1845-1854
名称 交戦団体 開始 終了 動員
1000
戦闘の経過・終了方法など 勝敗 結果 犠牲者1000
第1次シーク戦争 英国 1845 1846

20

消耗 敗北

4

シーク人 1845 1846

100

勝利

10

カフィール戦争 英国 1846 1878

50

勝利

16

カフィール族 1846 1878

120

交渉による和平 敗北

40

(参考)カフィールと兄弟氏族ショーサはケープ植民地の東部にいた部族。1846年から9回にわたり植民地官憲と交戦した。1878年までに飢餓・感染症などにより当初50万人を数えた部族はほぼ全滅した。
米墨戦争 メキシコ 1846 1848

60

交渉による和平 敗北 領土割譲

6

アメリカ 1846 1848

40

勝利 領土拡大

11

ドイツ革命 ドイツ諸国 1847 1848

500

勝利 革命鎮圧

35

暴徒 1847 1848

18

消耗 敗北

3

新疆戦争 1847 1847

2000

勝利 反乱鎮圧

40

タジク人 1847 1847

35

消耗 敗北

10

オーストリア革命 フランス 1848 1849

370

勝利 鎮圧協力

20

共和主義者 1848 1849

35

交渉による和平 敗北

4

ロシア 1848 1849

1200

勝利 鎮圧協力

15

オーストリア・サルジニア戦争 オーストリア 1848 1849

600

勝利 現状維持

20

サルジニア 1848 1849

250

交渉による和平 敗北

20

シュレスウィッヒ戦争 デンマーク 1848 1850

50

交渉による和平 敗北 領土割譲

2.5

プロイセン 1848 1850

500

勝利 領土拡大

3.5

オーストリア 1848 1850

20

勝利 領土獲得

1

スェーデン 1848 1850

100

交渉による和平 勝利 領土拡大

25

ローマ共和国戦争 オーストリア 1848 1849

600

勝利

35

フランス 1848 1849

370

勝利

7

サルジニア 1848 1849

250

交渉による和平 敗北

30

(参考)ローマ市公使ペレグリノ・ロッシが1848年11月暗殺された。この事件を機にローマ市民は普通選挙により新しい議会を選出した。ロッシはカルボナリ党員でサルジニアと誼を通じており、マッツィーニとガリバルディは直ちにこのローマ共和国を支持する行動に出た。法王ピウス\世はフランスに亡命した。この動きに対し、フランスとオーストリアは直ちに反発、サルジニアと交戦状態となった。サルジニアは敗北ローマ共和国は7ヶ月間の短命で幕を閉じた。
第2次シーク戦争 英国 1848 1849

50

勝利

2

シーク人 1848 1849

100

交渉による和平 敗北 藩王国化を認める

10

ジャワ反乱 ジャワ居住者 1849 1849

100

交渉による和平 敗北

7

オランダ 1849 1849

50

勝利 反乱鎮圧

3

アフガニスタン内乱 アフガニスタン 1850 1855

100

勝利

30

反乱軍 1850 1855

50

交渉による和平 敗北 帰順

10

インディアン戦争 アメリカ・インディアン 1850 1891

50

全滅 社会の崩壊

10

アメリカ 1850 1891

50

勝利 首謀者を処刑

15

シルダリヤ戦争 ロシア 1850 1854

1200

勝利 保護国化

2

トルキスタン人 1850 1854

150

交渉による和平 敗北

10

トルクメン 1850 1854

35

交渉による和平 敗北

10

太平天国の乱 1850 1881

2000

勝利

8000

太平天国 1850 1881

1000

消耗 敗北 消滅

12000

仏越戦争 フランス 1851 1895

40

勝利 植民地化

20

ベトナム 1851 1895

50

交渉による和平 敗北

20

ビルマ戦争 英国 1852 1853

50

勝利 領土拡大

15

ビルマ 1852 1853

50

交渉による和平 敗北 領土割譲

12

モンテネグロ戦争 モンテネグロ 1852 1853

30

勝利 現状維持

5

オスマン帝国 1852 1853

400

消耗 敗北

7

クリミア戦争 オーストリア 1853 1856

600

勝利

50

英国 1853 1856

250

勝利

30

フランス 1853 1856

400

勝利

27

ロシア 1853 1856

1200

交渉による和平 敗北

144

サルジニア 1853 1856

10

勝利

2

オスマン帝国 1853 1856

400

勝利

45

アビシニア内乱 エチオピア 1854 1856

100

勝利

6

叛徒 1854 1856

10

消耗 敗北 帰順

3

スペイン革命 王位主張者 1854 1876

50

消耗 敗北

9

スペイン 1854 1876

120

交渉による和平 勝利

25

ツクロール戦争 フランス 1854 1864

25

勝利

8

セネガル 1854 1864

50

交渉による和平 敗北

10

非対称の戦争

非対称の戦争とは交戦団体の武器・装備に差がある状態を指す。数・方法はあまり問題にならない。もし数で武器を補うことができないにもかかわらず戦争が始まったとすれば、それは迷信か精神力などで勝ると、武器劣勢の側が考えたためである。当然国家単位でこういった迷信にとらわれることは普通はなく、革命・独立(分離)側(通常武器劣勢)の思惑である。

もちろん拷問や生活手段の強奪など統治側が極端な手段に出た場合絶望的な決起が発生することはある。しかしそれは件数において多くはない。

この時代19世紀前半では、非対称の戦争とはマスケット銃・大砲対刀槍・弓矢を指した。これはこれで決定的で、弓矢で大砲・銃に勝利することは難しい。ただ当時の大砲は榴弾ではなく鉄製の円球・石などだった。ライフル・榴弾が実用に供されるのは19世紀後半である。

非対称の戦争は、双方に被害が軽い。そして対称的な戦争はその逆である。武器が刀槍・弓矢に限定されても莫大な被害を双方が蒙ることがある。武器の進歩は、戦争による被害を少なく、戦争の頻度を落とす方向に働く。

太平天国の乱による死者2000万人は、内乱での死者としては現在までも破られていない記録である。この戦争は刀槍で戦われた。

ただし、その後内乱ではないがレーニン・スターリンによる粛清3500万人、ヒトラーによるユダヤ人大量殺害450万人、毛沢東による大躍進失敗・文革による粛清3000万人、ポルポトによる自国民殺害180万人が生じた。それらはいずれも社会主義を標榜する者によって引き起こされた。