1885-1894
名称 交戦団体 開始 終了 動員
1000
戦闘の経過・終了方法など 勝敗 結果 犠牲者1000
ビルマ戦争 英国 1885 1895

25

勝利 植民地化

4

ビルマ 1885 1895

50

交渉による和平 敗北 王家追放

2.5

マンディンガ戦争 フランス 1885 1898

25

勝利 植民地化

3

マンディンガ 1885 1898

100

全滅 敗北 王国消滅

40

(参考)マンディンガ族は西アフリカの代表的な民族で、ギニア、象牙海岸、マリ、セネガルまで広範囲に居住し、回教を信仰する。この民族の指導者としてギニア出身のサモリが現れた。サモリは1868年、自ら宗教指導者にしてかつ王であると宣言、ニジェール川流域全部にまたがる王国を創設した。この地域に広大な西アフリカ植民地を設けようとするフランスと当然対立、1885年から公然たる交戦状態に入った。サモリは一度は保護国を受け入れたが再度反抗、1898年捕らえられるまで戦いを続けた。
宗教戦争(ウガンダ) 回教徒 1885 1889

25

勝利 布教の合法化

3

カトリック教徒 1885 1889

100

敗北

40

(参考)当時英国東アフリカ植民地の一部であったウガンダで起きた回教徒とキリスト教徒による戦争。回教徒が勝利した。勝利した回教徒は1897年英国に対し反乱を起こす。
リアル反乱 カナダ 1885 1885

50

勝利

首謀者処刑

5

インディアン・フランス系住民 1885 1885

5

降伏 敗北

0.5

セルビア・ブルガリア戦争 オーストリア 1885 1886

500

勝利

0

ブルガリア 1885 1886

40

交渉による和平 勝利 マケドニアの領有権獲得

2

セルビア 1885 1886

40

交渉による和平 敗北

2

奴隷戦争 ベルギー 1885 1898

50

勝利 奴隷貿易の禁圧

4

英国 1885 1898

25

勝利 奴隷貿易の禁圧

3

アラブ系奴隷商人 1885 1898

5

交渉による和平 敗北

1

ズールー反乱 英国 1887 1887

25

勝利

現状維持

2

ズールー族 1887 1887

120

敗北

40

アラブ反乱 ドイツ 1888 1890

25

独領南西アフリカで発生した奴隷戦争と同種の事件 勝利 奴隷貿易の禁圧

0.5

アラブ系奴隷商人 1888 1890

30

交渉による和平
敗北

0.5

アビシニア内乱 エチオピア 1889 1899

100

交渉による和平 勝利

政権維持

10

叛徒 1889 1899

10

降伏 敗北

4

ダホメー戦争 ダホメー 1889 1890

50

交渉による和平 敗北

10

フランス 1889 1890

50

勝利

現状維持

2

ワヘヘ戦争 ドイツ 1891 1893

50

勝利

3

ワヘヘ族 1891 1893

30

交渉による和平 敗北

帰順

10

(参考)ドイツ領南西アフリカでワヘヘ族が反乱を起こした。ドイツ人が奴隷貿易をめぐり特定の部族を応援したためだと言う。
第2次ダホメー戦争 ダホメー 1892 1892

50

交渉による和平 敗北

1

フランス 1892 1892

50

勝利

2

ボルヌー反乱 ボルヌー 1893 1893

125

消耗 敗北

土侯国消滅

3

ゾベイル 1893 1893

40

勝利

2

英国・エジプト土侯国 1893 1893

50

勝利

1

(参考)ボルヌー・ゾベイルはスーダンの部族。マフディ(1881−99)の戦争の時はイギリス・エジプト側についたが、今回はサイドを替えた。ゾベイルは途中で寝返った。ボルヌーはオスマン帝国のスルタン認定地域(土侯国)だが、これにより消滅した。
マタベラ戦争 英国 1893 1893

25

勝利

反乱鎮圧

2

マショナ 1893 1893

19

交渉による和平 敗北

7

マタベラ 1893 1893

15

交渉による和平 敗北

3

(参考)マタベラ族は現在のジンバブエに王国を建設していたが、この時マショナ族を攻撃した。それに英国が介入し双方を鎮定した。マタベラは1896年英国に全面反攻する。
海軍反乱 ブラジル 1893 1895

200

勝利

26

海軍兵反乱軍 1893 1895

5

消耗 敗北

帰順

1

リフ戦争 ベルベル人 1893 1893

10

交渉による和平 敗北

1

スペイン 1893 1893

180

交渉による和平 勝利

現状維持

2

参考)リフはスペイン領モロッコにある山脈(マラケシュ・カスバタディア周辺)の名前。ベルベル人はそこに住む山岳民族。1912年に再びスペインに挑戦する。
トゥアラグ戦争 フランス 1893 1893

50

交渉による和平 勝利

現状維持

2

トゥアラグ族(サハラ部族) 1893 1893

8

敗北

3

(参考)トゥアラグ族はニジェール川沿いに住む部族
マダガスカル戦争 フランス 1894 1905

20

勝利

6

マダガスカル 1894 1905

10

交渉による和平 敗北

帰順

1

日清戦争 1894 1895

3000

交渉による和平 敗北 領土割譲

35

日本 1894 1895

300

勝利 領土・賠償金獲得

12


馬・汽船・鉄道

部族社会が終了し国家の時代に入ってから、軍事物資の輸送(兵站)は馬によって担われた。18世紀頃から兵站用の馬は、騎兵の使用する馬とは普通異なるようになった。つまり騎乗用の馬と馬車を引く馬が異なった。

兵站に重要なのは重量に耐えること及び速度があることである。馬が兵站の主要な手段となる前、帆船があった。しかし運河での輸送により内陸まで帆船輸送が可能だとしても馬の速度には及ばなかった。そして馬は運河のない地点まで行くことができる。

ただ馬匹輸送の最大の問題は糧秣である。このため輸送距離が伸びると、その距離に比例するのではなく、兵站の負担は逓増的になる。これは戦場に近い所の馬のための糧秣をまた運ばねばならないためだ。第1次大戦でもイギリス軍の兵站の半分以上を糧秣が占めた。

ところが汽船の発明により、運河または沿岸航路を利用できる地点が決戦方面だとすると馬による輸送は汽船による輸送にかなわない。これがクリミア戦争でのロシア敗戦の原因である。そしてイギリスの海上覇権がパックスブリタニーカと呼ばれる19世紀後半現出した。

ところが汽船の時代は長く続かなかった。少なくとも西ヨーロッパ・北米・日本では1880年代には鉄道網が確立した。このため、短時間で大量の兵員・物資を鉄道で運ぶことができるようになった。

1890年代には鉄道輸送が可能な状態に入っていた。ただ実際に使用したのは露土戦争のロシア、日清戦争の日本でいずれも国内輸送である。鉄道は陸上であれば沿岸航路や運河による輸送より圧倒的に早い。かつ相当の重量にも耐えることができる。これによって予想される決戦方面から離れた日・米・英は軍事的に重要なファクターから転落したとみなされるようになった。海軍国の有利さが一挙に失われた。

つまり20世紀の戦争を最も変えたのは鉄道である。

第2次大戦にいても鉄道は重要な位置を占めた。東部戦線でのドイツ軍の敗退は自動車輸送と鉄道輸送の差も一因である。