バーデン公マックス

Maximilian Alexander Friedrich Wilhelm von Markgraf Baden
Prinz Max von Baden

(1867-1929)

ドイツの政治家;休戦時の首相

バーデン公国の王子として生まれた。大戦期間中は議会で無制限潜水艦戦に表立って反対するなどハト派として知られた。

議会内では進歩党党首ハウスマンと盟友だった。

1918年6月妥協による平和を模索し、ベルギー放棄による西部戦線の休戦をルーデンドルフとヒンデンブルグに説いた。二人ともウィルヘルム二世の向背が明きらかでないうちは態度を鮮明にしない。しかし態度がどっちつかずと知るや、軍部の主張占領地の永久支配を主張した。

更に外相のキュールマンに妥協のよる平和を演説させたが、これも二人の横槍でキュールマンの解任で終わった。

ハートリングの後任として10月、首相になったがすでに戦況は悪化していた。参謀本部を牛耳るルーデンドルフが精神的圧力に耐えられなくなりウィルソンの14ヶ条提案を受諾することにより休戦を画策したが、首相として不利な状況に陥ることを懸念し反対した。しかしアメリカとの交渉を開始したが、アメリカの条件は政体の変更を含むもので難航した。

そして交渉を進めている最中に再度ルーデンドルフが強気になり、休戦申し込みをやめると言い出したときは、さすがに辞意を顕わに抵抗した。この間スペイン風邪に感染し、体調不調だったと言われる。

休戦交渉中にキールを中心に水兵による反乱が発生、ウィルヘルム二世の退位が問題となった。国論は分かれたが11月9日退位勧告することを決断した。その直後社会民主党のエーベルトに首相を譲った。

戦後は領地に帰り隠棲したが、ドイツ国内の超国家主義者は非難を続行し決して安逸な生活は出来なかった。



回想録;Erinnerungen und Documente, Stuttgart, Berlin und Leipzig, 1927

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