あとがき

 十九世紀後半以降現在にいたる大きな戦争は、持久(長期)戦争と決戦(短期)戦争の二種類に分けることができる。持久戦争では、長期にわたり戦闘が続き、塹壕が連なった戦線ができ、消耗戦の様相を呈し、両軍の人的被害は膨大である。多くの場合、最終的勝敗はつくものの、戦闘は、勝ったり負けたりの連続であることが多い。一方、決戦戦争とは一回の大会戦で勝敗がつき、双方の被害は少なく、半年以内に終了する。

 十九世紀後半の戦争はアメリカ南北戦争を除いて全て決戦戦争であった。代表的なものは普墺戦争と普仏戦争であり、ケーニッヒグレーツとセダンの両会戦によって戦争そのものに決着がついた。二十世紀に入ると日露戦争を嚆矢として第一次大戦を典型とする持久戦争が現出した。

 第二次大戦では、支那事変、ポーランド戦、フランス戦は決戦戦争であり、独ソ戦と太平洋戦争は持久戦争であった。第二次大戦以降では朝鮮戦争とイラン・イラク戦争が持久戦争であり、数次の中東戦争や湾岸戦争は決戦戦争である。

 支那事変が決戦戦争というのは奇異に聞こえるかもしれないが、じつは首都南京陥落直前に蒋介石は日本側の条件を丸呑みして休戦を申し込んでいた。近衛政権がそれを受諾すれば戦争は終了したはずである。同様にイラク戦争でもフセイン政権が打倒されたあと米軍が直ちに撤退すれば、戦争は終了していた。ところが近衛政権もブッシュ政権も自分の気に入る新政権樹立を目指したのである。これでは終わる戦争も終わらない。

 なぜ戦争がこのように極端な二分法となるのか、はっきりした解答はない。第一の推測は鉄道の発達である。アメリカ南北戦争でも日露戦争でも常に鉄道沿いで戦闘が起こった。この両戦争とも両軍併せて三十万人以上の兵士が参加した大会戦が発生しており、こうなると鉄道沿いでなければ補給が続かなかった。

 鉄道がなぜ戦争を変化させたかといえば、攻撃側は徒歩でしか進めないにもかかわらず、防禦側は鉄道が利用できたからであった。攻撃側に戦線を突破されても、防禦側は予備隊を鉄道で運び、兵力が上回り次第、戦闘を再興できた。防禦側が有利になり、攻撃側が不利になった。この結果、当初攻勢に出た側が思惑に反し敗北するようになった。「攻撃は最大の防禦なり」というドクトリンが通用しなくなったのである。

 一般に戦争を仕掛ける側(すなわち侵略国)は、膨大な準備が必要である。最大のネックは陸軍の動員である。平時の陸軍はすぐ戦闘できる態勢になっておらず、最低でも予備役を召集するため動員を下令する必要がある。予備役とは市井に暮らす民間人であって、それを兵営に赴かせねばならない。

 動員令が下令されれば国境を接する国は警戒し、呼応して動員をかけるのが普通である。つまり先制攻撃をしても奇襲は成立しなかった。侵略(ベルサイユ条約やパリ不戦条約が成立するまでは侵略=先制攻撃は国際法違反ではなかった)側は、それでもなお勝つことができる戦争計画を策案する必要があった。その国の最高の頭脳を集めた参謀本部といわれる官僚組織がその任にあたったのである。

 戦争計画はまず例外なく短期戦を前提とした。これが第二の推測であろう。長期戦=持久戦争とはいわば戦争計画が失敗した結果なのである。こういった戦争計画は、緻密・堅牢にならざるを得ず、いったん走らせると中断することは不可能である。

 二十世紀の戦争の大半はこの短期戦幻想にもとづく戦争計画によって開始された。日本においても例外ではない。ただし特徴的なことは、海軍軍人が短期戦幻想をもったことである。日露戦争では、山本権兵衛が開戦と同時に旅順口外を急襲し、それだけで戦争に勝てると信じた。山本五十六は、この作戦に関して、「開戦劈頭に於て採るべき作戦計画と題して、我等は日露戦争に於て幾多の教訓を与えられたり。その中開戦劈頭に於ける教訓左の如し」と書き(『及川古志郎への手紙』)

「開戦劈頭敵主力艦隊急襲の好機を得たること」

 と称揚した。真珠湾攻撃の着想は旅順口外奇襲作戦から得ており、五十六も権兵衛もともに開戦劈頭の奇襲によって、戦力の均衡が崩れ、直ちに戦争そのものに勝利すると錯覚したのである。

 日露戦争では初頭作戦が終了すると海軍指導者は東郷平八郎に代ったが、太平洋戦争では山本五十六のままであった。官僚界における現役主義が確定し、カリスマ的軍事指導者山本五十六を交代させることは不可能になった。

 第一次大戦では、ドイツの戦争計画(シュリーフェン・プラン)はマルヌ会戦で失敗、参謀総長小モルトケは直ちに革職された。ところが独ソ戦におけるヒトラーは、戦争計画、ウンターネーメン・バルバロッサが失敗しても交代できず、けっきょく戦争そのものがその自殺まで続いた。
短期戦幻想にもとづき戦争を開始し頓挫したとき、当初指導部を全部変更せねば戦局の挽回は難しい。日本では真珠湾奇襲半年後に起きたミッドウェー海戦ですらごく少数の人間しか知らされず、その失敗について真剣に検討されなかった。じつは、ハワイ作戦も直ちにアメリカが降伏しなかったという事実で失敗とみなすべきであった。

 山本権兵衛は政治家であったが、山本五十六やその参謀は軍官僚であった。官僚の処世術の特徴は無謬性の主張と責任回避である。官僚現役主義と統制経済から成り立つ昭和一一年体制の下では、政治家はおろか各官庁の長老ですら現役官僚を更迭できなくなっていた。

 日本海軍が同じ戦略をとり、同じ間違いを何度も繰り返したのは、同じような人間が同じような作戦で臨み、結果大失敗をやっても誰からも非難されず、原因について真剣に検討されなかったためだ。

 省みれば、社会保険庁による失われた年金という社会問題を発生させたのもまた同根である。徴収した保険金を社会保険庁の収入であると錯覚し、さまざまな天下り施設に浪費し、じっさいに過少な年金支払いが生じると自らの記帳ミスであるにもかかわらず、無謬であると居直り二十年三十年前の領収書を持参せよという理不尽な有様であった。

 起きた失敗について世論が喚起されるまで真剣に向き合おうとしなかったのである。しかも責任者は民間であればとっくに退く所を「ワタリ」で職場を転々とし高給を食む有様である。
こういった官僚の独善が生じたのは昭和一一年体制の下であり、そのとき政治経済は統制(=社会主義)化し、それを運営すべき官僚は運命共同体化し、報道の自由をも制限された。国家は方向を失い誰も制御できなくなってしまった。

自由がなくなった日本は、自由主義アメリカに敗北したのである。

本書出版に関しては、並木書房那須田社長の御好意と御配慮によるものであり、深く感謝する次第である。

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