あとがき
第二次大戦はいくつかの戦争の集合体である。第一に起きたのが支那事変(一九三七年八月)である。第二がドイツ・ポーランド戦(一九三九年九月)であり、同時に英仏が集団安全保障を理由として、ドイツに宣戦した。この戦争は一カ月という短期間で、ドイツの勝利に帰した。だが、ドイツと英仏の間に陸戦は発生しなかった。この期間は「黄昏戦争」「偽りの戦争」「坐り込んだ戦争」と呼ばれた。
そして、第三の戦争がフランス戦(一九四〇年五月)であり、ドイツは電撃戦と呼ばれる短期=決戦戦争でフランスを敗北させた。そして第四、最大の戦争、独ソ戦(一九四一年六月)が発生した。以上四つの戦争はいずれもドイツ人による作戦計画によって開始された。
第一がファルケンハウゼン、第二がハルダー、第三第四がヒトラーによって策案された。
作戦計画とは、短期的勝利を理想とする。作戦計画の発動とは戦争の開始であるから、戦争の短期的勝利を狙うということである。
ドイツ人は第一と第四に失敗し、第二と第三には成功した。
そしてそれまでの戦争を世界戦争にしたのは、第五の太平洋戦争(一九四一年一二月)である。陸軍は、この戦争を勃発させた計画を、南方作戦計画と呼んだ。計画の中心は、山本五十六によりつくられ、それはハワイ真珠湾を攻撃するものだった。南方作戦計画発動とは対英米戦を意味するが、主敵がアメリカにあることは明らかだ。そして、勝利するためには、アメリカ陸海軍とその同盟軍を殲滅せねばならない。
ところが、南方作戦計画はドイツ製のものと異なり、初めから短期戦勝利=敵戦力の殲滅という思想はなく、二年以上の長期戦とドイツの独ソ戦勝利を仮想していた。
だが長期戦どころか、海上のミッドウェー戦と陸上のガダルカナル戦によって、一年もたたないうちに日本軍は敗勢に追い込まれ、直後スターリングラード戦において頼みのドイツ軍も敗北した。戦争はその後二年半続いたが、特攻を含む沖縄戦、硫黄島戦を除けば、枢軸側は一矢を報いることもできなかったのである。これは疑うことができない日本人の失敗である。
戦争で成功するためには、量・兵器(科学技術)・方法(軍事学)において優れねばならない。長期戦となれば、量が最重要なため、GDPが決定的となるが、その成長率を大きく規定するのは民生用科学技術である。
日本は戦前においても高度成長を遂げた国だった。昭和金融恐慌(一九二七年)の影響は産業界にはあまり及ばず、アメリカ大恐慌(一九二九年)の影響も軽微であり、GDPが英仏を抜くのは時間の問題とされていた。
ところが、一九三六年を境に日本経済は暗転した。注意せねばならないのは、これは支那事変発生の前である。そして一人当たりGDPが、一九三六年(昭和一一年)の水準に回復したのは一九五六年(昭和三一年)であり、なんと回復に二〇年かかっているのである。これについて、戦争のせいとするのが一般的であるが誤っている。この低迷は「統制経済」という名の社会主義経済のためである。統制経済のもと、「資本と経営の分離」が叫ばれ、役人が天下り、企業トップに座った。そして協同組合が組織され、金融はそこに一元化された。自主性は失われ、需要があっても割当に妨げられ、企業は設備投資=生産拡大ができなかった。この二〇年間、川鉄千葉まで日本には一貫製鉄所の建設が一件もないのである。
その時出現した革新官僚や少壮軍人は五カ年計画が成功したというソ連の宣伝に幻惑され、社会主義を導入すれば「高度国防国家」が実現すると錯覚したのだ。
そして、統制経済では基礎科学はもちろん工業技術も発展しない。ソニー、パナソニックやホンダは新素材、エレクトロニクス、小型エンジン技術によるテープレコーダー、ラジオや小型オートバイで昭和三〇年代(一九五五年〜)すでに全米市場を席巻した。ところが太平洋戦争では、これと同質の技術で、アメリカに圧倒されているのである。
一九三六年(昭和一一年)に一体、何が起きたのだろうか?
実はこの年に「国家総動員法」が施行された。その後「失われた二〇年」が続いたのだ。自由がなければ科学技術は停滞し、競争は萎縮する。天下り官僚が経営すれば生産は伸びず、品質向上も望めない。アメリカの小さな政府、民営の軍需工場が最後の勝利を収めた。官僚・軍官僚が威張りだせば戦争に勝てない。
太平洋戦争の失敗の本質は、戦策すなわち「白兵銃剣主義」「艦隊決戦主義」によるという安直さではとても説明できない。ガダルカナルで日本兵は同数のアメリカ海兵隊の塹壕を占拠できず敗北し、連合艦隊は空母艦隊決戦に敗れて制海権を失ったのである。
そもそも日本は、官僚や彼らのつくった政策によって発展した国ではない。民間人の創意・工夫により経済を伸張させ、「最後の一兵まで戦え」(Fight to the last fighting man!)という軍事規律に文字通り従った徴兵の献身によって国を守ってきたのである。
日露戦争を戦った戦艦「富士」・「八島」の建艦計画は議会に諮られ一度は否決されている。ところが太平洋戦争を戦った戦艦「大和」「武蔵」については議会にかけられていない。議会の質疑を省けば効率的にみえるが「自由」「説明」もやはり重要な精神なのである。もちろん、それだと戦争そのものが起きないということになるかもしれない。
別宮 暖朗
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