Poincare、Ramond
(1860−1934)
フランスの政治家;大戦期間中通しての大統領
ロレーヌ・バルレダックで生まれた。10歳のときプロイセン軍がロレーヌに進駐して来たのを目撃したという。その後家族はパリに移住した。
参議院に1887年当選し5年後教育相となった。その後蔵相もつとめるが、1896年引退し、弁護士となった。
弁護士として金銭的に成功したあと1912年首相となった。1913年突然飾り物でしかないと思われていた、大統領選に立候補当選した。
しかし第1次大戦の勃発とともに大統領職の有り方も変貌した。ポアンカレは第1次大戦中通して主用交戦国で唯一文民最高ポストに止まった政治家であった。
しばしば議会が中断を余儀なくされるなかで、首相と参謀総長の選任に影響力を発揮した。参謀総長選任はニベルを除いて、成功したのではないかと思われる。
それでもクレマンソーを首相に選任したあと影響力は衰えたが、対独強硬姿勢では一致し戦後も20年代を通してフランス政界の第一人者であり続けた。パリ講和会議では主役をクレマンソーに譲ったが、ベルサイユ条約の非現実的な条項の責任は免れない。
クレマンソーが1920年の選挙で破れた後首相に復帰、1923年のルール占領を主導した。しかしこの時はイギリスとアメリカの支持を得られず、不本意な形で撤兵せざるを得なかった。
一方第3共和制の初代大統領ティエールの公式伝記作家であり、文才も認められるところだ。最もティエールの国家主義の本領を引き継いだとの声もある。
ポアンカレの1920年代のフランスの政策は国力を越えた虚勢を張っただけだとの声が歴史家に存在する。もちろん国策を安全保障に全て従属させるか否かは議論が分かれる。ただ戦勝国が勝利のあと安全保障が最大眼目となる状態が正常でないとも言える。国民は「フランスの弁護人」というあだ名をつけた。
私生活は吝嗇と言える程潔癖で、大統領などの公職についたあとも手紙は全て手書きでかつ私用の手紙を投函する際は、使送人にポケットマネーを支払った。

回想録;Memoirs, 4volumes,NewYork,1926−1929
Huddleston,S., Poincare. Biographical Portrait、Boston、1924
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