大東亜戦争の謎を解く

まえがき

日本の近代戦史で特徴的なことは「陸軍の影が薄い」ことである。

 日清戦争においても、日露戦争においても、戦争の第一弾をうったのは艦砲であり、陸兵の小銃ではなかった。

 じつは、このような戦争の始まり方はとても珍しい。近代の国家間における戦争は、ほとんどが、陸兵が国境を越えることによって発生するものだからである。第二次大戦後においても、朝鮮戦争から中東戦争、イラク戦争まで、これが普通のパターンになっている。

 日華事変(支那事変)は、蒋介石の国府軍が、日本の海軍上海特別陸戦隊(しゃんりく)を攻撃することによって始まった。しかし、第二次大戦(太平洋域)は、やはり日本海軍の空母機動部隊がハワイの真珠湾を襲うことによって開始された。

 国府軍が第一撃をうった日華事変を除いて、明治維新以後、日本が関わりをもった大戦争について、日本海軍がイニシアチブをとったことは紛れもない事実である。当然のことながら、開戦に至る過程においても、海軍が大きく関わったとみなさざるを得ない。

 どこの国でも、「これをやれば勝つ」と思うか、さもなくば「これをやらねば敗北する」と思って、戦争を開始する。日本もその例外ではなかった。「当初作戦計画」が、戦争開始の当否についての、決定的な判断要因となる所以である。

 このような、日本の戦争のみに見られる、世界的に稀な現象について、兵頭二十八氏と徹底的な討論を行い、互いに原稿を行き来させてまとめられたのが、本書である。

 もし「戦争開始の責任」が、広義の「戦争責任」の中でも最も重いものであるとするならば、1941年12月からの対英米蘭戦争の「当初作戦計画」を立案・実行した大日本帝国海軍軍令部ならびに連合艦隊司令部の責任は、他の誰よりも重くなくてはならない。

 これが我々の結論である。

 この結論は、「東京裁判」の結論とはあまりにも異なる。「今まで聞いていたことと、あまりにも違う」と思われる人もいるだろう。

 しかしながら、戦争の大義とされた「大東亜共栄圏」をみても、それは当時から経済的な巨人であった日本を支えることなどできないことは明らかであった。「大東亜共栄圏」は、たんに海軍戦略の手段、すなわち内南洋防衛網の構築のために、重要だったのである。それがまた、陸兵による島嶼争奪戦を対米作戦の中心においた大本営の方針を決定した。
 
 この大きな対米戦略が、なぜ失敗であったのか、日本海軍はなぜそのように構想したのか──。これこそ、日本近代史について未だに残っている大きな謎である。

 この本は、それを解くための事実とその背景の解説に、多くのページが費やされている。読むのにあたり、「難」「中」「易」と3段階に分類し、符合をつけた。「難」のものは飛ばして、あとで戻ることにより、より簡単が理解が得られると思う。

 ともあれ、謎をとくのは読者であり、もし結論が得られれば、日本近代史最大の謎を解いたことになり、また現在発生しつつある政治的、外交的諸問題にも解答することができるかもしれない。

 なぜこのような戦争を始めたのか――この謎を解けば、必ずや日本人の歩いてきた道の最も重要な十字路がいかなるものだったかを知ることができるだろう。

                            別宮暖朗

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