軍事のイロハあとがき

 
 日本が一番近い過去に、他国から侵略(計画をもって、他国から第一撃をうたれること)されたのはいつでしょうか? 

 それは、一九三七年八月一三日、上海において、蒋介石直属の八八師が、八月一三日、上海の帝国海軍陸戦隊(上陸)本部を攻撃したときです。この時、蒋介石は動員・集中・開進・作戦までの明確な戦争計画をもっていました。

 直前の七月七日、盧溝橋で誰が鉄砲を撃とうが、戦争とは直接関係ありません。なぜならば、そこに作戦計画がないからです。

 ところが、大多数の日本人はこの戦争が帝国陸軍によって、または重臣層、支配層など得体の知れない力の複合作用によって始まったと解釈しています。これは、戦争についての理解に混乱をもたらします。

 学校教育によって、そのように教えられているわけですが、日本人以外はそのように思っていません。東京裁判でも満州事変や太平洋戦争の開始は訴因となっていますが、日華事変はそうではありません。日本の教科書と異なり、連合軍も日華事変の開戦原因は蒋介石にあり、とみなしていたわけです。中国人は現在でも、この攻撃を記念して、日華事変のうち上海から南京までの戦いを、八・一三淞滬抗日戦と呼んでいます。

 蒋介石の国府軍は、地方軍と呼ばれた軍閥軍、官軍と呼ばれた直系軍あわせて三〇〇万人の兵員がありました。ところが、この当時帝国陸軍の常備兵力は、三〇万人ほどにすぎませんでした。この比較が蒋介石をして、隠微な計算をさせたことは疑いありません。

 もちろん、帝国海軍は圧倒的でした。三〇〇万人とはいわず、中国兵百人も日本本土には上陸できなかったでしょう。にもかかわらず、帝国海軍は抑止力とならなかったわけです。

 そして、この陸上における軍事力格差は、現在も変わりありません。人民解放軍は二五〇万人の兵力をもちますが、陸上自衛隊は一八万人ほどです。
 ではなぜ日本は太平洋戦争終了後、中国から侵略をうけなかったのでしょうか?

 これは台湾と韓国が緩衝国家として機能し、日米軍事条約が存在したからです。蒋介石が攻撃してきたときは、無条約時代かつ国際連盟からも脱退した時期にあたっていました。

 日華事変と太平洋戦争の開始には関連があります。そして、もし太平洋戦争後、日本がアメリカとの条約を破棄し、中立もしくは中ソと同盟を組んだならばどうなっていたでしょうか?

 韓国や台湾の安全保障は重大な脅威にさらされたことでしょう。背後や側面に仮想敵国で囲まれ、アメリカは一万五〇〇〇キロの大洋を隔てています。例えば、北朝鮮が再度南進を企てた場合、韓国やアメリカは日本にたいしどのような軍事方針をとるでしょうか?

 ある程度以上の国が独自外交や主体的な外交を行うことは、いわば戦争を覚悟することです。

 反面、例えばシンガポールやマレーシアのような小国はいくらでも独自外交ができます。何を喋ったところで、どの国も影響をうけないからです。

 それではイラク戦争についてどう考えるべきでしょうか?

 戦争原因については、はっきりしています。イラク戦争はアメリカが第一撃をうつことにより始まりました。アメリカの侵略です。

 ただ、金日成の朝鮮動乱やケ小平の中越戦争とブッシュのイラク戦争が違うのは、「人道介入」「テロへの反撃」の要素があることです。金日成やケ小平は「朝鮮統一」「教訓を与える」ため戦争を始めたのであって、「人道介入」などの要素はありません。

 侵略者への反撃ができないとすれば、世界は侵略行為=戦争で満たされます。テロへの反撃も同様です。人道介入は、悪逆非道な統治を内政とみなさず、解決しようということです。

 サダム・フセインのイラクが「かつて侵略戦争を実行し」「テロリストを匿い」「悪逆非道に統治した」ことは否定できません。つまり問題は、アメリカの侵略がこの後者二つを理由に、国際法上許されるかという点です。

 国際連合は関係ありません。アフリカの聞いたことがない国の判断が決定的な安全保障理事会は意味をもちません。更に、中国が常任理事国をやっています。この国は台湾の武力統一を公言している国です。更に国連加盟後も理由のない侵略戦争をやっており、安全保障問題に口を挟む資格はありません。

 安全保障理事会、強いては、国連は機能するように出来ていません。

 結論をいえば、「人道介入」「テロへの反撃」は程度問題です。つまり、解決のためのコスト=戦争のコストが許容できるかという点です。ただ、アメリカはラムズフェルド戦略の採用により、コストが下がっています。

 この戦争のコストが下がっているという点に一番敏感に気づいたのがフランスでした。

 フランスは「戦争を国策としない」、すなわち「外交紛争を戦争で解決しない」という近代国際法のもととなったロカルノ条約をドイツと結び、次にケロッグ・ブリアン条約をアメリカと結んだ国で、いわば提唱者です。戦争のコストが下がったことにより、原則が揺らぐことを恐れました。

 一方、ドイツの政権政党SPD(ドイツ社会民主党)は「平和主義」が党是であって、日本の旧社会党と似た立場をとっています。このため同床異夢ながらフランスに賛成しました。そして、ロシアは「力の外交」の信奉者ですから、ただアメリカ反対のために仏独に組しました。

 G5プラスロシアの中では日英はアメリカに賛成しました。日英の賛成の主旨は、アメリカを孤立させるべきではなく、G5として結束を保つべきだという点にありました。

 そして、イラク戦争の外交で世界が注目したのは、このG5プラスロシアの決定のみでした。例えば安全保障理事会のキャスチングボートをとりそうになったアンゴラが、最後どのような方針をとったのか、誰も興味をもちません。
 イラク戦争自体は必ずしも重要ではなく、「ならずもの国家」の一つが倒れたにすぎません。

 ただ、イラク戦争の外交は、今後の世界の外交のあり方、または世界そのものを決定する可能性があります。ある大国が小国にたいし人道介入・テロへの反撃による戦争を決心したとして、他の大国が、それを止めるため武力介入する時代は去りました。

 それでも、イラク戦争で日英ともにアメリカに反対したら?それでもアメリカが開戦したならば?という設問は残ります。この設問は、今後の「危機」においても繰り返されることになるでしょう。

 そして、G5プラスロシアの国の顔ぶれは、オーストリア=ハンガリーを除いて第一次大戦前の「列強」の顔ぶれと変化がありません。日本が単に極東のみの安全保障を考え、東亜新秩序を構想し、欧米諸国の介入を恐れるといった時代は、とうに終了しています。すでに政治家は、世界の中の日本、世界史の中の日本史に気づいていますが、国民も極東の辺境意識を棄てねばならないのでしょう。

本書をまとめるにあたって、貴重なご示唆をいただいた軍師兵頭二十八氏、さまざまな点でご教授いただいた遠藤宏信さん、江藤真一さん、そして最後に並木書房編集部に厚く感謝申し上げます。

二〇〇二年一〇月 別宮暖朗

 
 

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