1915年5月東部戦線
1915年5月の東部戦線はプルゼミスル要塞が陥落したことにより、大きくロシア軍優位に傾いたかにみえた。
だが、ロシア軍にとってポーランド突起部は大きな負担となっていた。
すなわち、ウィクセル河やサン河は、ロシア軍の策源地である、ペテルブルグ・モスクワ・キエフより大きく離れていた。そのうえ、ポーランド領内における鉄道は疎らで、独墺の鉄道とは比較することすらできない有様だった。
このロシアにとり厄介なポーランド突起部の解消を、ファルケンハインは戦略目的とした。
これがためには、プレズミスル要塞に篭った12万人のオーストリア軍将兵を見捨てたわけであるから、ドイツ的合理精神の現れだろうか。
ファルケンハインは側面攻撃を避けるためゴルルッツ−タウノウ地区を突破地点に選定した。この地区に西部戦線から兵を送るのに5日しか要していない。
プルゼミスル、レンベルグと進み、プーク川を北上したが、レンベルグを占領したのは6月22日で1ヶ月以上かかっている。ロシアの公式統計はこの戦いの南西軍の損害は412千人としている。その大半はこのゴルリッツからレンベルグへの進撃で生じたとみられる。
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