ドイツ帝国皇太子
ウィルヘルム二世の長男として、ポツダム宮で生まれた。母はシュレスウィッヒ・ホルシュタインのゾンデルブルク=アウグステンブルク家のアウグスタ公女。1905年、メクレンブルク=シュウェーリン家の大公フレデリック・フランツ三世の大公女と結婚した。4男2女をもうけた。ただ、オペラ歌手のジェラルディン・ファラールとも交際があったと噂される。
ホーエンツォレルン家の常として軍事教育しかうけなかった。ただ、女性関係に難があるとされ、じっさいの軍事に関係するとはみなされていなかった。1914年大戦が勃発すると、予想を裏切って第5軍司令官に任命された。バイエルン王太子ルプレヒトとのバランスが考慮された結果だという。
しかし、フロンティアの戦いにおける勝利はむしろ、軍事的才能を認めさせることになった。そして、もっとも有名にさせた戦いは、1916年のベルダン戦であろう。ただ、作戦をめぐってファルケンハインと確執が生じた。ファルケンハインは自軍の損害を少なくさせながら、フランス軍の消耗をはかる消耗戦にでたのにたいし、皇太子は、そういった作戦は騎士道精神が欠けるように思ったようだ。その後も西部戦線に留まり、名目的であれ方面軍司令官を続けた。
1918年11月、戦局の悪化と同時に父皇帝とともに退位を迫られ、オランダのドールンに亡命した。だが1923年、ワイマール共和国政府より、政治に関与しない条件で帰国を許された。そのあと廃太子はヒトラーと組することをせず、事実上隠遁生活に入り、ドイツ国内で第二次大戦中も生き延びた。
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