却したが、それまでに中央から左翼は後退をすでに開始しており、また墺最右翼は東側ががら空きで、実際そこは第14軍団司令官フェルディナンド大公の言によれば「コサックの跳梁する世界」で追撃には限界があった。結局包囲は完成することなく、ロシア軍の大半はホルム近郊で再度集中することに成功した。


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