ガリシア緒戦


ガリシア緒戦の戦いはポーランド南部の戦いと東ガリシアの戦いに分かれる。一見してわかる通り、ロシアは急速動員をかけた軍、(1・2・4・5・3・8)と動員後1ヶ月半後編成が終了する軍(6・7・9・10)と二通り用意していた。これでは、西方作戦にかけるドイツはともかく、ロシア軍の大半を引き受けるオーストリア軍は劣勢の感を否めない。まず前進して先制攻撃をかけるか、それとも待つかの選択となる。

ところがコンラートは、対露作戦について独軍との共同作戦も含めて全く準備していなかった。また索敵も当座だけのもので、全般計画、すなわちロシア軍の後詰が、どの程度、どの位の時間で現れるかについて全く事前検討がなされていなかった。やった事は集中が終了した軍をただポーランド領内に前進させただけである。

また東ガリシアではオーストリア軍の無鉄砲さが目立つ。戦後の記録を見ると、オーストリア軍の索敵はある程度まで正確だった。例えばオーストリアはドブノ方面に6個軍団(7、8、12および9、10、21)が集結していることをつかんでいた。実際は第24軍団を落としているだけだ。

ところがオーストリア第3軍(ブルーダーマン)はこの大軍にたいして3個軍団をもって単騎で東ガリシアに向けてレンベルグを出発した。そしてこの暴挙にコンラートは許可を与えるばかりでなく、ドイツ第8軍(プリトウィッツ)に北部からワルシャワ挟撃を誘った。しかし第8軍はほぼ倍の敵軍(第1軍レネンカンプ 第2軍サムソノフ)に直面しておりこれは不可能だろう。しかもコンラートはこの事実を知っていたのだ。

コンラートとその幕僚は2倍だろうが1.5倍だろうが構わず敵に当たればよいと考えたのだろうか。

一方ロシア軍も同様で南西軍のホルム方面の軍は集結しただけで何の目的もなかった。ただアレクセイエフはオーストリア軍がレンベルグを死守するとの確信をもった。このためレンベルグ攻略を目指した第3軍・第8軍は最も重厚な編成だった外、司令官も他より優れていた。この2個軍が側面攻撃に対する防禦を固めながら、ゆっくりした速度で前進されたらば、簡単に防衛戦闘で勝つのは難しい。

このレンベルグ攻撃のための第3軍と第8軍はロシア軍最良であり、ロシアの当初の狙いがむしろロシア南部の安全を優先させたことがわかる。



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