8月23日東プロイセン(旧軍参謀本部作成)

1914年8月23日(8月20日がグンビネンの戦い。第20軍団を除きその後アンゲラップ線:インステルブルグ東方の位置で防衛線をひいた。)の東プロイセンの情況である。OSTSEEはバルト海

1A(NJEMEN)はレネンカンプ軍(青)2A(NAREW)はサムソノフ軍を示す

1C(赤・フランソワ)はケーニヒスベルグとマリエンブルグ経由でタンネンベルグ方面に鉄道にて移動中。
20C(ショルツ)は2A(サムソノフ軍)と対峙中で上方の3R(予備第3師団モルゲン)はアレンシュタインで鉄道を下車した。

北方には17C(マッケンゼン)と1RC(予備第1軍団ベロウ)がアンゲラップ線を出て西方に移動を開始した。この二つの軍団は徒歩行軍で未明出発した。

1RCの南方のマズール湖沼群でドイツの騎兵がスクリーンをかけている。

本表は(旧軍の)陸軍大学の統帥参考講義時の付表だが、ロシア軍の配置に一部誤りがある。それでわざわざ独軍司令部の知りたると断っているがなぜかは疑問である。一般に陸大では実際の戦例を学ぶより、戦術を案出することに時間が割かれた。伝統的にドイツ軍事学は索敵そのものより予想される敵の配置に対し作戦を案出することに重点を置く。おそらくドイツ軍がこの時与えられた情報に沿って陸大学生に作戦を案出させたのだろう。

これはスターリングラード戦やミッドウェーで両国に高くつくことになる。

正しくは、第1軍(レネンカンプ)には近衛軍団:GCがこの時配置されていない。また第2軍(サムソノフ)から第23軍団が落ちている。ロシア軍の騎兵の位置は全体的にもう少し東だった。


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