日本と第1次大戦参戦問題

日本と第1次大戦参戦問題

日本と第1次大戦参戦問題

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日本と第1次大戦参戦問題

日本と第1次大戦参戦問題

日本と第1次大戦参戦問題

日本は日英同盟の友誼を理由に第1次大戦に殆ど開戦と同時に参戦した。当然アメリカやイタリーの協商(アンタンテ)側参戦よりも早い。参戦は加藤高明外相(当時首相は大隈重信)のイニシアチブで決められたこともほぼ間違いない。重大な少なくとも歴史上残る決定がある程度個人のイニシアチブのもとで決められ、また記録に留められていることは、日本の歴史上珍しい事と言わねばならない。

参戦にいたる過程(1914年)

8月1日
  • 午後5時ドイツ総動員指令 
8月2日
  • 午後7時対露宣戦布告 ドイツ、ベルギーに無害通行要求
8月3日
  • ベルギー、ドイツの要求を拒絶 ドイツ、対仏宣戦布告
  • イギリス駐日大使グリーン、東京にて加藤外相へ日英同盟の不適用を申しでる。
8月4日
  • ドイツ、対ベルギー宣戦布告 イギリス、対ドイツ最後通牒(ベルギーの中立尊重)手交するも午後12時回答なくイギリス対独宣戦布告
  • 日本、局外中立を宣言
  • グリーン大使、香港と威海衛の防衛支援を要請
  • 英外相グレイ、ロンドンにて日本駐英大使井上(勝之助)に日本の参戦不要を伝える。
  • シュペー艦隊(ドイツ太平洋艦隊)青島を出港。南太平洋へ
8月7日
  • グレイ外相、中国近海におけるドイツ仮装巡洋艦の捜査撃滅を依頼
  • 日本、臨時閣議を開催、加藤外相のイギリス側にたち参戦の提案を可決、この際参戦範囲の限定を行わない方針でイギリスと交渉することとした。
8月8日
  • 加藤外相、大正天皇に上奏。天皇は「諒闇中だから」「能く協議せよ」と述べた。 
  • 午後7時、拡大閣議を開催した。山縣、大山、松方の三元老が出席。元老側からイギリスの再度の意向確認と最後通諜の形式を取る事の条件が付されたが、参戦で可とされた。
  • シュペー艦隊ポナペ島を南下中との情報がはいる。
8月9日
  • グレイ、参戦の一時延期を要請
8月10日
  • 加藤外相、グリーン大使に既に天皇の裁可をとっており急な変更は困難と説明。
8月11日
  • グレイ、日本の地域限定つきの参戦を認める方針を英国政府内に伝える。
  • これに対しチャーチル海軍相が猛反発、地域限定は戦友を失うことになる、と主張。 
8月12日
  • グレイ、地域を中国沿岸に限って参戦要請をすることを井上大使に伝える。
8月13日
  • イギリス海軍より太平洋全水面での作戦協力の依頼があった。
  • グレイより最後通諜発行時、領土的な要求は含まないとの声明もあわせて出すことを条件に地域限定をしない全面参戦を支持すると通知があった。
8月14日
  • イギリス陸軍大臣キッチナーから陸軍大臣岡市之助へ「英国陸軍ガ勇敢ナル貴国軍ト行動ヲ共ニスルハ光栄ナリ」との電報
  • イギリス海軍大臣チャーチルから海軍大臣八代六郎へ「共通の大義にむかい共通の敵にたいし、勇敢にしてシーマンライクな日本海軍とともに戦うことを喜ぶ」との電報 
8月15日
  • 日本、青島撤退を主な条件とする最後通諜をドイツに交付
8月18日
  • シュペー艦隊マーシャル諸島、ヤップ島に集結
8月23日
  • 日本、ドイツに宣戦布告

 
日本側の対応は一貫していて、初めに局外中立を決定し、その後イギリスからの参戦要請を受け入れ、極めて早く全面参戦を決めている。途中でイギリスより地域制限の打診により混乱したが、当初案で進められた。

これに対しイギリス側の外務省サイドは大混乱の状態で一日のうちで異なる見解を打ち出したりしている。これはイギリス外務省の陸・海の統帥部門との連携が、欧州戦線に関する問題以外では欠けていたためだ。ところが、自治領の豪州とは連絡がついていた。混乱の主因はそこにある。

当時豪州は南太平洋の安全保障を本国艦隊に依存していた。ところが大戦勃発とともにイギリス海軍軍令部はフィシャーの「ハルマゲドン論」にもとづき主力艦(ド級戦艦と巡洋戦艦)をすべて大西洋・北海に集中することに決めた。

この段階になり、豪州は自国の安全保障に不安を感じ、現実感のない判断に陥ってしまう。
すなわち太平洋の現状維持が図れないか、と考えだした。これはできればドイツの太平洋の軍事力をそのままにして、不戦に出来ないか、というものである。

これは愚かでしかない。豪州は自治領(ある程度自治が認められた植民地。ドミニオン)でありまたオーストラリア労働党政権も賛成しているが、イギリス本国と同様の立場でドイツと交戦状態にある。イギリス海軍省はドイツに封鎖作戦で臨むべく主力艦を回航させている。この段階で、自国の周辺では騒ぐなといっても無駄だろう。現にドイツ(シュペー艦隊)はエムデンをインド洋に派遣し通商破壊を目論んでいた。

エムデンの航海記録

豪州としては仮に太平洋(青島・中国沿岸を除く)だけ非交戦地域にすることでドイツと交渉可能であれば、英・独、日・独が太平洋全域で交戦状態に入ることは何としても避けねばならない、と判断した。

この太平洋の平和維持はアメリカの国務長官ランシングも関心を示したが、とくにドイツと交渉した形跡はなく、単にイギリス外務省に照会したにとどまっている。日本には何も言ってきていない。途中でドイツ側から、イギリスの封鎖作戦の解除を求められることを考えたのだろう。アメリカはこの後イギリスの中立船舶への臨検措置に強硬な抗議を発しており、アメリカがこの太平洋の平和維持を求めた介入をするのは、事実上休戦交渉に入ることを強制するのと同じ意味となる。アメリカの立場は日本がイギリスより中立だとすれば厳正中立だった。

豪州は一方で完全独立国でないためドイツとも日本とも交渉する地位にはなく、イギリス外務省にせっつくしかなくなる。イギリス外務省の二転三転はここに起因している。豪州の現実感のない判断はこの後第2次大戦でもまたも繰り返される。すなわちシンガポール要塞の撤退方針をめぐって、である。1999年にいたって東チモールの多国籍軍で主導権をとったが、仮にインドネシアまたは軍が、途中で対決する方針に転じたらどうするのか。結局アメリカまたはイギリスに依存するのだろう。これが小国独特の無責任である。

東チモールでも豪州がアメリカかイギリスに使嗾されたという説が出たが、事実は逆だろう。豪州がまず点取りを行いたかったのだ。

加藤高明(1860〜1926)尾張藩士の子。三菱会社に入社。イギリス留学ののち郵船会社に入り、岩崎弥太郎の長女と結婚、1887陸奥宗光のの請をうけ外務省に入省した。1894年駐英公使となり、親英派筆頭となった。1902年、衆議院議員に当選し、1908年初代駐英大使となった。1925年首相となり、普通選挙に尽力した。

では加藤外相の参戦に至った決意は何だったのだろうか?豪州とはさすがに違い、イギリスと同盟関係にある以上ドイツが単純に平時の通商を維持してくれるとは考えなかった。(このとき国際法上豪州は事実上イギリスの一部だ)この判断は正しくドイツはその後大西洋で中立国の艦船も含めて無差別潜水艦戦にでている。また一方で開戦時、加藤は長期戦を殆ど予想しなかった。

すなわち短期戦であればまさかドイツが勝っても日本まで攻めてくることはあるまいと。これは物理的には正しいが、長期戦を考慮にいれず、戦争が長引くにつれ判断が日本でも二転三転しだす。また南洋諸島や山東半島の利権にも動かされだす。ただこの状況下で殖民地獲得と結び付けるのはアメリカを除く各国で異常とされなかった。しかし日本の外交上常に、一番留意しなければならないのはアメリカだった。

日本は領土を拡大するにはアメリカの了解が絶対だと当初考えた。このため短期戦であれば領土要求は無理とみなした。ところが豪州は早い時期から太平洋の旧ドイツ植民地を全て獲得しようと狙った。このドイツ植民地にはサイパン島も含まれこれは小笠原諸島と遠くない。豪州は獲得したとしてどう軍事的に維持できるか考えたのだろうか。オーストラリア海軍の主力艦はこのとき巡洋戦艦1隻だけだった。オーストラリア首相は、文明化された白人の手により多くの土地を帰属させるべきだと、のちにアメリカ大統領ウィルソンに臆面もなく語った。ウィルソンは愚か者と相手にしなかったという。

豪州は太平洋にドイツ人が植民地をもつことには異を唱えず、日本には唱えるという人種主義者が政権を握っていた。これに対する反論は豪州が自治領であるため、イギリス本国経由となる。ところが戦中から欧州戦線でのANZAC(アンザック)部隊の活躍により豪州の地位は本国で急拡大した。

対独最後通牒文と宣戦布告

この外交過程は戦後明らかになったが旧陸軍はドイツ贔屓か判官贔屓か反イギリスに利用しだす。また外務省は戦後になり、親米派の幣原喜重郎に握られ、むしろ事情を隠しかつ外交上のトラブルは全て避けるという惰弱な方針をとった。更に、カナダとオーストラリアが日英同盟に反対しだす。

太平洋戦争直前外交

このように日本ではこの問題がイギリスの友誼に疑問符が付けられ始めるきっかけになってしまったが、イギリス本国ではこのような受け止め方はされていない。
大正天皇が崩御されたとき、ロイドジョージは下院で次のように演説した。

「陛下の偉大な国とイギリスとの間の同盟が最大の試練にかけられたのは陛下の御治世中だったが、陛下と忠励な閣僚は全国民の支持のもとに同盟の義務を忠実に履行した。逆境にあったわれわれが陛下の国の援助を必要とした時、われわれの全資源が本国の海岸線や北海、大西洋に集中を余儀なくされていた時、われわれが太平洋において通商をまもり自治領や同盟国からの兵員の海上輸送をまもるのに十分な兵力を持たなかった時、陛下の国は同盟の義務を忠実に解釈し、これらの兵員輸送を護衛し通商をまもってくれた。」

さらに1914年8月11日付けのチャーチルからグレイへの手紙
「貴兄は簡単に(日本人を)傷つけてしまうことはできる。だが(日本人は)決して忘れない。まだ我々は安全ではないんだ。決してない。嵐はこれから来る。」 

日本の参戦は大きな貢献を連合国とりわけロシアにもたらした。ロシアはトルコの中央同盟側参戦以降、対外交易窓口を冬期はウラジオストック以外失ってしまった。またロシアは第2次大戦からみると信じがたいが、1915年以降重砲はおろか小火器、弾薬に不足する事態となった。

日本のロシアへの小銃販売量はなんと98万丁といわれる。ただし輸出が陸軍と関係のある名称不詳のコミッションブローカーを経ており、不透明さが残る。
小銃の大半は有坂式ボルトアクションライフル(30年式または38式歩兵銃)で口径が65ミリと小さく、結果として弾薬携行量の増加し、また発射後弾丸が低伸し命中率の向上がもたらされた。第1次大戦で使用された銃のなかで傑作と評されている。

各国の小銃
ただしロシア10月革命後、ボルシェビキ政権が対外債務をデフォルトしたため、販売代金は全て回収不能となった。

ブルシロフ攻勢

J ジョル(「第1次大戦の起源」の作者 イギリス人)は「日本政府は、やや躊躇気味のイギリス政府にたいして、イギリスが日本に期待する第二義的で地域的に制限された役割にとどまる意志がないむねを明確にした。大戦は、日本の目的のための日本の戦争でなければならなかったのである。」と書いた。(1985年)

これは通俗的に一番受け入れられた説ではあるが史実に反する。大戦前半の参戦段階のみとりあげ、苦境にあった後期の派兵要請とのGAPを日本の責任にしている。日本の欧州への派兵を最も熱心に主張したのはイギリス政府だった。それが断られたから日本の目的のための日本の戦争でなければならないと日本政府が思った、と主張するのはおかしい。もし始めの参戦の段階で、イギリスが後に残らない形で日本に要請すれば、欧州派兵の件がどうなったかはわからない。そのうえジョルは軍事と言う点で一局面のみを考えている。日本が極東に軍を構えているだけで派兵せずとも、ドイツに脅威となるのだ。欧州戦争であっても極東は動揺する。反対に朝鮮動乱の際、満州爆撃に最も反対したのは、ソ連によるヨーロッパ正面への攻勢を恐れたイギリス政府ではなかったか。

この問題の根本原因は自治領を抑えられないイギリス本国政府にある。またイギリスの日本参戦による陸戦における戦略性の無視は、看過できない。加藤高明が参戦を決めたとき、ベルリンでは日本大使館のまわりをドイツの側にたった参戦を求める市民のデモが埋めていた。 

この問題の背後にはまた文民とりわけ社会民主主義者(オーストラリア労働党)の軍事についてのあまりの無知が関連している。

彼らの誤りは二重である。まず戦時における交渉が戦争と関係がなく可能だと見なしている。この種の意見は無責任な人間により常に存在した。例えばベトナム戦争最末期、北ベトナム軍がダナンまで席巻した時、サイゴンを中心とするコーチシナの分離を条件に交渉すべきだとの意見がリベラル派から出た。しかし北の意思が全土統一で戦局が有利となっている以上これでは交渉にならない。すなわち戦局を挽回することが前提なのだ。これは当然のことで、こういった交渉しようと言う意見そのものが戦局の悪化を招く公算すらある。

次に海戦において地域限定が可能かと言う問題である。つまり軍艦は水上または水中を動く。敵に安全海域を設定して海戦が可能だろうか。このような海戦はそれまでなかったと思われる。平時の演習に伴う危険水域の設定とは違う。つまり海戦とは公海上全ての海域で敵艦を追跡・撃滅するものなのだ。中立国領海内に入っても48時間以内に出るか武装解除し降伏せねばならない。広汎な海域を中立とすることがその時オーストラリアの国益にかなったことだろうか。

文民の一部のなかには戦時と平時の区別が出来ない者がいる。事前に考えねばならないことだろう。また同様に戦時における交戦国の和平の仲介は戦局が安定しない段階では普通不可能(両方が消耗している場合を除き)である。与党代表団などを結成し、テロ事件が連続する中近東を訪問することが、単純な点数稼ぎにすらならないことを銘記すべきだろう。

                                        

                                              (別宮 暖朗)


J ジョル 『第一次大戦の起源』 池田清訳 みすず書房 1987

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