第1次大戦起源論について

人間が防ぐことができない戦争はあるだろうか?

近世の戦争のなかで第1次大戦の起源についてほど、戦中から原因がさぐられそして現在にいたるまで論争されているものはない。結論から言うと、この戦争は偶然が引き起こしたと考える他にない。人々はこのような大事件は必ずや大原因があるに違いないまたはなにか戦争をけしかけている影の勢力があるに違いないと考えがちである。

しかし国民国家があやうげな自然国境を隔て存在し、ある地域について争論がありまた国家間の上下または民族の上下と言う考えを持っていると、わずかな偶然が戦争に結びつく。それでも当事者の責任は存在する。戦争のような大事でも人間は複雑で、同じ情報と同じ権限を与えられていても、開戦と避戦で違う結論を出したりする。また国民国家を非難しても、国民国家が無類に戦争に強いこと、また小戦争を食い止めている事は否定できない。

政治家も含めて当時の人々はナショナリズム=国民主義・国家主義(いまでも大多数はそうだ)だから、開戦を主張した大多数の人々も開戦せねば国家が敗亡にいたると信じただけで格別好戦的なわけではない。ただ国家(国民国家)に上下が存在すると考えていた。服属国家・保護国をもつことができると考えていた。つまり国家間の平等を認めない国民国家だった。

富の発展は植民地ではなく国民の産業活動に源泉がある

西ヨーロッパ諸国と日本はその植民地を自国の外、すなわち選挙区のない服属地域とみなしていた。そして錯覚だが植民地をもつことが自らもつ富の源泉だと考えていた。そして植民地を保有することが大国と誤解した。実際は産業革命を成功させたからだが。そして5大国とも大国の地位からの転落を恐れた。もちろん大国の源泉は植民地ではなく自国内の国民の産業活動で、植民地はアクセサリーにすぎない。

第2次大戦では明らかに脈絡が異なった。国家の上下関係を認めること、自分達は一等国家と考えることが第1次大戦では開戦の直接原因だった。ナショナリズム(国民主義・国家主義)が戦争の引き金を引くとすればここだろう。しかし戦間期では潮流が変化した。国家の上下はヨーロッパ(とアメリカ大陸・極東)の中では認められないとイギリス・アメリカ・イタリーの指導者は考えた。

しかし日本とドイツはこの見解をしりぞけた。この点で東部に生存空間を主張したヒトラーのドイツと、東アジアに独立経済圏(たぶん日本がリーダーでなく平等にできればよいのだろうが客観条件が存在しない。これは現在も同じだ。)を主張した軍部主導の日本は時代に取り残されたのだろう。結局ヨーロッパで覇権を狙うドイツが第2次大戦の根本原因といえる。しかしこの考え方が形成されたのは第1次大戦の戦後処理の失敗による事は疑いない。また覇権を阻止しようとした勢力は初め積極的でもなくまた孤立主義に陥っていた。

 また思想としてはドイツの(選良)民族主義と、とりわけキリスト教からくるユダヤ人差別がヒトラーの拡張に力を貸した。(現代ヨーロッパ人は何としても認めたがらないが)日本においては儒教特有の上下主義がある。フランス大革命は人の平等を主張したが、国家の平等を主張しなかった。マルクス主義者・レーニン主義者も国家主義と民族主義を混同しさらには両者と愛国主義を混同した。いまだに古い社会主義者は現実的な国家観念を保有していない。

戦間期には大国のなかで国家形成上の対立があった。第1次大戦前どの大国も武力によるヨーロッパでの領土獲得は考えていなかった。ところが第1次大戦後突然日独は国民国家から旧式帝国への転換しようとした。そしてその目標はおそらく達成しても長続きせず、また時代遅れだった。

 第1次大戦は植民地をめぐっての帝国主義戦争ではない。またヨーロッパで領土拡大を戦前から考えていた国はない。そしてどの国も防衛戦争(オーストリアだけはセルビアへの予防戦争)と考えていた。また戦間期と第2次大戦以降の問題であるイデオロギー上の対立はなかった。すなわち民主主義と全体=独裁主義、資本主義と共産主義間の対立とかだ。当時は現在のG5諸国と同じように共通の文化・国際法に属していた。第1次大戦にゲリラ戦はなく、ユニフォームを着て戦われた戦争だった。ロシアを除いて捕虜にたいする扱いも良好だった。

 それでも小国を予防戦争で屈服させる、または恫喝をかけるというのは当時でも許されないことだった。ただある地域を本国と差別して保護国・属国とすることは許された。その地域が元国民国家であったりその国民国家が隣接していると問題は深刻化した。もちろん予防戦争を警察行動と同一視はできない。ただサラェボ事件のような国家テロ(オーストリアはそのように考えた。)の対処法は確立されていたとは言い難い。

これまで人々は第一次大戦がなぜ発生したのか、さまざまに考えた

第1次大戦の起源でこれがなければ発生しないと思われる原因は次のようなものがある。

  • 普仏戦争の結果ドイツがアルザスとロレーヌを併合した。
  • ドイツ統一により人口・経済力・軍事力(陸)でヨーロッパの中に単独で対抗できる国がなくなった。かつ海軍力でもイギリスに挑戦を開始した。
  • オーストリアハンガリー二重帝国が崩壊の危機にあり、普墺同盟によりドイツはそれを防止する義務を負ったと解した。
  • オスマン帝国が崩壊しつつあり、ロシアはコンスタンチノープル(イスタンブール)の占有を狙っていた。このためバルカン半島でロシアとオーストリアの対立が生じた。
  • 独・仏・露・墺の4大陸軍国の動員システムがあまりにも事前計画に依存しかつ硬直的で、一旦他国が動員を開始して自国がしない場合著しく不利ないしはそれで敗北という幻想を各国軍事指導部がもった。
  • ドイツを除く軍事指導部は短期かつ攻勢的作戦で戦争は終了するとみていた。ドイツは露仏同盟の結果二正面作戦を余儀なくされ、フランスを先制攻撃で打倒しロシアに対しては当初防御的なシュリーフェンプラン以外では勝利できないという錯覚に陥った。

これらの中で最終的な引き金と言いうるのはやはりドイツのシュリーフェンプランだろう。他国は動員しても国境線で止められた。シュリーフェンプランは動員=作戦開始がその独特な点だ。直接的な起源を攻勢作戦のイニシアチブを誰が、どのようにとったかを解明することならば、小モルトケがロシアの総動員に触発されて、シュリーフェンプランを発動したため、開始されたのだ。

ロシアの総動員下令はニコライ二世の責任である。この男は日露戦争の前にも朝鮮に兵を入れ、日本に開戦の決意をさせている。しかもこれはウィッテ(蔵相)が予想し警告もあったのだ。ニコライ二世がシュリーフェンプランを知っていたかどうかは詳らかでない。しかしロシアの諜報力からみて知っていた可能性の方が高い。ロシアの問題は情報収集力ではなくて、判断力の方である。

7月危機(日を追って)ロシアの誤算

 この辺になるとロシアのツアーシステムが悪いという声が聞こえてくる。独裁政治とか神権政治は戦争を好むというのである。民主政治は戦争を起こさないという主張もある。しかし事実からいえば民主政治−国民国家は戦争に強いといった方がよい。第2次大戦では英仏が最終的にヒトラードイツに宣戦したのであってその逆ではない。また宣戦する方が悪いということにはならない。

 システムが戦争を引き起こした、と主張するむきもある。システムというのは法制をさすことが多いが、結局最後は人の判断で、それが歴史そのものなのではないか。第1次大戦は20世紀のほとんどを形成したが、それが人の判断・失敗−偶然に左右されていることは示唆に富む。歴史は万能の神の示す方向とか、正統性のある政権に有利な方向とか、プロレタリアート階級の独裁に向かうとか、西欧民主主義が採用され近代化に向かうとかいう、必然論は全て誤りなのではないか。

 ただ共和制はシビリアンコントロールによって軍事作戦至上主義の将軍や官僚を排除する面があり、立憲君主制に問題がある可能性は排除できない。しかし君主制でない国が軍事独裁になっているのを見ると決め付けはできない。

第1次大戦でもまた他のどの戦争でも将軍達の判断または弾丸の行方が戦場の勝敗=歴史を左右した。ほとんどの戦いで紙一重の違いが勝敗を左右している。またフランダースでイギリスかドイツの狙撃手がヒトラーまたはチャーチルを捉えていれば歴史は異なっていただろう。戦場での勝敗がその後の歴史に与える影響は決定的である。

 必然論に近いが、時代が永続戦争の期間だった、すなわち戦争が常態で平和がたたま生じていた、と主張する人々がいる。その時代の仕組み、資本主義体制とかパックスアメリカーナとかが悪いという主張が背景にある。
しかし歴史は戦争に向かうというより平和にむかっているのではないか。少なくとも第2次大戦の戦後処理はベルサイユ条約よりは格段によい。東ヨーロッパは犠牲になったにしても。

 武器の進歩はやはり戦争の可能性を少なくする方向に作用する。小火器が主流の場所ほど今でも戦争は起きやすい。火器がなければ刀槍でこれは戦国時代をみれば良い。相手が卓越している、コストがかかりすぎるという恐怖の方が、政治家または民衆にわかりやすいのだろう。もちろんネガティブな恐怖感だけではなく国民主義・国家主義の危険性に気づきコントロールする気運も見逃せない。

通常または事実として確立した外交−軍事だけではなく何か別のものを原因とする人々もいる。主なものを列挙してみよう。ただしこれらは必要条件としても誤りと思われる。

  • ドイツがロシアの軍拡を恐れ、予防戦争に出た。
    これは小モルトケの1913年秋の「戦争は早ければ早いほど良い」という発言に論拠を置く。
    この発言はコンラートに言ったものだが、小モルトケが戦争を自ら開始しうるかと言う点で疑問がのこる。予防戦争は君主または最高指導者の意志だけで戦争を開始するのだから立憲国であれば逆に防止もたやすい。
    また予防戦争は定義から小さい戦争である。オーストリアがドイツとの関係で術策に溺れず、単純にサラェボ事件で即刻セルビアに全軍をあげて予防戦争にでたら逆に第1次大戦はなかったろう。
  • キール運河の開通に合わせた、というもの。
    たしかに時期は符合するがそれではなぜドイツ外洋艦隊は出撃せず、艦隊温存主義をとったのか。
  • 経済原因説。
     金融資本段階に達した(銀行)資本家が間接投資の市場確保のため帝国主義戦争に訴えたというもの。レーニン・ホブソンの説だが事実の裏付けに欠ける。しかも間接投資は短期資金が多く、回収を考えると戦争は一番危険ではないのか。

レーニン帝国主義論批判

  • 経済原因説その2
     製造業資本家が海外市場確保のため殖民地確保を争い、ヨーロッパ各国の戦争となった。
    これはレーニン以前のいわゆる社会民主主義者(マルクス主義者)の主張だが、レーニンが意図して避けたように、当時、現在もそうであるが主要国の輸出で太宗を占めるのは主要国間であって殖民地向けではない。お客さんの国に攻め入ってどうするのか。
  • ドイツのカイザーの好戦性に原因を求めるもの。

     これはアメリカで当時支持をうけた。これは単にアメリカ人の君主制にたいする偏見だろう。とるにたらない。
  • ドイツそのものの好戦性を説くもの。
     ときどきイギリス人が主張するが、ドイツの特殊性を強調するものの当時のヨーロッパはいずれの国も軍事的優越に血眼になっていた。また軍拡競争が激しくなると戦争になると主張もあるが、怠った場合かえって戦争を招くケースもありなんとも言えない。
     やはり軍備拡充と戦争開始の関係を説明できないと具合が悪い。第2次大戦後をみるとあてはまらないのではないか。
     フィシャーはドイツ人歴史家だが1860年代から1945年にいたるまで政府と支配階級は一貫して対外侵略的な意図で外交政策を進めた、と主張した。これはドイツ国内に反響を及ぼしたが、他国での反響はすくなかった。どの国も名誉をもってみられることは望んでいる。どこの軍部も外国からの侵略に勝利する戦略を外務省と協同で練っている。そして勝利できないとみたら、先制して攻勢にでることも考える。ドイツ人は二正面作戦を余儀なくされると強迫的な観念をもちすぎたのではないか。事実は自ら二正面戦争に飛び込んでいるのだが。ドイツ人が尚武という点で選民と考える必要はない。
  • 内政の圧力説
     国内で民族運動または社会主義運動が起きそれをそらさんがため(反革命)に戦争を計画したというもの。よく言われる説だが歴史上こういったケースはあまりない。これが成り立つためにはできれば小さくて、勝たなければ意味がない。
    第1次大戦は大きくて、簡単には勝てないタイプである。事実は逆で戦争で国内が団結しただけだろう。そうじて革命家が自己を肥大化して騒ぐもの。
  • 代理戦争説 
     セルビアとオーストリアを代理戦争で戦わせようとしたが失敗したというもの。
    これは小国が常に主張したがるが、そもそも代理戦争などあるのだろうか。小国が大国を巻き込もうとするのが一般的ではないのか。セルビアはオーストリアから脅威をうけロシアに介入を求めたので事実は逆代理である。第2次大戦では英仏の保証でポーランドは大胆になりヒトラーとの交渉自体を回避したではないか。大戦争より小戦争の方がましである。甘言で近づく小国に注意せよ。
  • 外交関係とくに同盟関係のみに求めるもの 
     当時の協商(アンタンテ)国と中央同盟国の対立をあげ二大陣営が対立すれば、戦争が避けられないというもの。これは第2次大戦後をみれば否定できるだろう。
  • 秘密外交に問題があるというもの 
     これは当時のヨーロッパ外交から疎外されたアメリカ人がとりあげる。これが国連とか国際連盟の主張になるが、むしろアメリカの孤立主義外交に問題があるのではないか。日本の東アジア圏独自主義とアメリカのモンロー主義は盟主がいるとすれば問題である。経済圏だろうが政治・軍事圏でもかわりはない。
    地域主義が閉鎖性をもてば危険である。
     ヨーロッパまたは中部ヨーロッパでドイツが主張すれば問題ですまず、戦争になった。地域で集合するというのはそれだけで危険な処置である。そのうえで国家間に上下をつければ、これは帝国であり、混乱はまぬがれない。
    ソ連支配の東ヨーロッパが好例だろう。
     第1次大戦以前に外交関係が今より劣っていた確証はない。秘密自体はむしろ戦争防止に働いた。扇情的なジャーナリズムの方がはるかに危険である。これは米西戦争を検証すべきだろう。
    おそらく国際機関が戦争防止に働くというのも疑わしい。とくに国際機関のなかの官僚が何か有効かというとむしろ危険と解した方がよい。官僚たちは誰からもチェックをうけていない。今でも各国の政治家と将軍(官僚)・外交官たちが決定的なのはかわりがないのである。
  • 避けられない説 
     当事者が誰であれ避けられないという言い方でするもの。理由は上記のどれでも構わない。これは通常身内かばいで使われる。確かに戦争がおきれば戦死者は避けられない。それとは違う意味で死そのものは避けられない。しかし歴史上の事件はすべて起きるまでは避けられる。逆に起きてしまえば避けられない。避けられるから歴史をしらべる必要がある。歴史は避けられるものを取り扱う。
  • 最後に文明・文化の対立説 
     ドイツがフランスの文化に劣等感を抱きまたイギリスの全世界への飛躍をみて、嫉妬を覚えたというもの。最近でもまた文明の対立をとく人間がいるが、英仏独は現在過去とも西ヨーロッパ文明という点で極めて近い。
     最近の文明対立論はアメリカ人によって説かれている。そしてアメリカ文明は西ヨーロッパ文明に属しているというのである。仮にそれを認めても英独仏が西ヨーロッパの中心であることは否定できない。
     この種の議論は文明の優劣が念頭にあるため、人種の優劣が背景にある事が多い。そしてそれがヒトラーの陥穽だった。近世では文化も宗教も戦争の直接原因たりえない。宗教、文化、共産主義などの主義で大型・中型戦争はあまりない。もっとも粛正はあるが。


 戦争は国家間または国民国家の範囲をめぐり統一主義者と分離主義者(独立派)で行われるのが殆どである。そして影響が強いのは相変わらず国家間の戦争である。

 またドイツの宣戦布告文のなかに他国がドイツの文化的・科学的成功に嫉妬を覚え、とあるが、ややわからない点である。ドイツ人は本当にそう考えたのだろうか、それとも自身が他国に嫉妬していたのだろうか。

 国家間の戦争であるから外交は直接的である。また戦争をするのだから軍事能力・作戦は重要である。これ以外の要因は結局、当事者、君主・政治家・外交官・将軍そして歴史家・新聞の脳裏をかすめているにすぎない。

そして第1次大戦は当事者が誰も世界大戦を望まないにもかかわらず、平和のための手段すなわち外交が突然狂いはじめたのだ。軍事上の脅しが脅しとして働かず、本当に兵が動員され国境を越える事態になったのだ。

 そして第二の要素、国民国家が登場する。例えばオリンピックがあって自国の選手がいて応援しないでいられるだろうか。「前畑がんばれ」は日本だけではない。これが戦争となれば、国民が他国の挑戦をどう受け止めるかは自明であろう。国民があまりに熱狂的に戦争を支持した結果、従来は常備軍同士の交戦で決着をつけるものが、国民の戦争遂行意志がなくなるまで戦うことになってしまった。

 第1次大戦の原因がミステリーのように不明だとする論もあるが、そこまで不可知論に陥ることもない。繰り返しになるが必要条件で最大なのは国民国家の成立であり、それがこの戦争の性格を決定し規模を決定した。その他にも外交を中心として必要条件は存在した。また経済決定論などは必要条件の論証としても誤りである。

ドイツのシュリーフェンプランが第一次大戦をひき起こした

そして直接の原因(=最終的引き金)はシュリーフェンプランにある。ロシアもフランスも戦争を意図して総動員を下令したのではない。あくまで外交手段として行ったのだ。ロシアは一度部分動員をかけて、身動きがとれなくなってしまっただけだ。

おそらく現在も同じと思われるが動員を下令し隣国が最後通牒で取り消せと言ったらどうするか。やはり取り消すのは不可能だろう。ここで拒絶され、自動的に攻勢作戦に出る、という戦争開始方式が問題なのだ。次のステップで両軍が国境を挟んで睨み合っても、まだ外交が働く余地があったのだ。

7月31日のロシアとフランスの総動員までは19世紀のヨーロッパ外交が機能していた。そして作戦計画を絶対として変更が出来ないというドイツ的思考様式そのものが軍隊に国境を越えさせた。

また当時の国民が好戦的だったとか、戦争を待っていたという議論もあるがこれも真実ではない。国民は動員下令を聞いて興奮したのだ。国民や新聞が戦争を煽ったことはない。多くの国民は祖国の防衛を国家から依頼されて奮いたったのだ。

武器や経済や法制が戦争を引き起こすのではない。人間の愚行が引き起こすのだ。



Joll, J.,The Origins of the First World War, London,1984(邦訳『第1次大戦の起源』 池田清訳 みすず書房 1987)
Albertini, L., The Origins of the War of 1914, Oxford, 1952-7
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Fisher,S.,Griff nach der Weltmacht, Dusseldorf, 1964
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Fischer,F.,Germany's Aims in World War T

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