フォシュはドイツ軍の撤退を壊乱に導く目的で、ベルダン−アルゴンヌ方面からメディエールに到達することを第1の目標に置いた。これは旋回軸を破砕し、敵を包囲の恐怖に誘うものだ。一方ヘイグは、未だにフランス軍首脳の考えを理解できず、敵の退路を断つ目的でモーブージュへの進撃を主張した。
一方ペタンはメディエールにしてもモーブージュにしても前線から距離が開きすぎ、突起部を形成しかねないと反対した。ペタンの攻勢作戦の基本は5日行程で停止するがその時は斉頭面であるべきだというものだった。
実際は計算すればペタンの理屈が当然で、ペタンの意見が通った。フォシュは憤懣やる片なく、演説した。「新命令がなければ超過して前進してはならない、というのはおかしい。このように制限的な指示は好機に乗じて猛進することを妨害する。最も重要なエイランを挫くものだ。」ペタンの方が隊付き将校の時代は長かったが、独断専行は嫌ったようだ。
だがアルゴンヌとメディエール周辺がこの退却戦の要だという点では一致していた。ルーデンドルフも、ここを譲るつもりはなく最も激戦となるが、新着のアメリカ軍も攻勢に失敗ドイツ陸軍の強さを最後にみせつけた。
ドイツ軍はなぜ敗北したのだろうか。旧軍参謀本部はこれを「最後の5分間の敗北」と表現した。それまではドイツ軍は勝利していた、という意味だろう。兵力は拮抗しており、カイザー戦は成功だった。作戦能力でもドイツ軍が上回っていた、と。
旧軍参謀本部はこの戦争結果は単純に個々の作戦の良否で判断すべきでなく、戦闘・外交・内政の総和で判断すべきだ、という。連合国は最終攻勢で総和の過剰を収穫して勝利した、と結論づけた。
何を言っているのか理解が難しい。要するに作戦や戦闘能力でドイツ軍が劣っているのでなく内政と外交で負けたと言いたいのだろう。アメリカの参戦がドイツ外交の失敗(実際はルーデンドルフの失敗だが。)だとしても最終攻勢ではアメリカ軍を含めて兵力が拮抗していた。作戦の失敗を外交や内政の影響だとするのはルーデンドルフの発明だが、戦闘においてこれらの要因は直接には兵の士気以外は関係しない。もちろん前線で戦う兵士に食料が届かねば敗北するが、ドイツ軍の兵站はそのようにレベルが低くはない。また作戦はそういった士気の要素も含めてたてられる。作戦はよかったが兵の士気が低くて負けたというのは4年間一緒戦った兵士への冒涜だろう。またそれを避けるため初年兵が悪いというのはどうか。ただこの点はヒトラーも強調している。
旧軍参謀本部は、連合国の戦術がすこぶる単調でたちまちドイツ軍を席巻したことは作戦上より観察すれば「奇なる現象」だと言う。旧軍がそこまでドイツ軍事学に忠実なことが奇なる現象にみえる。
もちろん歴史は更に奇で、ペタンの歩兵戦術が成り立ったのは極めて短い時間かつ場所で、内燃機関が発達するとドイツ軍事学が再度有効となった。しかしそれも敵軍が機甲師団の防御法を確立すると独ソ戦後期のようにペタンの歩兵戦術がまた有効のようにみえる時期が現出した。
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