塹壕

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 第1次大戦で特徴的なのは塹壕戦であった。これはマルヌ会戦のあと西部戦線に現出したものを代表とする。塹壕自体はすでにアメリカの南北戦争で統一軍と連邦軍双方とも防衛側が既に作っていた。だがヨーロッパの戦い、セダン包囲戦やケーニヒグレーツ会戦では現れていない。これらは機動戦であり短期間で決着をみたため、あとは優劣がつきすぎ必要が生じなかった。

 第1次大戦の塹壕の存在理由は歩兵の制圧力にある。過渡的だが塹壕にこもった歩兵に対抗することができるのも歩兵だけとなった。機関銃と移動可能な野砲と小銃の斉射に対抗できる兵器はタンクと航空機であるが両方とも第1次大戦で登場したが現在にみられる性能は保有していなかった。そして恐ろしいことにこの制圧力は一定確率の犠牲を前提にしていたことである。すなわち攻勢に出ても守勢にたってもある程度は消耗し残余で勝利を得るという発想である。

 第2次大戦ではこの塹壕戦はロシア全域、南イタリーと華中(中支)で発生したが、火力と機動力が増加し戦線が固定することはなかった。次は朝鮮動乱における鉄の三角地帯の戦いでこれは2年1ヶ月に及び休戦日まで戦われた。しかし国連軍が最後を除き一方的に攻勢姿勢で、北鮮軍と中国義勇軍は防御にたち後者がよく防戦に成功したといえるかもしれない。ただ地域が山岳地帯で高地をくりぬいた地下壕が有効だったため平原を走るというイメージとは異なる。

 湾岸戦争ではイラク軍が天井に掩蔽施設をもつ塹壕を数線にわたり建設したが迂回作戦で背後をつかれ、第1次大戦後半のように最前線部隊が無秩序に降伏した。このように最近まで野戦築城=塹壕は行われているが敵が正面攻撃をせざるを得ず、かつ両軍の密度が極めて高いという条件がなければ、今後発生することはないだろう。またエレクトロニクスの発展で命中度という点で攻撃兵器の能力が急向上しており、戦争のあり方が違ったものとなるだろう。

1917年頃のヒンデンブルグラインの航空写真

 西部戦線で連合国は640万トンの砲弾を発射した。ドイツ軍も同量を消費したと推定される。そしていわゆる攻勢がなくても常に砲弾は発射され被害が生じた。そして前進壕の第1線壕には簡易な地下壕しか通常ないから直撃を受ければ被害は避けられない。そしてしばしば前進壕は味方からも射撃を浴びた。

 死ととなりあわせの長期にわたる塹壕生活は兵士にどのような生活を強いたのか。

 ここでは塹壕の実相をケースに分けてサイトを設定したので下の項目から選んで進んでください。

生活 構造など 戦い
病気 前進壕・補助壕・予備壕 突撃
食事 軍法会議 パトロール
のみ・しらみ・ねずみ ヘルメット・防具・軍服 砲撃
水没・地下水 交代制度 狙撃

歩兵
私の信頼するものは愛そして歩兵だ。…ペタン

歩兵の戦術

そして死
フランス兵の死
ドイツ兵の死
ロシア兵の死
アメリカ兵の死

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