東京裁判の謎を解く

まえがき

「第二次大戦は中国との関係でいうと、これは侵略戦争であったということは私ははっきりしていると思う。そこのところを前提にして物事を考えていかないと日中の安定した関係はなかなかつくれない」と谷垣禎一蔵相は自民党総裁選挙に向けての候補者演説会で語っている。

 これは公人とも思えぬまったく誤った国際法・歴史認識である。

 第二次大戦における中国との戦争は支那事変である。この戦争は一九三七年八月に開始され、一九四五年一二月に終了した。そして、この戦争について歴史学者の間で、どちらが計画をもって先制攻撃を行なったかについて異論が存在する。だが、開戦プログラムの進捗具合、日中両軍の初めての軍事衝突の場であった上海租界の情況を観察すれば、国府軍が先制攻撃をかけたことはほぼ動かない。

 一方、支那事変は中国領内に限定されて戦われた。独ソ戦ではソ連軍は最後にはドイツの首都ベルリンを陥落させた。ところが国府軍は東京はおろか1945年に上海に脅威を与えることすらできなかった。これは「はっきり」している。じつは谷垣の「はっきり」はこの事実にもとづいているのである。

 つまり、谷垣は「侵略戦争」「侵略者」をどこが戦場となったかで決め付ける。これは経緯がわからないジャーナリストが犯しやすい決定的な誤りであって、国際法について谷垣がまったく無知であることを暴露しているにすぎない。侵略とは戦場がどこかで決定されるのではなく、どちらが計画(作戦計画)をもって先制攻撃をしたかによるのである。この場合、挑発行為(テロや港湾封鎖など)があれば侵略とはならないが、経済制裁や政治工作は武力を伴わないので挑発に該当しない。

 イラク戦争をめぐって、アメリカの先制攻撃を侵略だとフランスが非難し、米仏論争が起きたのであり、国際法における侵略の定義はきわめて重大なのである。

 そして、最早半世紀以上も前の「東京裁判」においても、この「侵略戦争」は最大のテーマであった。すなわち、満州事変・支那事変・太平洋戦争が日本の侵略戦争であったかどうか問われたのである。アメリカ人首席検事キーナンはこれら全部が日本の侵略戦争であり、軍部が東アジア征覇を合意しながら(共謀)、一五年戦争を企み実行したと「論告」した。軍部が共謀し、全部先制攻撃したというのである。

 日本人であればきいただけで、これはウソであるとわかる。なぜならば、軍部に反対する文民は多く、軍部の中も陸海軍で分裂し、陸軍はさらにその中で暗闘をくり広げたことをよく知っているからだ。

 ところが、日本側被告はまことに奇妙な弁護を始めた。「共謀」は別にして、太平洋戦争(1941年12月からの戦争)に限っては、アメリカの侵略戦争だというのである。理由は石油の禁輸が挑発であると・・・。この弁護にキーナンは喜んだことだろう。キーナンシナリオは全面採用となり、共謀団体の核心は軍部で実態は陸軍上層部であるとして、東京裁判は結審した。

 日本側被告・証人はある者はあきらめ、ある者は意図して事実を隠し結局真相を語ることがなかった。それでは真実はどのようなものだろうか?日本政府は、じつは「合意」など何もなく、ヨーロッパ情勢や支那事変の戦局により、その都度方針を変えていた。満州事変は石原莞爾のクーデター擬似事件であり、支那事変は蒋介石の日本への挑戦であった。そして、海軍は対米軍事パリティ喪失と真珠湾奇襲作戦の成功確率の高さにおののき、独ソ戦の開始とともに、急に対米戦を表面化させた。関係者は事実の複雑な展開に我を失い、ドロドロになって戦争を始めてしまったのである。

 現在流行している15年戦争(ただ用語としては日中15年戦争のようにも使われる)論、大東亜戦争アジア解放論などは、すべてこの誤ったキーナン・シナリオまたは日本側被告の弁論に引きずられている。

 支那事変は中国が日本を侵略したのであり、太平洋戦争は日本が英米を侵略したものである。さらに満州事変の石原莞爾、支那事変の蒋介石、太平洋戦争の海軍関係者は東京裁判でその「侵略性」が暴露されることがなく、他人に責任を転嫁することにも成功した。もちろん侵略者本人は戦争の本質を十分承知している。中国がなぜ日本の戦争責任を叫び、谷垣のような媚中論者に政権をとり外交使節となることを望むのか?強盗犯人がつねに「じつは被害者に襲撃されたからだ」と叫びたがるのと同じである。

別宮 暖朗

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